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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

「大草原の小さな家」への旅_2日目(ミネソタ州)

2014年10月26日 14時12分18秒 | 「大草原の小さな家」への旅
2013年9月5日(木)

時差に体がついてこず、やはり2-3時間おきに目がさめてしまう。
インターネットをつなごうとしたりするから朝起きられず、腰はガチガチ。
ちょっと曇り空。朝は寒い。

7時半モーニングコールで起床。
荷造りに1時間ぐらいかかってしまう。
朝食の時間があるようでなくて急ぐ。

9時半ホテル出発。

ぺピンの街の中心にある歴史博物館を見学する。

ローラ・インガルス・ワイルダー・パーク。
夏のキャンピングカー用の公園、特に何もない。


ぺピン湖畔で『大きな森の小さな家』の場面と同様に小石拾い。
湖畔のショップは殆どClose。
(湖畔は磯の香がした。)

アメリカ大陸を横断する列車を3回見ることができた。
①穀物を運ぶ列車 ②貨物車 ③各国からの輸入品を運ぶ列車

車輌の数も多くてすごい迫力だった。
豪快に汽笛を鳴らして走って行く。
これぞアメリカ。

ミネソタ州内ワバシャの街でハンバーガーの昼食。
お肉が苦手であることを伝えてあったので、私だけベジタブルバーガー。
すごいボリュームだが、おいしのでなんとか完食。
ワバシャは、西部劇のような街並み。
収穫祭の準備らしき飾り付けが見られる。
渇いた感じが、アメリカっぽい。

バスで大草原の中をひた走る。
こんな所を昔は馬車で移動したんだ。
アメリカの開拓民の原点に触れた思い。

途中大型マーケット、WallMartで買い物タイム。
庶民生活の一部を垣間見る。

ニューウルム(ミネソタ州、ドイツ系移民の街、街並みがドイツっぽい)の
Holiday Inn泊。
食事もドイツ料理、街で一番古いレストラン。
私にはサーモンとポテトを用意してもらっていて、おいしいが大きすぎて食べ切れずに
残念。

それにしても、包丁だけでも何種類もある、繊細な日本料理ってすごいな、と
お昼を食べながら思ったのでした。

復習-ローラはウィスコンシン州ぺピンに生まれる。ミネソタ州に7才で移り住み、移動を繰り返す。ごっちゃになっている。


****************

一日目の写真がまだ少しありますがまた後日載せますね。






復元された丸太小屋の看板。
(丸太小屋があるのはウィスコンシン州、ローラが生まれたのはウィスコンシン州)





ぺピン湖畔歴史博物館より、『大きな森の小さな家」の初版本(1932年)。




「大草原の小さな家」への旅_ウィスコンシン州ぺピン(丸太小屋の復元_3)

2014年10月15日 21時21分58秒 | 「大草原の小さな家」への旅
「丸太小屋の裏手には、赤茶色に輝く毛がもさもさした立派なトウモロコシが、澄み渡った空に向かってまっすぐ伸びていた。ローラのころにはたくさんいた野生動物は、森が失われたために影も形もなかったが、なだらかな丘陵が広がり、気持ちのよい一帯だった。

 それから私たちは、西へ向かい、ミシシッピ河を渡った。」

(松本侑子著『アメリカ・カナダ物語紀行』平成21年発行、幻冬舎文庫、165頁より引用しています。)


丸太小屋の中から外を撮ってみました。




内部に展示されていたローラさんの写真。
ぶれてしまいましたが、左が作家になってから、右が10代。





インガルス一家、三姉妹の写真。左から、妹のキャリー、姉のメアリー、ローラ。




ローラさんが移動した場所の地図。
テレビドラマの舞台となったのは、ミネソタ州ウオルナットグローブです。




作家になってからのローラさん。




丸太小屋の内部。


「大草原の小さな家へ」の旅_ウィスコンシン州ぺピン(丸太小屋の復元_2)

2014年10月10日 22時02分15秒 | 「大草原の小さな家」への旅
「私たちが見学したのは、それをさらに改築したものだった。初めてアメリカの丸太小屋を見たが、皮をはいだ木肌はすべすべして、清潔な家だった。中へ入ると、天井が低い。暖房のためと、昔の人は小柄だったからだろう。たとえばローラは、成人後の身長が145センチくらいだった。

 ローラが生まれた小屋は、183号線から少し外れていたが、観光客が見つけにくいので、道路に面した場所に復元されたという。子どものころにローラがブランコをした大きな木もなく、あたりはほとんど畑になっていた。小屋のある敷地は広く、芝生でおおわれ、井戸、洗面所、案内板も整備されていた。」

(松本侑子著『アメリカ・カナダ物語紀行』平成21年発行、幻冬舎文庫、165頁より引用しています。)



暖炉の写真をもう一枚。




内部の写真を数枚。

















展示されていたインガルス一家の写真。




全景をもう一度。









「大草原の小さな家」への旅_ウィスコンシン州ぺピン(丸太小屋復元_1)

2014年09月27日 22時43分54秒 | 「大草原の小さな家」への旅
「(ぺピン)湖畔から183号線を通り、ローラが1867年に生まれた丸太小屋へ向かった。
 183号線は、ローラの父さんが、丸太小屋からぺピンの町まで、馬車や徒歩でとおった森の中の道だ。それが舗装されて道路になったのだ。ローラのころはどこまでも木立がつづいていた大きな森も、今ではほとんど開墾されている。

「小さな家」シリーズの第一巻『大きな森の小さな家』は、1932年に発行され、アメリカで広く読まれた。しかし全米的な大ブームになったのは、1974年にアメリカでテレビドラマが始まってからだ。ドラマの人気が高まるにつれて、ローラが生まれた丸太小屋についての問い合わせが増えた。そこでぺピンの歴史協会が、丸太小屋の跡を探しだして、1970年代に復元したのだ。」

(松本侑子著『アメリカ・カナダ物語紀行』平成21年発行、幻冬舎文庫、164-165頁より引用しています。)



小屋のまわりを一周してみました。










台所、左手に暖炉が見えます。





「大草原の小さな家」への旅_出発&1日目(ウィスコンシン州ぺピン)

2014年09月23日 14時36分01秒 | 「大草原の小さな家」への旅
2013年9月2日(月)は夜11時頃まで働いたなあ。

2013年9月3日(火)はがんばって有給休暇取得。
荷物(赤いトランク)をお昼に空港に送る。やっぱりいろいろと詰め込んでしまった。
緊張してくる。
成田エクスプレスのチケットを確認し直したり、いろいろと・・・。
最寄駅までのタクシーも頼んだ。そうしないと部屋を出られない。
緊張・・・。

2013年9月4日(水)

11時40分:成田エクスプレス乗車
15時50分:デルタ航空622便ミネアポリス行き搭乗

朝9時過ぎに地震。蒸し暑い。緊張。
ツアーだと思ってのんびりかまえていたけど、やっぱりバタバタ、色々と大変だ。
デジカメの充電器が行方不明で新しく買ったり、靴もやっぱり買ったりいろいろ・・・。
一週間、地球の裏側へ行くって大きい。
まもなく離陸。今さらだが成田空港で迷子になった。情けない。
あまり揺れなかった。機内寒い。
薬にたよってぼちぼちと眠った。

現地時間12時45分:ミネソタ州ミネアポリス・セントポール国際空港着

入国審査に一時間かかった。
なんだか外は暑く、中は冷房の効きすぎが多い。

ミネソタ州ミネアポリス⇒ウィスコンシン州ぺピン

ローラの生家(丸太小屋復元)見学
メアリが通った学校の跡(今はとうもろこし畑)

ぺピンの丘陵はローラが人生の後半を過ごしたマンスフィールドとよく似ている。

ミシシッピ河を渡り、ぺピン湖畔(ミネソタ州)のレイクシティホテルへ。
夕食はホテルの反対側のレストランでお魚のフライ、たぶん鱸(すずき)。
おいしいが大きくって全部は食べきれず・・・。

ほんとに何もない田舎地帯。
今はアスファルトにおおわれている道も100年前は森の中で、馬車か徒歩で移動した。
電気もなく真っ暗な所をすごいなあ。
今の時代には考えられないような暮らしが、ほんの100年前にはあったんだ。
子どもの頃、本を読んでも意味がわからなかった。
テレビドラマをみていても殆ど何もわかっていなかった。
本当の「大草原シリーズ」の世界がここにある。
不思議な感じだ。はじめて訪れたアメリカ。
渇いている。

個人旅行のようなきだぞっていう感じではないが、自力でこようとしたら大変だし、
たぶん二度と来ることはないだろうし。一度はみておきたかった。体で感じたかった。
明日からもボチボチとがんばろうと思う。
丸太小屋は、ほんとに小さくて質素。
本に描かれているように隙間がいっぱいあって寒かっただろうな。
父さんは余裕があれば隙間を埋めることができた。
周囲はほんとに何もない・・・。
外灯だってあるわけじゃなし。ただただ森(今はかなり切り開かれてはいるが・・・)。
これが大草原の世界。
アメリカの原点なんだなあ・・・。
来てみないと、自分の目で確かめないとわからなかった。
勉強になった。

時差14時間。
携帯が勝手に表示してくれるので、あまり頭を使っていない。
便利になっていいんだかなんだか・・・。

ぺピン湖畔
AmericInnLodge&Suite泊(ミネソタ州)
こじんまりとした田舎のカントリーインだ。

***********

時差で長い一日は終わりました。
やっと書けました。
写真は、ローラが生まれた丸太小屋の復元です。
テレビドラマの放映によって復元され、実際にあった場所からは少し離れているそうです。
他にも写真はあるので少しお待ちください。

「大草原の小さな家」への旅_ミズーリ州マンスフィールド(ローラとアルマンゾの家で)

2014年07月01日 14時05分57秒 | 「大草原の小さな家」への旅
2013年9月7日の写真からまた一枚だけですが・・・。
私たちが訪れた日の夜、野外劇場でローラ役を演じる女優さんと偶然会うことができました。

ローラとアルマンゾの家に併設している売店の前で写真を撮らせていただきました。
きれいな方ですね。
バスで離れようとする時に彼女がローラの扮装で馬車に乗って通ったそうですが、
私は見逃してしまいました。


「大草原の小さな家」への旅_ミズーリ州マンスフィールド(ローラとアルマンゾの家)

2014年06月14日 16時27分18秒 | 「大草原の小さな家」への旅
2013年9月の「大草原の小さな家」への旅から、また一枚だけですがアップします。

アメリカ南部ミズーリ州マンスフィールド、ローラとアルマンゾが暮らした家の外観です。

ローラが作品のほとんどを書き、最期を迎えたこの家は、ほとんどが夫アルマンゾの手作りで
あたたかさに満ちていました。
こうして外観だけですが写真をあらためてみて、旅日記を読み返してみると、その時感じたあたたかさが体の中によみがってきます。

「大草原の小さな家」への旅_ミネソタ州ウオルナット・グローヴ(2)

2014年05月13日 09時07分44秒 | 「大草原の小さな家」への旅
2013年9月の「大草原の小さな家」への旅から、ようやくまた写真を何点かアップしてみます。

テレビドラマの舞台となったミネソタ州ウオルナット・グローヴのローラ・インガルス・ワイルダー博物館からです。

旅日記を載せようかと思っていますが、まだ先になりそうです。
(ツアーでご一緒だった方々の旅日記はとっくに終わっていますが、いろいろと書きたいことがあるので自分のペースでいきます。)


上の写真は、ローラの家のミニチュア。



博物館前の幌馬車。
これに馬をつないで家財道具一式を積んで家族5人で、何百キロも移動しました。
命がけでした。考えられない。すごいです。




ローラの父さんと母さんの結婚当時の写真。




姉さんのメアリ。
病気の高熱のため失明し、盲学校に通いました。
聡明さがうかがえます。




ドラマでネリーを演じた女優さん。なぜかネリーが人気者のようです。


「大草原の小さな家」への旅_ミネソタ州ウォルナット・グローヴ(1)

2013年10月27日 11時21分35秒 | 「大草原の小さな家」への旅
9月の旅の写真をようやくパソコンに取り込んでいます。
少しずつですが、紹介できればと思います。
(旅日記はまだまだ先になります。)

ミネソタ州ウォルナット・グローヴは、テレビドラマ「大草原の小さな家」の舞台となった場所で、ローラ・インガルス・ワイルダー博物館には、ドラマの場面や登場した俳優さんたちの写真が展示されていました。


いじわるネリーを演じた女優さんの現在の写真とサイン



こちらもネリー
なぜかネリーが人気者のようで、お昼を食べたレストランは「ネリーズ・カフェ」でした




ドラマの場面_ローラとネリー



オルデン牧師 ネリーとピードル先生 
懐かしいです




こちらもネリーを演じた女優さんの現在
2010年8月とあります
ドラマの印象が強いので不思議な感じです




キャリーを演じていたのは双子ちゃんでした




今DVDでドラマを観てみると、10代の頃には全く気づいていなかった発見があったり、そういうことだったのかと納得したり、同じ場面を何度も観た記憶があるので、こんな場面あった、あったと懐かしかったり、色々です。
今はこれぐらいです。


ささやかなブログに訪問していただき、ありがとうございます。
少しずつ思い出を整理し、お別れしながらやっています。
一回一回魂を込めて書いているので正直疲労もありますが、まだまだエネルギーがある今、
書き切っていきたいと思っています。

仕事がほんとに忙しくてきつい面もありますが、こうしてブログを書いたり、本を読んだりすることで、キュッキュッとへんてこりんにねじれた心を真っ直ぐに取り戻し、自分らしく呼吸できるようにもなります。

私のような立場の者もこうして日々闘いながらどうにかこうにか生きている、一生懸命に生きている、そのことが誰かの励みになっていれば幸いです。

引き続き、よろしければおつき合いください。


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「大草原の小さな家」への旅から帰国しました

2013年09月14日 17時33分08秒 | 「大草原の小さな家」への旅
2013年9月10日(火)の夕刻、無事に最終訪問地のロサンゼルスから帰国しました。カラッとした所から帰ってくると涼しくなっているとはいえ、蒸し暑い・・・。

翌11日(水)の朝は-16時間の時差と疲労をたっぷりとひきずったままなんでもないような顔をしていつものように職場へ。静かにパソコンの前でたまった仕事を黙々とこなしていきます。
頭クラクラ、目はチカチカ、山のようなメールをみているだけで吐き気がしてきましたが、周りの人たちは月曜日から働いているし、海外に出かけることが日常になっている職場環境なので、11時間あまり飛行機にゆられてフラフラ状態でいることは表に出さないように、心の中では必死でした。

お昼のパスタは、水で流しこむようにしていただき、夜は空港から送ったスーツケースを受け取るためにいつもよりは早目に帰宅。宅配の業者さんに無理をいって夜の9時頃配送してもらい、無事受け取り。一気に洗濯をすませます。

3日間でたまっていた仕事は片づけ終わり、連休初日。また体に無理をさせてしまったなあというのが正直な実感です。

でもこの機会を逃したらたぶん生きている間に行くことはないであろう所をめぐる旅だったので、いろいろな学びもあり貴重な機会だったと思います。

旅日記と写真のアップはまだまだ先になりそうですが、4日目のアメリカ南部ミズーリ州マンスフィールドのローラと夫のアルマンゾが後半生を過ごし最期を迎えた家とお墓を訪れた時がいちばん深く心に残っており、まとまりが悪いですが少し書きたいと思います。


「2013年9月7日(土)

6時30分:起床
8時10分:ホテル出発(私が少しおくれた)

車でローラとアルマンゾが暮らした家に向かう。
およそ3時間。
車窓からは豊かな丘陵地帯が広がっている。
ローラが作品の殆んどを書き最期を迎えた家は、ほとんどがアルマンゾの手作りでこじんまりとしているが使いやすそうであたたかさに満ちた、とても居心地のいい空間だった。(立ち去りがたい。)145センチのローラの高さに合わせた調理台、ダイニングルームの揺り椅子、ローラの書斎の机と椅子、一休みするためのソファもローラのサイズに合わせて小ぶりで使い勝手がよさそうだった。オットマンも足元にちゃんとあった。

客間の暖炉の石はローラが農場から見つけてきたもので、アルマンゾはレンガを考えていたがローラはこれがいいといって譲らなかったそうだ。ジフテリアにかかって足が不自由になったアルマンゾの杖、ラグもアルマンゾの手作りだそうだ。
台所と居間の間は、台所でつくった食べ物をそのまま渡し、食べ終わればまたそのまま食器を受け取れるような造りになっていて機能的。居間のランプも手作り。客間のお客様を迎えるテーブルと椅子も手作り。窓からは目の前に広がる農場の景色が眺められるようにローラはカーテンをかけなかった。

2階にはあがれなかったが、娘のローズのために小さな階段がしつらえてあった。
寝室のローラの三面鏡、アルマンゾの洋服ダンス、ベッド、全て手作り。
姉のメアリが盲学校に行くために乗った汽車の絵が寝室の壁にかけられていて感動。
トイレとバスタブも小ぶりだが備わっていた。



ローラとアルマンゾの木造の家



目の前の広大な農地もローラたちのものだった。



農場内の風景



隣の博物館では、農地を買うための100万ドルをしまっていたペン箱、ローラが護身用にもっていたリボルバー銃など、ゆかりの品々をみた。
博物館も感慨深かった。
父さんと母さんの結婚証明書、幌馬車で移動しながらも大事にもっていたんだ。盲目のメアリの写真と点字の手紙、手作りの品。写真からは聡明さが感じられて感動。
妹のキャリーとグレイスの写真も、それぞれに意志の強そうな顔立ちだった。

父さんと母さんの前向きに生きる力、不屈の精神、自ら人生を切り開いていく力、それらはローラ達姉妹にしっかりと受け継がれ、ローラの娘ローズへとつながっていった。言葉に言い尽くせぬ感動。

ローラとアルマンゾがサウス・ダコタ州のデ・スメットを離れ、マンスフィールドを目指して40日かけて移動した際に乗った馬車(WAGON)の3/4のレプリカも博物館で見た。

自らの人生を自らの手で切り開き、数々の困難を乗り越えていったローラの強さ。アルマンゾを愛し愛されながらも寄りかからず(ローラは結婚式で当時としては珍しく「夫に従う」という言葉は言わなかった)、自らの人生を生き抜いたローラの不屈の精神に触れることができた。素晴らしかった。父さんと母さんのもとで育てられたからこそのローラの人生だったんだと思う。うまく言えないがすごい人だったんだと肌で感じることができた。

ジャーナリストだった娘のローズが当時よく売れた小説によって得た収入でローラとアルマンゾのために買った「石の家」も同じ農地内にあった。電気が通り、近代的な設備で家具も高価。とてもお金をかけられているが居心地の良さは木造の家にはかなわない。二人は8年間暮らしたが、最初の家に戻って最期を迎えたそうだ。納得。


娘ローズが建てた石の家の案内板



二人のお葬式が挙げられた教会は現在はない。建て替えられた教会の外観のみ見学。
最後にローラとアルマンゾ、ローズが眠るお墓にお参り。造花が飾られているところがアメリカらしい。この下で眠っているんだなあと思うと感動がこみあげてくる。二度とくることはないと思うので立去りがたく、手を合わせて墓石をなでてお別れした。


写真は撮れなかった分心に焼きついた、最もローラの生き方に触れることができた一日だった。
たくましく二つの世界大戦も生き抜いて90才で人生を全うしたローラに出会えてよかった。手を合わせながらお礼を言った。

父さんと母さんは特別しっかりとした家庭を築いた人たちだったんだろうと思う。父さん・母さん・メアリがこの世を去り、ローラは晩年にさしかかって人生を振り返った時物語として書き残しておきたくなった、その気持ちに触れることができた。
精一杯生き抜いた人生だったと思う。ローラの子孫は絶えてしまっているが、こうして受け継がれていくんですね。

中学・高校生の頃だったと思うが家に帰ってテレビをつけると、いつもローラをやっていた。台所では母が夕食の仕度。そんな光景も今もおぼろげに思い出す。色んな事が起こり、父も母も今はもうこの世にいない。自分と重ね合わせて考えると涙が出てきてしまった。私も一生懸命生きなくっちゃ。

妹の遺品の中にあった(妹の手作りの)小花模様のスカートをはいた。一緒に旅をして、一日を過ごすことができてよかった。急に思い立ってスーツケースに入れたがよかったと思う。



                              ミズーリ州セントルイス泊」



長い文章におつき合いくださり、ありがとうございました。