医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

カラマーゾフ的美意識7

2007年01月22日 10時56分33秒 | Weblog
① 【イワンの言う入場券】

 現代の日本でも特に問題となっている幼児虐待・・・。

 有名な『大審問官』のシーンに入る前に、次兄イワンが無垢な三男アリョーシャに語ります。

 これが僕の頭にず~っとこびりついて離れません。

 イワンは本来は人類の苦悩について話すつもりでしたが、子供たちの苦悩にだけ話をしぼります。

 どうして大人について語らおうとしないかは、「大人はいやらしくて愛に値しないこと以外に、大人は知恵の実を食べてしまったために、善悪を知り、『神のごとく』になり、今も食べ続けている」からだと・・・確かにその通りです。

 「子供たちは何も食べなかったから、今のところ何の罪もない。」

 「この地上で子供たちまでひどい苦しみを受けるとしたら、もちろんそれは自分の父親のせいだ。知恵の実を食べた父親の代わりに罰を受けている・・しかし、そんなのは別世界の考えで、この地上の人間には理解できず、罪のない者が、それもこんなに罪なき者が他人の代わりに苦しむなんて法はない。」

 ドストエフスキーも大変子供好きだったそうで、このくだりに反論はまったくありません。

 そしてイワンはたくさんの子供が実際に犠牲になった例をこれでもか、これでもかと挙げていきます。

 「人間の多くの者は一種特別な素質を供えているものだ。それは幼児虐待の嗜好」だそうです。

 その嗜好を持つ人たちは「いかにも教養豊かで人道的にふるまい、子供を痛めつけるのが大好きで、その意味では子供そのものを愛しているとさえ言える。」この表現が核心を突いてますよね。

 そして「この場合、まさに子供たちのかよわさが迫害者の心をそそり立てる。逃げ場もなく、頼るべき人もいない子供たちの天使のような信じやすい心、これが迫害者のいまわしい血を燃え上がらせる。もちろん、どんな人間の中にも、けだものがひそんでいる。怒りやすいけだもの、痛めつけられているいけにえの悲鳴に性的快感を催すけだもの、鎖から解き放れた抑制のきかぬけだもの、放蕩の末に・・・」・・・悲しいことです。

 イワンは、「大人の苦しみに関しては言わない。大人は知恵の実を食べてしまったんだから、大人なんぞ知っちゃいない。みんな悪魔にでもさらわれりゃいい。しかし、この子供たちはどうなんだ!」と主張するのです。