goo blog サービス終了のお知らせ 

たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

大草原の小さな家への旅_ミネソタ州ウォルナット・グローブ_博物館より(6)

2018年08月26日 19時37分13秒 | 「大草原の小さな家」への旅
 リアルタイムの世代には懐かしい写真を一気にアップ。


 ローラの父さんはもうこの世にいませんがこうして受け継がれいるんだなあと感慨深かったです。子供の頃はわかっていませんでしたが、今DVDで見返しているとローラも姉さんも夜寝間着に着替えたあと裸足で家の中を歩いていますね。お手洗いは家の外。家の周囲はなんにもない文字通り大草原。きびしい環境の中を生き抜いたんだあと。



































 久しぶりにようやく更新できました。この旅を最後に色々とありすぎて海外へ飛び立っていません。また飛び立ちたいなあ。要らないものをそぎ落として、自分の人生にとって本当に必要なものだけにして、また飛び立ちない。道のりは遠いです。この世にいる間に叶うかしら。


「大草原の小さな家」への旅_ミネソタ州ウォルナット・グローヴ_父さんの鐘

2017年06月03日 19時45分51秒 | 「大草原の小さな家」への旅
 ローラの父さんが鐘の代金を寄付した教会。わたしたちツアー一行のために鐘を鳴らしてくださいました。携帯で録音しました。音源をご紹介したいのですがブログへのアップロードの仕方がわからずとりあえず写真のみです。ごめんなさい。


トップの写真は、作家生活に入ってからのローラさん。







「大草原の小さな家」への旅_ミネソタ州ウォルナット・グローヴ_復元された建物(2)

2017年05月21日 22時59分09秒 | 「大草原の小さな家」への旅
ようやくまたアップ。
復元されたおばあさんの家に展示されていた当時の生活用品。


今のように電化製品はなかったので、ミルクの搾って攪拌するのも、洗濯をするのも、全てが手作り、手作業でしたね。

















「大草原の小さな家」への旅_ミズーリ州マンスフィールド_ローラが眠る墓地

2017年03月20日 16時12分38秒 | 「大草原の小さな家」への旅
 今日は春のお彼岸。わたしが住んでいる部屋の裏手にあるお墓には、真新しいお花が飾られています。こうした季節の変わり目の、節目、節目にはお墓を掃除して花を手向けて手を合わせる日本の風景。湿り気のある風土から生まれる死者を悼む心。3.11で行方不明になっている方々のご遺体を今も探し続ける日本。

 広大な、渇いたアメリカ大陸に広がっている広大な墓地。ローラとアルマンゾ、娘のローズが眠る墓地。遠く、バスの中からお花が手向けられている様子はとてもきれいにみえましたが、間近でみると花は全て造花でした。ワイルダー一家が眠るお墓に手向けられていた花も造花でした。湿り気のある日本とドライなアメリカの風土、死生観の違いを感じました。
だから、アメリカの仕組みをそのまま日本に持ち込むのはちょっと違う、労働者の使い捨てを合法化してしまうのは日本の風土には合わないのででやめましょうよと思うのですが、こういう話をし始めると旅日記とは違う方向にいってしまうのでやめておきます。ただこの旅で、日本とは違う、アメリカ大陸をわたしなりに感じました。

 ローラは1957年、90歳の天命を全うしました。すさまじい生命力を肌で感じたひとときでした。詳しいことは2013年9月14日に載せた旅日記に書いています。よろしかったらのぞいてください。


 「A long time ago,when all the grandfathers and grandmothers of

today were little boys and little girls or very small babies,or

perhaps not even born,Pa and Ma and Mary and Laura and Baby Carrie

left their little house in the Big Woods of Wisconsin.

They drove away and left it lonely and empty in the cleaeing among

the big trees,and they never saw that little house again.」

ローラが60歳を過ぎてから書き始めたシリーズの2巻「大草原の小さな家」の書き出し。ローラたちが生まれたウィスコンシン州ぺピンの丸太小屋を離れ、幌馬車に家財道具一式を詰め込んでミシシッピ河を渡り西部へ旅立とうとしています。一家が丸太小屋に再び住むことはありませんでした。ローラの父さんには放浪癖があり、物語になっているよりたくさんの移動を繰り返し、ローラが6歳までに11回ぐらい引っ越していたそうです。


 まだまだ色々とぐちゃぐちゃで整理しきれていませんが、ようやくまた更新できました。






ローラが眠る墓地を示す看板。



ローラとアルマンゾが眠るお墓。







隣には娘のローズが眠っています。








「大草原の小さな家」への旅_ミネソタ州ウォルナット・グローヴ_復元された建物(1)

2017年02月04日 16時38分48秒 | 「大草原の小さな家」への旅
 ブログへの訪問、ありがとうございます。

 「大草原の小さな家」への旅、久しぶりの更新になります。テレビドラマの舞台となったミネソタ州ウォルナット・グローヴは、ローラゆかりの品々が展示された「ワイルダー博物館」の周囲に教会・学校・おばあさんの家などこじんまりとした建物が復元されていました。開拓当時の暮らしぶりがしのばれますね。


教会



おばあさんの家、ここから家事のための品が展示されていました
アイロンの日、洗濯の日と一週間の家事のスケジュールを決めていたことや暮らしの様子が書かれていますね



当時の台所





電話ですね



アイロンですね



こちらは「ワイルダー博物館」のローラの手紙やはがき



 
 高校生の頃、家に帰ってテレビをつけると「大草原の小さな家」が放映されていました。何度も再放送されていたと思います。台所では母が食事の支度をしていました。家族は幸せだと思っていた頃の、幸せだった家族の記憶はたしかにわたしの胸に刻まれています。もうすぐ母の命日。妹も父も母もお星さまになった現在(いま)、命とは、生きるとは、家族とは・・・、深い思いのなかで再び出会う「大草原の小さな家」。つつましく誠実に、日々の暮らしを営んでいくこと、一生懸命に生きていくことはなんと尊くかけがえのないことかと思います。突然無責任に労働権を奪われた経験をし、今は普通の暮らしを営むことが難しい方々と出会う日々を送っているので、連日長々と書き連ねているようになおさら深くそう想うようになりました。今よりもはるかに一日一日を生きることが困難だった時代に、90歳の人生を全うしたローラの強さにあらためて感服。

 お写真まだまだあります。時々アップしていきますので、よろしかったら気長にお待ちいただければと思います。
コメント (1)

「大草原の小さな家」への旅_ミネソタ州ウォルナット・グローヴ(博物館より)(5)

2016年08月11日 15時07分03秒 | 「大草原の小さな家」への旅
ローラのとうさん。イケメンですね。



「その日の夕方、父さんは、外仕事をするのにいつもより早く出ていき、ジャックもとうさんのうしろにぴったりくっついていきました。ジャックは、二度ととうさんから目をはなすまいと、思いつめてでもいるようでした。

 やがて、とうさんもジャックも、雪にまみれて寒そうにもどってきました。とうさんはトントンと足踏みしてブーツの雪をはらい、古い外套と帽子を、よせかけ部屋の扉のわきの釘にかけました。「また風が出てきた。夜が明ける前に、また吹雪がくるぞ」とうさんはいいます。

「あなたがこうして家においでなら、チャールズ、どんなにひどい吹雪になろうと平気ですよ絵」かあさんはいいました。

 ジャックは満足げに腹ばいになり、とうさんはストーブの前にすわり、手をあたためていました。
「ローラ、ヴァイオリンを持ってきてくれたら、何か弾いてあげよう」

  ****

 外では、風の音が高くはげしくなっていました。窓ガラスに、雪がシャシャシャーッとたたきつけています。けれど、ランプの灯に照らされたあたたかい家のなかでは、とうさんのヴァイオリンが歌っているのです。メアリイがテーブルに食器をならべていくと、お皿がかわいい音をカチャカチャたてます。キャリーはゆり椅子にすわってゆらゆらゆすり、かあさんは、テーブルとストーブの間を、しずかに行ったりきたりしていました。テーブルのまんなかに、かあさんは、牛乳わかしの鍋いっぱいの、おいしそうな茶色に仕上がった天火仕立ての豆料理、ベイクド・ビーンズをおき、こんどは四角い焼き皿いっぱいの、金色のトウモロコシパンを天火から出しました。たっぷり油のはいった茶色のにおいと、あまい金色のにおいが、からみあってたちのぼり、あたりにひろがりました。
 
 とうさんのヴァイオリンはわらいながら歌います。

(ローラ・インガルス・ワイルダー作、恩地美保子訳『プラム・クリークの土手で』_41章クリスマス・イヴ、2002年福音館書店発行より引用しています。)



以前にも載せていますが挿絵の原画。美しいです。



以前にも載せていますが、ローラの裁縫箱。



ローラが作ったパッチワークキルト。




ローラが使っていた食器。



「大草原の小さな家」への旅_ミネソタ州ウォルナット・グローヴ(博物館より)(4)

2016年02月28日 16時29分08秒 | 「大草原の小さな家」への旅
 ミネソタ州ウォルナット・グローヴのローラ・インガルスワイルダー博物館より『プラム・クリークの土手で』の挿絵。きれいですね。

 物語には大草原の小さな家が冬の嵐におそわれてふるえている様子がこんなふうに描かれています。

「ローラはベッドにはいりました。真夜中にふっと目をさますと、梯子口からランプの灯がまたついているのが見えました。ベッドからぬけだし、冷たい床に膝をついて、ローラは下をのぞいていました。

 かあさんがひとりぼっちで椅子にすわっています。頭をたれ、身じろぎもしないのに、かあさんは眠ってはいず、膝に組んだ手をじっと見つめていました。ランプは窓ぎわにあかあかと輝いています。

 長いこと、ローラはそのまま下を見ていました。かあさんは身動きしません。ランプは光りつづけています。吹雪は吠えすさび、おびえきった家のまわり一面にひろがる闇のなかを、かんだかい音をたてて何もかも吹きちらしていました。とうとう、ローラはまたこっそりベッドにもどり、がたがたふるえながら横になっていました。

 あるく朝、かあさんが、朝ごはんですよ、とローラに声をかけたのは、いつもよりずっとおそくなってからでした。吹雪はきのうよりなおはげしくなり、荒れすさんでいました。ふかふかした白い霜が窓にべったりつき、すき間などぜんぜんない家のなかでさえ、白砂糖のような雪が、床にもベッドカバーの上にも一面にうすく積もっていました。二階があまり寒いので、ローラは服をひっつかんで、ストーブのそばで着がえをしようと、いそいでおりていきました。」

(ローラ・インガルス・ワイルダー作、恩地三保子訳『プラム・クリークの土手で』福音館書店、372-373頁より)


 なにもかもが手作りで冬の嵐が続けば食べるものがなくなってしまう恐怖と背中合わせの日々をローラは生き延びました。コンビニが24時間開いていて、添加物だらけのものがいつでも手に入ると錯覚している今の私たち。そうではないことが3.11でよくわかったはずですが、すっかり忘れられていますね。この旅の解説者の松本侑子先生が小麦アレルギーになってから食品の原材料表示をよくみるようになったことをHPで書かれています。おでんなどの練りモノに必ずといっていいほど入っている加工でんぷんという添加物。合成薬品だそうです。表示を気にみてみるとおでんセットのみならず、デパートで売っているお弁当にもちょとしたお総菜にも加工でんぷんが入っており、使われていないものを探す方がむずかしぐらいだと知りました。食べるという基本をおろそかにしがちな自分を反省します。忙しくて疲れると辛いですが体がヘンだと感じるものはできるだけ食べないことですね。コンビニで売っているお弁当やスープ、パスタ。気持ち悪くって食べられません。


 ようやく一枚だけですがアップロード。この旅から2年半が過ぎました。もっとずっと長い時が流れたようが気がします。こうしてまた遠くの空へ旅に出る日が訪れるのか、それだけの稼ぎが自分に戻って来る日が訪れるのか、今はため息まじりです。

「大草原の小さな家」への旅_絵葉書集

2015年05月12日 18時23分44秒 | 「大草原の小さな家」への旅
「大草原の小さな家」への旅の更新は久しぶりになりました。
まだまだ写真を載せきれていません。

ため込んできた色々なものを整理しつつ、少しずつ、少しずつ進んでいく毎日です。
ようやく、ローラツアーで買い求めたものやパンフレットを整理することができました。
やっとここまでたどり着いて、少し落ち着いてきたでしょうか。


ローラの写真を使った絵葉書が出てきました。
ミズーリ州マンスフィールドのローラの家の隣の売店で買ったものだと思います。


こうしてながめていると、ほとんどがアルマンゾの手によってつくられた家の中のぬくもりを思い出して元気をもらえるような気がします。
いくつかの意味でかなり無理をして出た旅でしたが、たぶんこの機会を逃していたら二度と行くことはできなかったでしょう。現地に行って自分の目で確かめて肌で感じなければわからないことがたくさんあったし、なによりもストレスをため込んでいた日々の中で、飛び立たないではいられませんでした。
時間もお金もかかるヨーロッパや北米は、この時というタイミングを逃すとなかなかいくことができないので、やはり貴重な機会だったと思います。

ローラの表情に、意志の強さを感じます。



インガルス家の三姉妹。





1885年、新婚のローラとアルマンゾ。




1900年のローラ。
1886年に長女のローズが誕生。
一家は1894年に中西部から中南部のミズーリ州マンスフィールドに移住していました。





1942年のローラとアルマンゾ。ローラ75歳、アルマンゾ85歳。





ウィスコンシン州ぺピンのローラが生まれた丸太小屋が復元されています。
ローラも子どもの頃、きっとこんなふうに元気に駆けていたんでしょうね。





ミネソタ州ウオルナット・グローブの博物館に展示されているローラ手作りのキルト。


「大草原の小さな家」への旅_ミネソタ州ウォルナット・グローヴ(博物館より)(3)

2015年03月19日 22時20分58秒 | 「大草原の小さな家」への旅
ローラの書斎が再現されていました。



ローラの作ったパッチワークキルト。



ローラの手書き原稿。





学校で使ったスレート(石版)。




書斎の椅子。


「大草原の小さな家」への旅_ミネソタ州ウォルナット・グローヴ(博物館より)(2)

2015年03月11日 16時46分46秒 | 「大草原の小さな家」への旅
「ウォルナット・グローヴの博物館は、ぺピンの博物館より大きく、いくつかの建物に分かれていた。開拓時代の家具、衣服などの生活用品を展示した棟、当時の教会と学校を再現した棟など、開拓史の生活を立体的に見せている。

 ローラゆかりの品としては、彼女が縫った紅白のキルト、写真、ローラ生前の新聞記事、ドラマでメアリ役をしたメリッサ・スー・アンダーソンなどの来館記録などがあった。」

(松本侑子著『アメリカ・カナダ物語紀行』平成21年幻冬舎文庫、183頁より)


博物館前の幌馬車。



『プラム・クリークの土手で』の挿絵が何点かありました。









『シルバー・レイクの岸辺で』の挿絵ですね。



ローラのお裁縫セット。