たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

さまよいびと

2017年05月01日 23時03分16秒 | 日記
 5月の始まりの夜。昼間は急に嵐が起こると寒くなったり、晴れて陽が照りつけるとものすごく暑くなったり、落ち着きませんでしたね。晴れてまた失業者となったわたしは午前中、気になるところへ書類を受け取りに行ってきました。普通に印字された文字を読むだけでインパクトあり、かなりおもいです。妹との突然のお別れを経験しているわたしだからこそやれることなのかもしれません。わたしのような立場でなければやれないことかもしれません。同時にわたしのような立場だからこそたぶん苦しむことも葛藤することも待っているでしょう。両輪だと思います。進んでいってみるのか、やめておくのか。今はわかりません。連休に入ったら、ちょっとスパで汗を流してからパソコンで書類のドラフトを作成しながら頭の中を整理しようと思います。進んでみるなら連休中に提出書類を準備しなければなりません。提出するだけして、その先に進んでいけるなら話をするだけして、そこで辞退するというのもありかもしれないし、わかりません。スパの無料券一枚当たっているので、サウナで汗を流してからにしましょう。

 午後は一昨年の夏、すり減るだけすり減ったわたしでお会いした相談窓口の方に会いに行ってきました。朝電話もしました。こうしてまた元気に働けるわたしに戻ったことをすごく喜んでくださいました。辛い経験をした分たくましくなったように感じるとも言ってくださいました。この方に前でもわたしボロボロ泣いたんですよね。クソ会社とクソ弁護士との争いで心身共に疲弊してどうしようもなかったんですよね。その頃には、いや昨年の一月には、こうしてまた働ける自分の姿を全く思い浮かべることができなかったことを思えば、よくここまでやってきたもんだと自分の中でこみあげてきてしまってまた泣いてしまいました。わかりませんけど、きっと大丈夫。そう信じるしか今はありません。クソ会社とクソ弁護士は勝手にいつまでもクソでいればいいさ、って心から思えるまでにはここまでの時間とプロセスがわたしには必要でした。さまよいびとの日々は始まったばかり。

 部屋の中を見回すとまだまだぐっちゃぐちゃ。あーあって思います。なのに昨日はまた公演プログラムを買ってしまったので断捨離も続行中。ちょっとまとめて映像をみる時間はちょっとあるかな。息抜きしながら少しずつね。汗と涙と思い出がつまった使い古しの鞄とそろそろお別れしなければなりません。もう少し落ち着いてからね、ゆっくりとお別れしようと思います。少しずつ、少しずつ・・・。

第三章日本的経営と女性労働 その歴史の外観 ⑥男女雇用機会均等法施行

2017年05月01日 15時35分37秒 | 卒業論文
 昭和60年(1985年)5月に成立した均等法は、均等法(雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律)は、均等整備法(雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保を推進するための労働省関係法律の整備等に関 する法律)によって勤労福祉法の名称と内容が抜本的に改正され、1985年(昭和60)に成立し、翌1986年(昭和61)4月から施行された。

 均等法は、「法の下の平等を保障する日本国憲法の理念にのっとり雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇が確保されることを促進するとともに、女子労働者について、職業能力の開発及び向上並びに職業生活と家庭生活との調和を図る等の措置を促進し、もって女子労働者の福祉の増進と地位の向上を図る」ことを目的とし、雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保の促進(第2章)と女子労働者の就業に関する援助の措置等(第3章)が大きな柱として位置付けられている。

 均等法においては、男女の均等な機会等を確保するために事業主が講ずるべき措置として、表3-3のとおり、募集・採用及び配置・昇進に係る男女の均等な取扱いについては努力義務規定とされ、一定の教育訓練及び福利厚生並びに定年・退職・解雇に係る男女の差別的な取扱いについては禁止規定とされて規制されている。また、努力義務規定とされた均等法第7条及び第8条に定める措置については、均等法第12条に基づき定められた均等法指針(「事業主が講ずるように努めるべき措置についての指針」)において、表3-4のとおり、募集・採用及び配置・昇進に関し事業主が講ずるように努めるべき措置が具体的に示されている。

 さらに、均等法施行通達(「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律の施行について」)によれば、均等法は、「雇用の分野において女子が男子と均等な取扱いを受けていないという現状を改善するという観点から、男女の均等な機会と待遇の確保のため一定の措置を採ることを事業主に義務付け、もって女子労働者の地位の向上を図ることを目的として制定されたものである。したがって、女子が男子と均等な取扱いを受けていない状態については直接触れるところではなく、女子のみの募集、女子のみに対する追加的訓練等女子により多くの機会が与えられていることや女子が遊離に取り扱われていることは均等法の関与するところではない」とされている 1)。

このように、均等法においては、男性のみを対象とする募集・採用、教育訓練等は規制されるが、女性のみを対象とするそれらは規制されない「片面的な規制」(女性に対する差別的な取扱いを規制し、いわゆる「女性のみ」又は「女性優遇」の取扱いを規制しないこと)となっている。2)均等法は日本で初めてほぼ網羅的に雇用の男女差別を禁止する法律として貴重な意義をもつものであった。しかし、均等法は効力が弱く、かつ、「保護抜き平等」であり、さらには家族的責任と職業の調和を女子だけの課題と捉え、しかもその就業援助措置の内容が貧弱であるなど国際水準・動向からは大きく離れている。その結果、均等法は、一定の意義をもちつつも、女子雇用に対して、「結果の平等」をもたらすだけの抜本的改善効果を生むものではなかった。「男女雇用均等法」ではなく、「男女雇用機会均等法」に墜した結果である。3)
 
 ここで均等法の片面性について検討したい。均等法が制定された当初から批判の対象となった問題点の一つは、目的と理念に女性についてのみ「職業生活と家庭生活との調和」が規定されていたことである。職業と家庭の調和を女性だけに認めることは差別につながり、先にみた「女子差別撤廃条約」やILOの「家族的責任条約」が目指す、男女共に家族的責任と健康を保護していこうという国際的な流れからはかけ離れたものだったといえる。

 また、同法が企業に命じた規定のうち、募集・採用及び配置・昇進に係る男女の均等な取扱いについては企業の強い反対にあい「禁止規定」にならず、「努力義務」規定とされるにとどまった。これらは、日本型企業社会の男性偏重の人材管理の核をなすものに他ならない。日本的雇用慣行を根幹から揺さぶることになるこれら4項目については、男女を全く同等に扱うような企業風土はまだ日本型企業社会にはなかったのである。その為、第一章で見たように施行後の調査で女性一般に対する先入観、固定観念等に基づいた合理性のない理由により、補助的・定型的業務への配置に固定化し、男女平等の理念にそぐわない結果をもたらした。

この不徹底さとまさに対応して戦後の労基法制定時に設けられた女性保護規定に関する条項の改正についても、女性の時間外・休日労働制限、深夜業禁止などの条項の撤廃は、工場労働者についてはほとんど、OL層についてもかなり「女性保護」を残すという形であった。企業はこの女性保護規定を取引先や顧客のニーズから仕事がどうしても長時間または深夜に及ぶ職場に女性を活用し難い理由とすることができた。 4)

このように均等法は、法律自体の効力は大きくなかった。しかし、企業そして政府が女性労働者に制度面で影響を与えるきっかけにはなった。なぜなら、均等法が施行された1986年時点、日本ではまだ雇用における男女平等の思想は定着していなかった。同法の導入によって企業は均等法をクリアするという新たな人事面での対応が求められた。他方、女性労働者がメンバーとして入っていた労働組合は大半が執行部は男性で占められており、女性自身でこれから到来する女性化社会のイメージを描く力が不足していた。その結果、労働省指導型で練られていた新法律案に、労使共に反対の声が大きかった。その限りでは、均等法は国連の「国際婦人年」(1975年)、その後に続いた「国連婦人の10年」という国際潮流の中で外圧によって誕生したものといってよい。5)  男女平等の思想は定着していなかったが、国際経済の中では平等の思想を取り入れていかなければならない。従来の日本的経営システムが維持してきた若年、壮年の男性を中心にした効率的な企業体系を変えずに女性を取り込むために多くの企業はコース別人事管理制度を取り入れた。

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引用文献

1)総務庁行政監察局編『女性の能力発揮を目指して-雇用の分野における女性の現状と課題』34頁、大蔵省印刷局、1997(平成9)年。

2)総務庁行政監察局編、前掲書、29-36頁。

3)竹中恵美子編『新・女子労働論』87-88頁、有斐閣選書、1991年。

4)熊沢誠『女性労働と企業社会』46-47頁、岩波新書、2000年。

5)篠塚英子『女性が働く社会』8頁、頸草書房、1995年。