医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

伊東忠太と仏教美19

2007年01月07日 09時29分54秒 | Weblog
 みなさま、あけましておめでとうございます。。。本年もどこまで続けられるかは未知数ですが、なにとぞここをご愛顧賜りますように、お願い申し上げます。


 昨年より続く、伊東忠太に始まった「仏教」についてですが、今日はもう一度、釈迦の悟りを復習してみましょう。


 キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の聖地にエルサレムがありますよね。

 仏教の聖地には8大聖地があり、釈迦が誕生したルンビニーや、悟りを開いたブッダガヤ(ボードガヤー)のほかに、最初に説法を行った『鹿野苑』(ろくやおん=サールナート)がありヒンドゥー教の聖地でもある「ベナレス」が有名ですね。

 ベナレスはワーラーナシーのことで、当時の宗教家の集まる巡礼地であり、ガンジス川のほとりにあります。

 下記を参照ください。

http://www.kosaiji.org/pilgrim/india2/11_Sarnath/index.htm


 現実的に日本の一般市民が感じている仏教とは僕もそうですが、ご先祖さまを供養し敬い大切にする、ということだけではないでしょうか??

 それは命を尊重するという意味で忘れてはならないことですが、お釈迦様の説かれた道はそれだけではなく、人生の真理を学び、苦を滅し、人生の出来事を縁としてとらえて、修行を通じて悟りを得る哲学を教えたのだと理解しております。

 ベナレスで説いた、基本真理が『四諦八正道 』(したいはっしょうどう)です。

 四諦は、お釈迦様がブッダガヤの菩提樹の下で悟られた内容だそうです。

 よく日常で四苦八苦といいますが、これは有名な、生(しょう) 老(ろう) 病(びょう)死(し) の四苦に、 愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)=怨み憎む者と会うのは苦であること、求不得苦(ぐふとっく)=求めても得られないのは苦である、五蘊盛苦(ごうんじょうく)=人間の五官(眼・耳・鼻・舌・身・)で感じるものや心で感じる人間の肉体や精神活動すべてが物事にこだわりをつくってしまう苦しみ、を加えての四苦八苦だそうです。


 そして四諦八正道とはこれに打ち勝つための方法です。

 四諦の「諦」は日本語では「あきらめる」という、悪い意味にとられますが、「諦」とは実は【真理】のことです。

 つまり、四諦は「苦集滅道」という4つの真理をあらわします。

 「苦諦」 私たちの生存は生老病死などの苦しみに満ちているという真理
 「集諦」(じったい) 苦しみの原因は煩悩にあるという真理
 「滅諦」 煩悩を原因とする苦しみを滅し(止め)た境地が理想だという真理
 「道諦」 そのためには八正道を実践しなければならないという真理


 八正道とは苦を滅するための八つの正しい実践徳目を言います。

 今度の「正」の意味は正悪の正ではなく、【完全】なという意味です。

「正見」 正しい見解  「正命」 正しい生活
「正思」 正しい思惟  「正精進」正しい努力
「正語」 正しい言葉  「正念」 正しい心の落着き
「正業」 正しい行い  「正定」 正しい精神統一


 もし外国人に仏教とは何か?と問われた場合、この四諦八正道に、仏教の特徴をあらわす三つのしるしとしての三法印(さんぼういん) を答えましょう。

 三法印は他の教えとの区別する上でも特徴的とも言え、この世というものは

(1)諸行無常 あらゆるものは変化してやまない
(2)諸法無我 いかなる存在も不変の本質を有しない
(3)涅槃寂静 迷妄の消えた悟りの境地は静やかな安らぎである

 そしてこの三法印に「一切皆苦」が加わり、四法印とも言われますが、仏教の根幹を成し、のちの仏教も論理的に教義を体系化し、仏教哲学の体系を構築します。

 そこからさらに、世の中の道理に通じていない智慧(ちえ)のない状態から苦が生じてくるという【十二因縁】、悟りへの修行道【六波羅蜜】へと続きますが、難解ですからこれはお坊さんにお任せしましょう。

 つまり仏教とは、世の中は3つの特徴があり、4つの真理があり、四苦八苦があり、8つの実践が必要だ、とする教義であると簡単に覚えましょう。