医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

司馬江漢の美挙13

2007年04月18日 18時02分47秒 | Weblog
 写楽は10ヶ月の間におよそ140点の錦絵を残したそうですが、版元は蔦屋(つたや)です。

 ウィキペディアでは

『斎藤月岑(1804年-1878年)が写楽の本名は阿波(蜂須賀家)の能役者斎藤十郎兵衛であると書き残しているが』、

 別人説として『浮世絵師の葛飾北斎、喜多川歌麿、作家十返舎一九、荒唐無稽な説では朝鮮人絵師金弘道など多くの人物の名が挙げられた。』とあります。

 他にもこの謎の浮世絵師は、豊国、そしてこの司馬江漢、若冲のときに少し書いた円山応挙、山東京伝なども疑われ、また写楽とは実はプロジェクトチームであり、「写楽工房説」な~んてのもあったし、写楽=シャーロックなんて説まで・・・写楽斎。

 写楽は誰なのか!?

 これには松本清張や石ノ森章太郎、あるいはフランキー堺氏といった有名どころまで、たくさんの人が研究にかかわり、波紋を広げましたが、現在はなんとなく斎藤十郎兵衛でおさまったようです。



 
 一方、葛飾北斎ですが、僕なんかは素人なもんだから、よく、「東海道五十三次」を広重ではなく、あれ、北斎だったっけ?なんて思っちゃって困るのですが・・・ 北斎は「富嶽三十六景」。

 春信も歌麿も写楽も広重も北斎も・・・ぜ~んぶ混同しちゃいます。

 富嶽とは富士山のことです。

 あの赤富士や、このブログの、黄金比のコーナーで書いたあの神奈川の波のザッパーンってやつね。

 しかし、三十六景といっても、46図あるの??