私は、コロナワクチン接種後に病気になった高校3年生の母親です。私が皆さんに伝えたいのは、新型コロナワクチン後遺症で接種から1年弱の間、いまだ体調不良が続いて困っている高校生がいるという事実です。
私の子供は、高校2年生の夏休みにコロナワクチンの3回目を打ちました。学校の友達や先生、おじいちゃんおばあちゃんにコロナを感染させないためです。ワクチン接種後から倦怠感が少しずつ増していくなかで、2週間後に手足に異常が出ました。ペットボトルの蓋が開けられない、勉強しないといけないのにペンが持てない、学校に行かないといけないのに足が動かない…。そのうち、全身にひどい倦怠感が出て起き上がれない状態にまでなりました。
お医者さんに行っても、検査は異常なしで精神的なものでしょうと言われました。ですが私は、どうしても精神的なものが原因で動けなくなったとは思えませんでした。お願いをして大学病院を紹介してもらい、ホルモン検査をしてやっと副腎機能低下症という病気だとわかりました。
子供はコロナワクチンを打つ前は、とても元気で、体育祭の応援団に入ってダンスを踊ったりしているような活発な子でした。やりたいこともたくさんあって、学校では友達にも恵まれて、部活でも部長になり、高校生活を楽しんでいました。そんな子供が、突然手足が動かない、起き上がれなくなるほどの病気になる理由が、コロナワクチン以外に全く思い当たりません。
ワクチンを接種して病気になり学校に行けない日が1ヶ月ほど続いたころ、担任の先生から「このままだと出席日数が足りなくなって留年になる」と言われました。慌てて色々な資料を探したところ、ワクチンを打った後の体調不良は出席停止扱いにできると知り、それを学校の先生に相談しました。それまで私は、学校の先生は味方だと思っていました。子供のために何か良い方法がないか一緒に考えてくれると思っていました。でも、「医者がワクチン後遺症を認めた診断書がないと、普通の欠席と同じ扱いにする」と言い、全く取り合ってくれませんでした。お医者さんに相談すると「ワクチン後遺症を認める診断書は書けない、学校のことは教育委員会に言いなさい」と言われ、教育委員会に相談すると「学校の問題なので学校に言いなさい」と言われました。互いが互いに責任を丸投げして何も解決しませんでした。そして、そのしわ寄せは全部、私の子供にのしかかりました。
留年はしたくない、でもお医者さんは診断書を書いてくれない。学校の先生は無理してでも学校に来いと言う、出来ないなら他の学校を探せばいいと言う。子供は今の高校を皆と一緒に卒業したいと言う。もう無理して学校に行くしかない」。そして、子供は起き上がるのがやっとの状態なのに、無理やり学校に行かざるを得ませんでした。
家は決して裕福ではないのですが、留年を避けるにはもうどうしようもなかったので、タクシーを使いました。朝、子供をタクシーで学校まで送り、お金を節約するために私は片道50分くらいの道を歩いて家に帰り、子供が帰る時間になったらまた学校へ歩いて行き、タクシーを呼んで一緒に家へ帰る、という生活を1ヶ月ほど続けました。私の足腰はボロボロになり、お金もなくなり、私は限界でした。
そんな私を見ていた子供は、副作用の強い薬を飲んでようやく歩けるようになった身体なのに、「お母ちゃん、一人で行ってみるから休んでいて」と、おぼつかない足で重いリュックを背負い、玄関を出て行きました。私はその後ろ姿を見ながら、動けなくなった自分を責めて泣きました。この手記を書いている今も、その当時のことを思い出すと手が震えるくらい悔しいです。
(略)
ワクチン後遺症に理解のないお医者さんからは、検査に異常がないのに手が動かないのはふざけているから、全身倦怠感は心のせい、足が痺れるのは気のせい、何度も心療内科の受診を勧められて、その度に、なぜワクチン後遺症から目をそらして心の問題にするのか、目の前の子供が苦しんでいるのに、なぜその苦しみに寄り添ってくれないのか、なぜ原因を探ろうとしてくれないのか、胸が痛くなりました。何も出来ない自分が悔しくて何度も泣きました。子供はその度に、「お母ちゃん、ありがとう」と、苦しいのは自分なのに私を気遣ってくれていました。
どうして周りの皆のためにワクチンを打った優しい子が、保健室の先生に「病気なら転校したら?」と言われたり、すがる思いで受診した病院の先生から「心療内科へどうぞ」と冷たく突き放されたり、信頼していた学校の先生にすら「保健室にサボリに行くのか?」と、心ない言葉を言われないといけなかったのか。当時の学校の先生も、お医者さんも、教育委員会も、ワクチン後遺症をよく知らないという、それだけのことで、子供がその全てのしわ寄せを受けて苦しんだのは、本当に、言葉で言い表せないくらい今でも辛いです。悲しいです。悔しいです。このようなひどい状況にいる子供が他にもいるかもしれない、誰にも理解されないまま1人で苦しんでいるかもしれない、ということで、私はさらに苦しいのです。」