たんぽぽの心の旅のアルバム

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竹信三恵子著『日本株式会社の女たち』より(2)

2014年05月17日 10時52分50秒 | 竹信三恵子著『日本株式会社の女たち』
「91年大手金融機関を退職した橋本綾子(27)の場合 「周囲を見ても、意欲的でモノを考える女性ほどやめていくような気がしました。
88年、総合職として採用され、都市開発の企画事業に携わり、金融機関同士の研究会のまとめ役もこなした。米国人の研究者を夫に持ち、明るい元気の良い話ぶりからは、よく言われる「疲れ切って脱落した総合職」の姿はうかがえない。

「仕事では恵まれ、職場も特に悪いわけではなかった。でも、我慢できなかったのは、あの会社が”コブラ村“だったことです」
テレビでインドの村のドキュメンタリーを見た。コブラのたくさん出る村で、毎年かなり多くの死者が出る。が、村人たちは一向に手を打とうとしない。昔からこうだった。コブラは神様の使いだ、仕方がない、とあきらめている。そして、毎年だれかが噛まれて死んでいく。
あ、これはうちの会社だ、と思った。

 夜遅くなっても、上司が帰宅するまでだれも帰らない。仕事がなくても、律儀に待っている。そんな風習は健康に悪い。会社の役に立つわけでもない。ただ、社員の保身と、上司の満足に役立つだけだ。橋本は、何度か直属の課長に改善を進言した。同僚や男性社員にもちかけた。が、だれも乗らなかった。「これまでそうだったから、仕方ない」と言うのである。こうやって長時間労働は保たれ、過労死も出るのだな、と思った。

 そんな組織に、自分の一回しかない人生を全力投球するのが馬鹿らしくなった。それが、退職の最も大きな原因だった、と彼女は分析する。「総合職」一期生の彼女は、その性格ばかりでなく、存在そのものが「改革」の旗手だった。入社後、女性といえば一般職という職場に

「総合職」としてやってきた彼女が、「女性の役割」である朝の掃除当番を引き受けるかどうかは大きな焦点だった。「女性だけが掃除とはおかしな風習だ」とは感じたが、短大卒の先輩社員の希望にしたがって、橋本は当番を引き受けることにした。その結果、橋本は一般職女性たちの支持を集めることができた。女性社員たちが抱く小さな不満を、男性社員に正面きって伝えるパイプ役として、「総合職」の彼女が機能し始めたのである。

「当時の女性社員の立場といったら、明治時代の不平等条約のときの日本みたいでした」。
橋本は、わずか数年前を振り返って苦笑する。制度そのものが女性に不利で、男女は対等の競争ができない状態だった、と言うのだ。「総合職」であっても、女性は外回りができない。渉外はあくまでも「男の仕事」だった。橋本たち総合職は、女性社員も外部と折衝できる仕事につけるよう上司に働きかけた。最初、得意先は驚きを隠さなかった。官公庁や大手企業を担当した同期の女性の中には、「男の人どこ?」と言われた例もあった。しかし、実績ができ、慣れてくると、逆に親しみを持ってくれるケースも増えた。
(略)

 しかし、二年後に入社してきた第二世代「総合職」の動きは、橋本にはつらかった。第一世代の努力で、形の上では、総合職の男女の格差は解消していた。第二世代たちはこの事態を、第一世代の女性たちの結束の成果であるとは知らない。社員間の競争の中で、第一世代の女性を押さえて、自らが優位に立とうとする第二世代の動きが目立ち始めた。
目に見える格差がなくなり、後輩たちは、次の新しい土俵へ向けて男性社会を改革するより、既成の土俵の上で、女性同士の競争に勝ち抜くために男性と手を結ぶことを考え始めたかのように橋本には思えた。

 残業や休日ゴルフなどの会社丸抱えの生活は、家庭と仕事の両立を一方的に迫られる女性たちにとって足かせだ。増える女性総合職の力で、次はその会社機構の改善を、と意気込んでいた橋本は、肩透かしを食った気分になった。

「私の退職は性急すぎたかも。でも、後輩の総合職女性を見ているうちに、コブラ村にいれば、結局は女もコブラ村の気風に染まるしかないんじゃないか、と思えてきたんです。そんな場所のために、人生の貴重な時間を使うのが空しくなってしまったの」
 
「コース別人事管理」の建前の裏にはりついた根強い「性別人事管理」に、川崎は混乱し、白井は絶望し、橋本は会社そのものへの関心を失った。そこに見えたのは、「女には厳しい男の世界から脱落した」総合職の姿ではない。むしろ、男女双方に納得のいく透明度の高い評価の方法を持たず、従来の手法からの脱皮もできないまま「習慣」に頼り続けようとする会社組織の無気力に対する、意欲的な女性たちの根深い軽蔑の感覚のように思えた。」

(竹信三恵子著『日本株式会社の女たち』1994年、朝日新聞社発行、29‐32頁より抜粋して引用しています。)

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