たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『遠野物語』より-27神女

2023年08月09日 00時50分27秒 | 本あれこれ

『遠野物語』より-99 - たんぽぽの心の旅のアルバム (goo.ne.jp)

 

「早池峯(はやちね)より出でて東北の方宮古の海に流れ入る川を閉伊川(へいいがわ)という。その流域はすなわち下閉伊郡なり。遠野の町の中にて今は池(いけ)の端(はた)という家の先代の主人、宮古に行きての帰るさ、この川の原台(はらだい)の淵(ふち)というあたりを通り̪しに、若き女ありて一封の手紙を托(たく)す。遠野の町の後なる物見山の中腹にある沼に行きて、手を叩けば宛名の人いで来(く)べしとなり。この人請(う)け合いはしたれども路々(みちみち)心に係りてとつおいつせしに、一人の六部(ろくぶ)に行き逢えり。この手紙を開きよみて曰(いわ)く、これは持ち行かば汝の身に大なる災(わざわい)あるべし。書き換(火)えて取らすべしとて更に別の手紙を与えたり。これを持ちて沼に行き教えのごとく手を叩きしに、果して若き女いでて手紙を受け取り、その礼なりとてきわめて小さき石臼(いしうす)をくれたり。米を一粒入れて回せば下より黄金出(い)づ。この宝物(たからもの)の力にてその家やや富勇になりしに、妻なる者欲深くして、一度にたくさんの米をつかみ入れしかば、石臼はしきりに自ら回りて、ついには朝ごとに主人がこの石臼に供えたりし水の、小さき窪(くぼ)みの中に溜(たま)りてありし中へ滑り入りて見えずなりたり。その水溜りはのちに小さき池になりて、今も家の傍(かたわら)にあり。家の名を池の端というもその為(ため)なりという。」

(柳田国男『遠野物語・山の人生』岩波文庫、1976年4月11日第一刷、28頁より)

 

 

 

 

雪組『壬生義士伝』『Music Revolution』_東京宝塚劇場千穐楽LV(3) - たんぽぽの心の旅のアルバム (goo.ne.jp)

「南部讃歌(雪の契り)

作詞:石田昌也 作曲:手島恭子

東に遠く 早池峰山
南にそぼえる 南昌山
西のお山は 岩手山
北のお山は 姫神山
ぐるりを山に 囲まれて
城下流れる 中津川

吉村寛一郎
「こったに美しい故郷に生まれ育ったわシは
 貧乏なぞ 口にスては ならね」

剣をみがき 学問を修め
志を持ち
南部の もののふとして
忠義に 生きよう」

 


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