医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

カラマーゾフ的美意識1

2007年01月16日 13時41分53秒 | Weblog
 遊就館の魔よけのクローズアップ


 そうですか・・・いよいよやりますか、あのカラマーゾフを?

 パンドラの箱を開けちゃうんですね?


 って、こけおどしに終わったりして・・・



 このところ日本では、親が子を虐待したりあやめる事件(その逆もしかり)や、子供のいじめや自殺という悲劇が大き取り上げられております。

 その話を聞くたびに、僕はロシアの文豪、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を思い起こしてしまいます。

 イヴァンがアリョーシャに語った幼児虐待のシーンです。



 子供の頃からわりと一途に読書を続けてきましたが、僕の小さな人生でもっとも大きなダメージを被る一撃は、高校生のときに「安部公房」によってもたらされました。

 脳に鉄槌が打ち込まれ、痺れて動けなくなりました。

 二撃目は、一度高校生のときに挫折し、大学時代に何とか完読したこの「カラマーゾフの兄弟」でした。

 三撃目はガルシア・マルケスによる「百年の孤独」でした。


 映画では、一撃目はフランスのジャン・リュック・ゴダール監督でした。

 二撃目はイギリスのデレク・ジャーマンでした。

 三撃目がチリのアレハンドロ・ホドロフスキーでした。


 音楽では一撃目はレッド・ツェッペリンであり、クイーンであり、ストーンズでした。

 二撃目は忌野清志郎でした。

 三撃目はデビッド・ボウイで衝撃的でした。


 みんな勝手に僕の脳に入り込み、しみこんで他人の脳細胞だと思って、ぐっちょんぐっちょんにかき回して、しびれさせて後遺症を残し、何の反省もしてくれません。

伊東忠太と仏教美26

2007年01月15日 08時25分48秒 | Weblog
 建築顧問が伊東忠太である、遊就館

 ウィキペディアによれば、「Architecture」はそれまで「造家」と訳されてきましたが、伊東忠太は、それでは芸術的な意味合いが抜けているので「建築」と訳すべきと提唱、このため造家学会も「建築学会」に改称したそうです。

 造家学会なんてなんだか間が抜けており、名前を変えてよかったですね。

 忠太はまた大の妖怪好きで、本願寺もそうですが、兼松講堂や震災祈念堂などにも摩訶不思議な動物の彫刻があるそうです。

 京都祇園閣の電球を抱く妖怪も有名です。

 本物の動物とは異なり、だいぶデフォルメされておりますが、僕はノートルダム大聖堂の「ガーゴイル」を連想してしまいます。

 靖国神社の灯篭にも忠太作の高灯篭だけでなく、よく観察すると竜が舌を出しているデザインのものもあり、これもひょっとしたら・・・なんて想像するだけでもちょっとした楽しみです。

 遊就館の柱の魔よけや窓の鉄柵の意匠も、ひょっとしたら忠太っぽく・・・なぁ~んて感じます。

 妖怪が大好きで、妖怪などを描いた漫画も多く残しているそうですが、さらさらっと漫画を描いてしまったり、彫刻もちょいちょいっと彫ってしまうなんて、天才はやはり違いますね。

 今回は身近な仏教なだけに長くなってしまいました。

 他にも忠太がかかわりのある法隆寺のギリシャ様式のエンタシス柱や、付随する法隆寺七不思議にも触れたかったのですが、いつか思い出したらやりましょう。

 靖国神社や伊勢神宮、出雲大社に海上自衛隊、仏教や日本神話・・・ナショナリストとの批判を受けそうですが、僕はペイトリオットのつもりです。

 夕暮れどきに日本橋に神田側から向かってきたときに、右手に見える三井本館と三越の並びを見て、たとえオリジナリティのないものまねだとしても、美しいな、と感じ、この風景を残してもらいたいものだ、と思うだけです。

 キリスト教文化も美しいものは美しく、イスラム文化にも畏敬の念を持ち、サブカルだって、精神や心だって素敵なものは素敵・・・美しいものを堪能し、楽しみたいと願っているだけ・・・そしてこの国にもこの国の美しさがあると思っているだけです・・・あ、読めば分かるって??


-このテーマの終わり- 

伊東忠太と仏教美25

2007年01月14日 09時04分45秒 | Weblog
【靖国神社】

大修理及び新案(1924)と靖国神社神門。

政治的な問題は置いて・・・さすが、本物ですよね・・・ぴっと角がせりあがった屋根はNo.22での金閣でもそうですが、まるでバレリーナの指先のようなしなやかさと緊張感、または異国の少女がスカートの両すそを指でつまんで片足を引いて首を傾けご挨拶をしているようなかわいらしさと優雅さ、もしくは今にも飛び立とうとする小鳥の一瞬の間を髣髴させ(させないか)、千鳥破風、唐破風とも完璧で、重厚です。

菊の御紋が鮮やかな、総ひのき造りの美しい門ですが、創建建築設計実務者となっております。

車で言えば、メルセデスSクラスですね。

銅葺き屋根のグリーンには中国風の朱塗りよりも、こげ茶色か築地本願寺のサンドベージュの方が、日本的だし合う気がしませんか??

物議はありますが、靖国神社「遊就館」も建築物としては、すっきりしてとってもきれいだと思います。

他にも靖国神社石鳥居。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/9/96/PA0_0008.JPG

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Yushukan.JPG


【東京商科大学東校舎本館・図書館】

現一橋大学、ロマネスク風で、ヴィクトリアン(辰野式)ですね。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/c/c1/Hitotsubashi-Univ-Higashi-Honkan.jpg


【伊勢両宮(遷宮)】

前に古事記のコーナーで書いたように、天照大神(アマテラスオオミカミ)を祀る内宮(ないくう)とアマテラスの食事を司った豊受大神(トヨウケノオオミカミ)を祀る外宮(げくう)があり、20年ごとに建て直され、1899年が相当。


【山縣有朋別邸】

明治・大正時代の政治家で軍人、第3代、第9代内閣総理大臣であり、元老・・・法王の異名を持ちます。

別邸は栃木県矢板市にあり、瀟洒ですね。

http://www.tochigi-c.ed.jp/bunkazai/bunkazai/list/861.htm

【法華経寺】

千葉県市川市中山にある日蓮宗大本山の寺院です。

「聖教殿」が彼の作品とのことですが、今度行って見て来ようと思っております。

http://www12.ocn.ne.jp/~kyubun/nakayama.htm

http://www2s.biglobe.ne.jp/~stakers/arch/thokekyo.html


【湯島聖堂大成院】

当初朱塗りにして青緑に彩色されていたと。

たびたび火災で焼失していますが、現在の大成殿は伊東忠太設計により鉄筋コンクリート造で再建されたものだそうです。

ちなみに、御茶ノ水の「聖橋」(ひじりばし)の名はニコライ聖堂と湯島聖堂の間に架けられた橋であることから名づけられているそうなり。

僕が卒後12年在籍した順天堂の秋葉原寄り、医科歯科大学の隣にあります。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/c/ce/Yusimaseido.jpg

伊東忠太と仏教美24

2007年01月13日 06時24分32秒 | Weblog
 最後に、伊東忠太は築地本願寺の他にどんな建物に携わっているのでしょうか。

【平安神宮】

平安京遷都当時の天皇であった第50代「桓武(かんむ)天皇」を祀る神社。

桓武天皇は、平城京における奈良仏教各寺の影響力の肥大化を嫌って、794年に平安京に遷都しました。

続日本紀の編纂を発案したり、空海、最澄を唐に送り、日本の仏教に新たな動きをもたらしたのも功績です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:%E5%B9%B3%E5%AE%89%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E5%A4%A7%E6%A5%B5%E6%AE%BF.jpg


【明治神宮】

荘厳です。

内拝殿の千鳥破風(ちどりはふ=三角)と唐破風(からはふ=湾曲)の組み合わせと、きれいな色の銅板葺き(?)が美しいですよね。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/5/53/Meiji-jingu_naihaiden.jpg

*ここで屋根フェチからの解説です。

屋根には主に「切り妻」(きりづま)と「寄せ棟」(よせむね)があります。

切り妻は、頂部の棟から両側に流れを持つ屋根で三角形の壁が現れるタイプ。

寄せ棟屋根は、四方向に傾斜がある形で、ふたつの三角形とふたつの台形の屋根から構成される屋根です。

全国の妻のみなさまには申し訳ないのですが・・・

妻(つま)という言葉は、建物の中央や中心に対して他端を意味する端(つま)を語源とし、配偶者の呼び名の『妻』は家屋の「つまや」に居たことから名付けられたそうです。

「刺身のつま」も同様に、端に添えられるという意味を持つみたいです。

妻側は建物の棟に直角に接する側面(そうそう妻は正面になることもありますので・・)、すなわち梁間方向の側面のことをさし、棟に沿って平行に接する側面のことを平側といいます。

唐破風は、よく古~いお風呂屋さんで見かける、屋根の合掌部の丸い山型のでっぱりのことを指します。

この唐破風の優雅さがたまりません。

千鳥破風は三角で末広がりのでっぱりのことです。

屋根は
http://www.minami-kensetsu.co.jp/wasitu.htm

千鳥破風は
http://www.himeji-castle.gr.jp/JAPANESE/tidori.html

唐破風は
http://www.himeji-castle.gr.jp/JAPANESE/kara.html

をご参照の上。


【増上寺大殿】

浄土宗で、徳川家の菩提寺。

増上寺の地理的役割に関しては、以前日光のコーナーで解説しました。

今はなき、バブルの象徴でもあった、芝ゴルフ練習場のとなりにあります。

http://www.zojoji.or.jp/info/index.html

【祇園閣】

1927年、京都市 。

屋根のとんがりが特徴。

帝国ホテル、鹿鳴館、ホテルオークラ、川奈ホテル、大成建設の「大倉財閥」が建てたもの。

京都の方が見れば、一目瞭然、見慣れた形かもしれませんが、知らない関東の方が見るとぎょっとするくらいの違和感を感じるかもしれません。

このアンテナは「山鉾」がモチーフです。

http://sano567.web.infoseek.co.jp/KYOUTORETORO/bunkazai/bunkazaidata/gionkaku.htm

山鉾は
http://www.city.kyoto.jp/shimogyo/yamaboko/saibu.html

伊東忠太と仏教美23

2007年01月12日 09時55分31秒 | Weblog
 五重塔といえば、僕はブルース・リーの「死亡遊戯」を思い出しますが・・・最後のほうはニセものが演じているんですよね、あの映画は。

 お釈迦様のお墓を模したものがストゥーパ→卒塔婆(そとうば)→塔婆(お墓に立てる細長い板状のもの)となり、塔婆が五輪塔になり、五重塔へとなったそうです。

 その五輪というものは、仏教の五大元素、地(四角)水(円)火(三角)風(半月)空(宝珠)の五輪なのだそうですが、形と対象の何となくイメージがぴったりじゃないですか??

 五重塔で肝心なのは実は、屋根のてっぺんのアンテナみたいなとこのさきっちょのとんがり部分で、7部位からなる相輪(そうりん=九輪の場合も)なんですって。

 相輪の一番上が宝珠(ほうしゅ)で、お釈迦さまの遺骨(舎利=しゃり)を入れる部分なので最も重要なのだそうです。

 てっぺんのアンテナ中央からつけね部分のわっかを「法輪」と呼び、5大如来と4大菩薩を表します。

 僕たちが目を奪われる塔の本体や屋根はむしろ飾りだったのです。



 以前のテーマからの流れで言えば、柱による均整の明るい人間美がギリシア・ローマ建築、壁と天上空間によるきりさめにけぶるおどろおどろしさと宗教的深遠さがゴシック建築とすれば、この木の柱と梁で作られて、四つ角がとんがった大きな反りのある屋根で覆われた日本的な空間は、蒸し暑い気候と豊潤なアジアの山々、動植物と人間が一体となった空間・・・

 それは伊藤若冲(いとうじゃくちゅう、いずれやりましょう)が「動植綵絵」でも表現したかった、いきとし生けるものに宿る仏性、自然に内包される人間、そしてうつしおみ(空蝉)の空(くう)と無を表しているのでしょうか?

 近年の日本人に欠けて来ている事が大きな問題とされている、「宗教観」に思いを寄せずにはいられません。

 ちなみに僕の菩提寺は確か・・・禅宗の曹洞宗だと思いましたが(???)、修行が足りず煩悩にまみれ、浮世にうつつをぬかしている身のため、座禅などしたこともありません。

 みなさまも一度、ご自分の菩提寺の宗派をお確かめになり、2500年前の釈迦に、あるいは5億年先の弥勒菩薩に思いを馳せてみられるのも、なかなかロマンティックだと思います。


 重ねて高名なお坊さまにお願いをするとともに、応援したいので失礼を承知の上、あえて苦言を呈させていただきますです。

 西洋では病院にも神父さまや牧師さまが立ち入り、末期患者などの精神的サポートを行っているのに、今日本で病院に住職がいらっしゃったら「縁起でもない」と言われかねない現状をどのようにお考えになられますでしょうか?

 宗派がどうの、お布施がどうの、くだらない内輪もめなどしている場合でしょうか??

 俗世での日本仏教の本当の危機を感じませんか??

 僕たち庶民の、特に若者の仏教離れは深刻ですよ。

 このままでは墓守職業人か、高い拝観料をせびる偉大な建造物の管理人になってしまいますぞ。

 もっと柔軟に考え、時代に合わせ、メディアをうまく活用して、布教に力を入れて、子供たちから「修行して徳の高いお坊さんになりたい!」と言われるように、改革する必要性はないのでしょうか?

 それもこれも時代の流れ・・・ですめばいいですが、いかがわしい新興宗教が多いのも、自浄作用がないせいですし、本当に困った方を救済していないからではないでしょうか??

 以前の繰り返しになってしまいますが、自然災害があったときにも、赤十字のようにいち早く駆けつけ、被災者の救出活動を行う若手和尚さんたちや、街をパトロールして不良たちを説教する自警団だって、夜の違う場所で女性を相手に酒を飲む不良僧の姿は見ても、自警団の中に僧侶の姿を見たことがありません(不勉強なだけかもしれませんが)。

 庶民は心の救いや宗教的ぬくもりを求めているのに、いっこうに仏教側から手が差し伸べられていないのが現状です。

 今こそ、骨のある若手住職が立ち上がって、改革を起こすときではないでしょうか

 若手修行僧よ、街に出でよ

伊東忠太と仏教美22

2007年01月11日 07時01分50秒 | Weblog
 他に有名な寺院として、奈良市五条町にある「唐招提寺」(とうしょうだいじ)は、鑑真(がんじん)ゆかりの寺院です。

 南都六宗というとなんだか北斗の拳みたいですが、平安時代に栄えた天台・真言宗に対し、一足前の時代である奈良時代の平城(奈良を京都から見て南都と言います)で栄えた歴史ある宗派であり、唐招提寺はその南都六宗の1つである「律宗」の総本山で、井上靖の小説『天平の甍』(てんぴょうのいらか)で有名になりました。

 また同じく奈良の「東大寺」は「華厳宗」、これも南都六宗のひとつ、有名な大仏さまが鎮座、京都大学合格者ナンバー1の進学校、東大寺学園があります。

 またまた奈良の、国宝にて傑作「薬師三尊像」と美しい国宝三重塔の「東塔」が有名な「薬師寺」や、五重塔がある「興福寺」(藤原氏の氏寺)は、有名な玄奘三蔵(げんじょう さんぞう)ゆかりの「法相宗」(ほっそうしゅう)、この法相宗も南都六宗のひとつ。

 法相宗から分離独立した宗派が、聖徳太子の「聖徳宗」、総本山は「法隆寺」、「北法相宗」では大本山が京都「清水寺」となっております。

 いずれも修学旅行の名所ですが、今行くとまた違うんだろうな・・・う~京都・奈良に行きたくなってきました。

 ちなみに「玄奘三蔵法師」は西遊記でも有名ですが、三蔵法師とは仏教の経典である経、律、論(=三蔵)、すべてに精通した者を指すそうで、単に「三蔵」と呼ぶこともあり、鳩摩羅什(くまらじゅう)など西遊記での「玄奘」以外にも高名な三蔵法師がいらっしゃいます。

 三島由紀夫の僕が大好きな「金閣寺」で有名な、鹿苑寺(ろくおんじ)金閣は臨済宗です。

 一休さんでおなじみの、「そもさん!」「説破!」は禅問答で使われますから、一休さんはこの臨済宗だったのですね。

 ちなみのちなみに日本三大五重塔は、日本最大で京都のシンボル、弘法大師の東寺のものは含まれずに、

1. 山口の瑠璃光寺:最も美しいとされる。屋根は桧皮葺き(ひわだぶき)。屋根の四隅がぐっと絞られて鋭角にとんがって反っているのがかっこいい。曹洞宗。

http://www.geocities.jp/noharakamemushi/Koshaji/Sonota/Rurikouji.html

2. 京都の醍醐寺:秀吉の「醍醐の花見」で有名。真言宗。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2d/DaigojiPagodaClearView.jpg
3. 奈良の法隆寺:日本最古。聖徳太子は実在しなかったとの説もある。上層に行くほど先細りの屋根が特徴。聖徳宗。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Horyu-ji09s3200.jpg

です。

 さすが山口県は文治主義的な戦国大名でつとに有名な、大内義隆氏の影響のもと、西の京と呼び声も高く、なるほど写真でしか見ておりませんが、花に囲まれた桧皮葺の五重塔は優雅で最も美しいと思います。

 しかし、この美しい塔の存在だって、一体どれほどの日本国民に認知されているのか・・・。

伊東忠太と仏教美21

2007年01月10日 14時21分08秒 | Weblog
 突然ですが、みなさまのご先祖さまの菩提寺は何宗でしょうか、そして開祖は?

 僕は忘れておりました・・・

 即答できた方は素敵ですね・・ご両親や祖父母の方々が徳が高いのでしょう。

 人間が本当に困っているときは、当然ですが弱り果てており、通常の思考回路も疲弊し、それに伴いつけいる隙も広がるもの・・・胡散臭い新興宗教にだまされないようにするためにも、基本を知っておくのも悪くはないはずです。


 主にウィキペディアから引用します。

 【天台宗】

最澄が開祖です。

有名な滋賀県の比叡山延暦寺が総本山。

日本仏教の母山です。

法華経を経典とします。

天台教学、戒律、密教、禅の4つの思想。

浄土宗の開祖「法然」、浄土真宗の開祖「親鸞」、臨済宗の開祖「栄西」、曹洞宗の開祖「道元」、日蓮宗の開祖「日蓮」らを輩出。

思想は「一向大乗」=すべての者が菩薩であり、成仏(悟りを開く)することができるとするもの。

比叡山寺は京都の鬼門(北東)を護る国家鎮護の道場。

東京上野の東叡山にある寛永寺は天台宗関東総本山の寺院であり、江戸の鬼門鎮護の目的で建立され、宗務の実権は江戸に。

延暦寺は武装化し織田信長によって焼き討ちされ、わが国では奇才によって一夜にして政教分離が遂行されたとも言われます。

東京では浅草寺が有名。

世界遺産。

 

 以下、代表的な各宗の開祖や要点、関連大学などを列挙だけいたします。


【日蓮宗】:日蓮。山梨県身延山(みのぶさん)、久遠寺(くおんじ)。「南無妙法蓮華経」。法華経が経典。妙法蓮華経に南無していく(法華経に帰依していく)なかで凡人も仏性が目覚めてゆき、真の成仏の道を歩むことが出来る。立正大(立正佼成会=法華系の新宗、とは無関係)、身延山大、日本福祉大。

【真言宗】:空海(弘法大師)。真言密教。高野山(和歌山県伊都郡高野町)の金剛峯寺(こんごうぶじ)。本尊は宇宙の本体であり絶対の真理である大日如来。即身成仏。曼荼羅。いわゆる京都のシンボルの五重塔(日本一の高さ)も空海ゆかりであり、平安京にあった羅城門(らじょうもん=らしょうもん)の東寺(とうじ)、別名、教王護国寺に建立=世界遺産。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Toji-temple-kyoto.jpg

高野山大。

【浄土宗】:法然。京都の知恩院(ちおんいん)=通称「ちよいんさん」(本堂は国宝)。念仏。南無阿弥陀仏。阿弥陀三尊。増上寺、善光寺、九品仏浄真寺。仏教大。

【浄土真宗】:親鸞。本尊は立像の阿弥陀さまのみ。本願寺。一向宗。築地本願寺は西本願寺派、東本願寺は大谷派。

【臨済宗】:栄西。時の武家政権に支持。ダルマさま。師から弟子への悟りの伝達(法嗣、はっす)を重んじる、知識ではなく、悟りを重んじる。禅宗における悟りとは、生きるもの全てが本来持っている本性である仏性に気付くことを言い、坐禅(瞑想とは異なる)を重んじますが、公案(知的な理解を超えた話を理解すること)を重要視するところが曹洞宗との大きな違い。宗派がたくさんあり、それぞれに本山を持つ。花園大。

【曹洞宗】:道元。禅宗。福井県永平寺が中心。禅問答はせず、もっぱら坐禅する黙照禅であることが特徴。鶴見大=總持寺(そうじじ)。總持寺には伊東忠太氏のお墓があり、他に石原裕次郎氏も眠る。他に駒澤大学、東北福祉大学。


 覚えにくいので、恥ずかしいのですけれども、昔からの僕の覚え方

 天台宗が母山ですからまずは、比叡山の天才(天台宗最澄)、シンゴ食うかい?弘法大師、情報(浄・法)、シンシン(真・親)、ザイザイ(臨済宗のザイと栄西のサイ)、ドウドウ(曹洞宗のドウと道元のドウ)・・・

伊東忠太と仏教美20

2007年01月09日 15時12分31秒 | Weblog
 いや~、だいぶ寄り道をしてしまいました。

 さてさて「築地本願寺」です・・・本願寺8世の「蓮如」が室町時代の後期に登場し、本願寺は爆発的に発展して、「一向宗」と呼ばれるようになりますが、一向宗といえば、一向一揆と呼ばれる一郡や一国の一向宗徒が一つに団結した一揆として有名ですね。

 一向宗は本来の釈尊の教えとは離れた部分もあるようにも感じるのですが、当時にしたら、武士階級に対する庶民の革命的な意義もあったのでしょうか。



 ここで簡単に、日本での仏教をおさらいしておきましょう。

 まずは、経典、「法華経」について。

 「法華経」とは大乗仏教の経典(「正しい教えである白い蓮の花」の意)のことです。

 天台宗では、法華経を最重要経典として採用、日蓮によって「仏教の最高経典」としての法華経の地位が不動のものになりました。

 釈迦の晩年に説かれた、釈迦の教えの極意と位置づけられております。

 宮沢賢治や石原慎太郎ら、近代の著名な法華経信仰者の人生に共通するのは、小市民的な栄達を嫌い、どこまでも己の理想のみに殉じていこうとする非妥協的な態度にあると言えそうである(ウィキペディアより)、とのことです。

 法華系は新興宗教も多い。



 そして「般若心経」。

 これは「空(くう)」を説く経典です。

 法相宗・天台宗・真言宗・禅宗が般若心経を使用します。

 僅か300字足らずの本文に大乗仏教の心髄が説かれているとされております。

 パンニャーは悟りとか智慧(知識ではない)の意であり、般若は大乗仏教の特質を示す意味で用いられ、諸法の実相である空(くう)と相応する智慧として強調されるそうなり・・・。

 本来、般若はいわゆる般若の面、鬼の顔とは関係が薄いものです。


 またわが国の一般的な仏教の代表には、「13宗派」と言われており、中でも「八宗」といえば、天台・真言・浄土宗・浄土真宗本願寺・真宗大谷・臨済宗・曹洞・日蓮を指します。

伊東忠太と仏教美19

2007年01月07日 09時29分54秒 | Weblog
 みなさま、あけましておめでとうございます。。。本年もどこまで続けられるかは未知数ですが、なにとぞここをご愛顧賜りますように、お願い申し上げます。


 昨年より続く、伊東忠太に始まった「仏教」についてですが、今日はもう一度、釈迦の悟りを復習してみましょう。


 キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の聖地にエルサレムがありますよね。

 仏教の聖地には8大聖地があり、釈迦が誕生したルンビニーや、悟りを開いたブッダガヤ(ボードガヤー)のほかに、最初に説法を行った『鹿野苑』(ろくやおん=サールナート)がありヒンドゥー教の聖地でもある「ベナレス」が有名ですね。

 ベナレスはワーラーナシーのことで、当時の宗教家の集まる巡礼地であり、ガンジス川のほとりにあります。

 下記を参照ください。

http://www.kosaiji.org/pilgrim/india2/11_Sarnath/index.htm


 現実的に日本の一般市民が感じている仏教とは僕もそうですが、ご先祖さまを供養し敬い大切にする、ということだけではないでしょうか??

 それは命を尊重するという意味で忘れてはならないことですが、お釈迦様の説かれた道はそれだけではなく、人生の真理を学び、苦を滅し、人生の出来事を縁としてとらえて、修行を通じて悟りを得る哲学を教えたのだと理解しております。

 ベナレスで説いた、基本真理が『四諦八正道 』(したいはっしょうどう)です。

 四諦は、お釈迦様がブッダガヤの菩提樹の下で悟られた内容だそうです。

 よく日常で四苦八苦といいますが、これは有名な、生(しょう) 老(ろう) 病(びょう)死(し) の四苦に、 愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)=怨み憎む者と会うのは苦であること、求不得苦(ぐふとっく)=求めても得られないのは苦である、五蘊盛苦(ごうんじょうく)=人間の五官(眼・耳・鼻・舌・身・)で感じるものや心で感じる人間の肉体や精神活動すべてが物事にこだわりをつくってしまう苦しみ、を加えての四苦八苦だそうです。


 そして四諦八正道とはこれに打ち勝つための方法です。

 四諦の「諦」は日本語では「あきらめる」という、悪い意味にとられますが、「諦」とは実は【真理】のことです。

 つまり、四諦は「苦集滅道」という4つの真理をあらわします。

 「苦諦」 私たちの生存は生老病死などの苦しみに満ちているという真理
 「集諦」(じったい) 苦しみの原因は煩悩にあるという真理
 「滅諦」 煩悩を原因とする苦しみを滅し(止め)た境地が理想だという真理
 「道諦」 そのためには八正道を実践しなければならないという真理


 八正道とは苦を滅するための八つの正しい実践徳目を言います。

 今度の「正」の意味は正悪の正ではなく、【完全】なという意味です。

「正見」 正しい見解  「正命」 正しい生活
「正思」 正しい思惟  「正精進」正しい努力
「正語」 正しい言葉  「正念」 正しい心の落着き
「正業」 正しい行い  「正定」 正しい精神統一


 もし外国人に仏教とは何か?と問われた場合、この四諦八正道に、仏教の特徴をあらわす三つのしるしとしての三法印(さんぼういん) を答えましょう。

 三法印は他の教えとの区別する上でも特徴的とも言え、この世というものは

(1)諸行無常 あらゆるものは変化してやまない
(2)諸法無我 いかなる存在も不変の本質を有しない
(3)涅槃寂静 迷妄の消えた悟りの境地は静やかな安らぎである

 そしてこの三法印に「一切皆苦」が加わり、四法印とも言われますが、仏教の根幹を成し、のちの仏教も論理的に教義を体系化し、仏教哲学の体系を構築します。

 そこからさらに、世の中の道理に通じていない智慧(ちえ)のない状態から苦が生じてくるという【十二因縁】、悟りへの修行道【六波羅蜜】へと続きますが、難解ですからこれはお坊さんにお任せしましょう。

 つまり仏教とは、世の中は3つの特徴があり、4つの真理があり、四苦八苦があり、8つの実践が必要だ、とする教義であると簡単に覚えましょう。