たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2018年『モーツァルト』_大千穐楽

2018年08月19日 19時34分05秒 | ミュージカル・舞台・映画
 5月26日(土)に帝国劇場で開幕した2018年『モーツァルト』、本日名古屋の御園座で大千穐楽。帝国劇場からさらに進化したであろう大阪、名古屋の公演に出会えた皆様がうらやましいです。初日から三回も観劇できた幸せ。銀橋ができたことでオーケストラボックスがみえなくなってしまいましたが銀橋は重要で、みなくても終演後「僕こそ音楽」が流れてきた時わけもなくただただ生きていてよかったと思えた瞬間。思い出すのは圧倒的なアンサンブルのコーラス。楽曲の力と役者の力のせめぎあい。

 終盤ヴォルフガングにレクイエムの作曲を依頼す仮面をつけた謎の人物を、パパである市村正親さんが演じるのは小池先生のオリジナル演出とのこと。「自分一人力でかくのです」と市村さんがヴォルフガングに言うことで父と息子の葛藤の物語にぐっと深みが増しました。小池先生、父と息子の葛藤に拘りがあるそうな。小池先生、やっぱりすごい。宝塚ばかりでなく、今やすっかり日本ミュージカル界のイケコ先生になられました。


「2014年公演のプログラムより モーツァルト~父と子の肖像~

モーツァルトの時代、音楽家の家に生まれた子供は、まず家庭で音楽教育を受けた。姉ナンネールも父が編集した「楽譜帳」でピアノのレッスンをはじて、やがて弟も同じ楽譜帳でレッスンを受けるのだが、しかし父はここで息子のただならぬ才能を発見する。父ははなから娘を音楽家にするつもりはなかったし、この時代女性が職業音楽家として働けるのはオペラ歌手ぐらいだったからだ。これに対して息子の方には、将来のオペラ作曲家あるいは宮廷楽長を夢見て、ピアノだけでなく、ヴァイオリンやオルガン、そして作曲も教え込んだ。結局のところモーツァルト家のふたりの子供は、生涯一度も学校に通うことはなく、父がすべての教育を担った。その内容たるや驚くべきもので、音楽のみならず、ドイツ語や外国語(すなわち、イタリア語、フランス語、英語、ラテン語)、歴史や文学、数学や物理学など、あらゆる学問の領域に及んだ、当時の人々は、レオポルトを「学識ある音楽家」と呼んだ。」(続く)


舞台写真は東宝の公式FBより、

古川さんヴォルフガング、市村さん演じる父レオポルト、アマデは小河原美空ちゃんかな。

大衆のためのオペラ「魔笛」の成功で喝采を浴びるヴォルフガングの姿におごりをみた父レオポルトがウィーンを去っていく場面。ヴォルフガングが無邪気であればあるほど切ない。



                  

カウンセリングスクールのつぶやきメモより(7)

2018年08月19日 17時16分08秒 | 祈り
 自分の過去から解き放たれていくための投稿。


「2004年7月10日

1.この授業を受けて、感じたこと、考えたことを自由に書いて下さい。

先週授業を終えたあとは、本当に苦しかった。動悸がしてしまった。
以来、様々に気持ちはゆれている。今自分におこっていることは何なのか、受け取めるために来週カウンセリングを受ける。

ロジャースと分裂病者ジムとの面接記録。
ジムは言う「どこかに行ってしまいたい」「何が起こってもかまわない」。

妹もこんな気持ちだったのかなあ。
あの時受け取めてあげていたら・・・。

私がカウンセリングを学びたいと思った直接の動機である。人を助けるなんておこがましい。自分が楽になりたいのだ。」

 読み返していて、カール・ロジャースの来談者中心療法の講義をうけて自分がひどく揺れ動いたことを思い出しました。自分を責め続ける日々でした。苦しい日々でした。今は遠いことのように思えます。

 気がつけば一人暮らしをはじめて30年。ほんの少しのつもりが人生の半分以上の日々を、知る人がほとんどいない都心で孤独に暮らしています。母が張り切って建てた家も30年以上の日々を生きてきてことになりますがほどなく家を出たわたしはあまり暮らしていません。でかい家があるのに苦労しながら家賃を払い続けている日々。一軒家で育ったのでアパート暮らしは、家賃を払い続けなければならない苦労があると同時に壁薄くって音丸聞こえという気疲れと苦労があるのだということを全くわからないままの一人暮らしスタートでした。どうして一人暮らしをしたいのと思ったのか、母から逃げたかったほかにはもう思い出せないほどに時が流れました。そしてまた生活基盤を失おうとしている今、また社会から孤立しようとしている今、わたしはいったい何をしてきたのか、わたしの人生はこれで本当に正解なのか、過ぎた時間を考えても仕方ありません。もう人生の終わりの方が近いところまできてしまったのだから、父が亡くなった時自分の人生半分以上終わったんだってはじめて気づいてからもう8年になろうとしているのだから、過ぎた時間を考えても仕方ありません。ただこれからどう生きていけばいいのか全くわかりません。今のマンションの契約更新して失業給付を受けながらまた次の居場所をさがすという道があることはありますが、契約更新したくないし、とてもじゃないけどいられません。安いばかりは最悪なり。

 昼間は案の定大規模修繕工事とやらで職人たちがドタバタ。足場から部屋丸見え状態で全く休んでいる気がせず、でも体は疲れてしまっているし断捨離は部屋でしかできないのでなかなかに動けずようやく3時過ぎに腰をあげてすっごい眠いままスパへ。2時間ほどかけて足腰の痛みをほぐし澱んだものを洗い流しました。土曜日だけど少し早めに休めるといいかなって思っていたら、また11時半を回ったころにドタンバタン。12時近くになって人がやってきて大騒ぎ。奴らほんとに夜型でかないませんわ。学校の近くにこぞって住んでいるから暇な奴らは夜中に互いの家を行き来してチャラチャラを遊んでいるんでしょうね。有給休暇があと二日しかないわたしは8月、カレンダー通りに出勤中。3時間、4時間の睡眠でも出勤中。いつまたうるさくされるんだろう、今夜は眠れるのだろうかと毎日毎日不安。こんなんでは夏が終わる前に死んでしまうよって思いながらなんとか気力でもっている日々。睡眠不足がいちばんよくないので、ほんとにいつ死んでしまうかわかりません。あと二週間で雪組の東京宝塚劇場千穐楽ライヴビューイングあるし、9月26日は東京宝塚劇場で花組公演観劇予定。這ってでもいきたいよ、それまでは生き延びていたいから死なないと思いますがいつこわれてしまうのだろうと不安でならないギリギリ状態。過酷な夏、安い部屋に住む資力しかないから仕方ないけどそうとは知らずに大変な部屋を借りてしまったばかりに大変な夏。収入の道が途絶える=日中の居場所をなくすことなわけで、使い捨てにした方はそんな苦痛を与えることなんて全く考えていなかったよね、使い捨てにされた方には果てしない苦難が待ちうけていることなんて全く考えていなかったよね、そんなこと考えなければならない責任はないけど、10年以上一緒にやってきてさんざんあてにしておいてあんまりだよなー。もうやめましょう、こんな話は。

 ものすごく疲れていますが今夜眠れるのか、明日起き上がれるのか、わかりません。残業分の休暇、つけていない分もあわせると後一日ぐらいありますがつけていない分もあるからあと半日ぐらい。こんな部屋の状況では平日休んでも休まらないですがあと4週間、5日間フル勤務はもたないだろうなあ。長すぎきるよなあ。そのあとはいっぱい休むんだけどさ。それまでが長すぎます。定年退職してアルバイトで週一日とか2日勤務の方々が、この前15分残業した分今日15分早く帰らせてくださいとかやっているのが聞こえます。そんなことやっていいんだったら最初にそう言ってくれよ。つけてないよ。前の上司からは断られたんだよ、人によって違うなんておかしいじゃないか、って心の叫び。人事異動で上司が替わって代休とらせてくれるだけもマシか。組織体としてはブ〇〇クと同じようなもんだということがわかってしまった現実。これからどこでどうやって生きていけばいいのかわからないまま、今を精一杯生きることしかできません。8月を生き延びることしか今は考えられません。モネ展いきたいけど、足がきつすぎ・・・。

 生きることって苦しいことを連続なのかな、うまくいっているように見える人でもその人にしかない苦労をやっぱりしているのかな。生きるってむずかしいですね、生きるって大変ですね。その梯子から自ら降りた妹はもしかしたら幸せなのかな。わかりません、それは妹にしかわからないことですね。ああ、苦しい、ほんとに苦しいです、わたし・・・。