今日は久しぶりの青空。暑くなりましたね。ずっと洗いたかったクッションと敷物を一枚洗濯&ベランダの鉢植えの残骸をひとつようやくごみに出して少しすっきり。まだまだ断捨離は続いていきます。少しずつ、少しずつ・・・。
二連休は相変わらずのひきこもりでした。先週があまりにも長くてようやく休んだ気になりました。今週また土曜出勤。幸いなことに来週の月曜が祝日なのでまた二連休になります。ほっとしていますが、今週をクリアできたとしても土曜出勤はまだ5回も残ることになります。今週のお昼休憩は13時30分からが4回もあるし、ぞっとします。長い、あー長い、ほんとに長い。やれるところまでやれればそれでいいです。いろいろと勉強にはなりますが、そこまで無理してやるほどのことでもない・・・。明日は正直ベースで話せる女性が土曜休みで不在。オバチャンたちがひしめきあうせまいところにきついなあ。心の底から行きたくない。前職のカイシャにもこうやって心の底から行きたくたいと思う夜を過ごしながら何年も行き続けてしまいました。こんな夜がどれほどあったのか。働くとはなんなのか・・・。
昨夜夢の中に、前職のカイシャで一緒だったY君が登場してしまいました。たぶん明け方にかけてわりと長く夢をみていたような気がします。わたしのなかに区切りのついていないものが残っているっていうことなのか・・・。10年余り前彼が某有名私立大学の大学院を卒業して新入社員でカイシャに入って来た頃席がお隣どおしでした。当時のK部長を背中にするような席割で彼が海外出張で何か月も不在になると精神的にかなり辛い席割でした。彼が一か月、三か月と海外出張が決まってしまうとなんともさみしいような心細いような気持ちになりました。海外出張から帰国して出社してきても、K部長のストレスのはけ口となり、またわけのわからないアルバイトと二人だけで留守番しなければならなかったわたしは疲れ果ててしまっていて笑顔で「おかえりなさい」と言うことができませんでした。なにも言わないわたしの隣の席に、出社してくると静かに座ってくれて、わたしから声をかけるまでなにもいいませんでした。彼はわたしが二人分の仕事量をこなしていて大変だということもわかっていました。彼だけではなく部署の中でわかっている人はみんなわかっていたんですけどね、とにかく3年ぐらいかな、席がお隣さんだったので苦労を分かち合っているというような思いがわたしのなかにはありました。彼はわたしをモノ扱いしたM部長といつの間にか仲良しで、3年前の4月、部長に昇進したばかりのM氏がわたしをやめさせるために社員の募集をかけていたこと、でも応募はほとんどなかったこと、結局ハケンを探し続けていることを知っていました。わたしがモノ扱いの使い捨てにされようとしていると認識できていたかどうかはわかりませんがM氏がわたしをやめさせようとしていることを知っていました。
でも同時にいろいろと業務上の困ったことで相談すると、「たんぽぽさんがわかっていればいいことなんですから・・・」と、相変わらずわたしを頼りに、わたしがその後もカイシャに勤め続けることを前提としなければ成り立たないようなことも言っていました。ちょっとずれたところのある変わった人なのでよくわかりませんが、M氏がわたしの交替を探していることを知りながら、わたしをあてにし続けようとしていたということになります。彼はいつM氏がわたしの交替を探していることを知ったのか・・・。もう二度と会うことはありませんが、もし会うことがあればきいてみたいものです。いつ、なにを知ったのか。さんざんわたしをあてにして頼りにしながら使い捨てにされようとしていることをどの程度知っていたのか。哀しいもんですね、カイシャって。個人の人生を踏みつけにしなければ生き残っていけないようなカイシャなんて要らないと思います。組合と相談して和解内容にメールでみなさんに挨拶することを認めてほしいという内容も入れようとしましたが弱い者いじめにかけては腕利きの弁護士が出てきて踏みつけにされました。13年働いたカイシャ、仲間にお別れの挨拶をする機会も何もかも弁護士に踏みつけにされたまた、カイシャになんの責任もないよって放り出されたわたしは、自分を責めなんどもなんども涙を流し、今もまだこうしてきっちりと区切りをつけることができないままひきずっています。アホじゃね、全く。彼もそろそろ30代後半、40歳の頃が聞こえてくるころ。結婚したじゃろうかね。どうでもいいですが・・・。
先週平方さんのツィッターに清史郎君が久しぶりに登場したのをみて2012年エリザが懐かしくなり、平方さんのブログを読み返していました。2012年6月26日付の記事に、ハニカミスーパースマイルの清史郎君と平方さんのツーショットのお写真。懐かしい。
http://ameblo.jp/hirakata-genki/
この頃大野さんと岡田さんのブログにもたびたび清史郎君が登場していました。また別の日にたどってみよっと!!
二連休は相変わらずのひきこもりでした。先週があまりにも長くてようやく休んだ気になりました。今週また土曜出勤。幸いなことに来週の月曜が祝日なのでまた二連休になります。ほっとしていますが、今週をクリアできたとしても土曜出勤はまだ5回も残ることになります。今週のお昼休憩は13時30分からが4回もあるし、ぞっとします。長い、あー長い、ほんとに長い。やれるところまでやれればそれでいいです。いろいろと勉強にはなりますが、そこまで無理してやるほどのことでもない・・・。明日は正直ベースで話せる女性が土曜休みで不在。オバチャンたちがひしめきあうせまいところにきついなあ。心の底から行きたくない。前職のカイシャにもこうやって心の底から行きたくたいと思う夜を過ごしながら何年も行き続けてしまいました。こんな夜がどれほどあったのか。働くとはなんなのか・・・。
昨夜夢の中に、前職のカイシャで一緒だったY君が登場してしまいました。たぶん明け方にかけてわりと長く夢をみていたような気がします。わたしのなかに区切りのついていないものが残っているっていうことなのか・・・。10年余り前彼が某有名私立大学の大学院を卒業して新入社員でカイシャに入って来た頃席がお隣どおしでした。当時のK部長を背中にするような席割で彼が海外出張で何か月も不在になると精神的にかなり辛い席割でした。彼が一か月、三か月と海外出張が決まってしまうとなんともさみしいような心細いような気持ちになりました。海外出張から帰国して出社してきても、K部長のストレスのはけ口となり、またわけのわからないアルバイトと二人だけで留守番しなければならなかったわたしは疲れ果ててしまっていて笑顔で「おかえりなさい」と言うことができませんでした。なにも言わないわたしの隣の席に、出社してくると静かに座ってくれて、わたしから声をかけるまでなにもいいませんでした。彼はわたしが二人分の仕事量をこなしていて大変だということもわかっていました。彼だけではなく部署の中でわかっている人はみんなわかっていたんですけどね、とにかく3年ぐらいかな、席がお隣さんだったので苦労を分かち合っているというような思いがわたしのなかにはありました。彼はわたしをモノ扱いしたM部長といつの間にか仲良しで、3年前の4月、部長に昇進したばかりのM氏がわたしをやめさせるために社員の募集をかけていたこと、でも応募はほとんどなかったこと、結局ハケンを探し続けていることを知っていました。わたしがモノ扱いの使い捨てにされようとしていると認識できていたかどうかはわかりませんがM氏がわたしをやめさせようとしていることを知っていました。
でも同時にいろいろと業務上の困ったことで相談すると、「たんぽぽさんがわかっていればいいことなんですから・・・」と、相変わらずわたしを頼りに、わたしがその後もカイシャに勤め続けることを前提としなければ成り立たないようなことも言っていました。ちょっとずれたところのある変わった人なのでよくわかりませんが、M氏がわたしの交替を探していることを知りながら、わたしをあてにし続けようとしていたということになります。彼はいつM氏がわたしの交替を探していることを知ったのか・・・。もう二度と会うことはありませんが、もし会うことがあればきいてみたいものです。いつ、なにを知ったのか。さんざんわたしをあてにして頼りにしながら使い捨てにされようとしていることをどの程度知っていたのか。哀しいもんですね、カイシャって。個人の人生を踏みつけにしなければ生き残っていけないようなカイシャなんて要らないと思います。組合と相談して和解内容にメールでみなさんに挨拶することを認めてほしいという内容も入れようとしましたが弱い者いじめにかけては腕利きの弁護士が出てきて踏みつけにされました。13年働いたカイシャ、仲間にお別れの挨拶をする機会も何もかも弁護士に踏みつけにされたまた、カイシャになんの責任もないよって放り出されたわたしは、自分を責めなんどもなんども涙を流し、今もまだこうしてきっちりと区切りをつけることができないままひきずっています。アホじゃね、全く。彼もそろそろ30代後半、40歳の頃が聞こえてくるころ。結婚したじゃろうかね。どうでもいいですが・・・。
先週平方さんのツィッターに清史郎君が久しぶりに登場したのをみて2012年エリザが懐かしくなり、平方さんのブログを読み返していました。2012年6月26日付の記事に、ハニカミスーパースマイルの清史郎君と平方さんのツーショットのお写真。懐かしい。
http://ameblo.jp/hirakata-genki/
この頃大野さんと岡田さんのブログにもたびたび清史郎君が登場していました。また別の日にたどってみよっと!!