医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

カラマーゾフ的美意識13

2007年01月28日 09時53分19秒 | Weblog
 昨年の1/31に、このブログの「美しくも尊い勇気」で、2003年1月26日の新大久保駅でのホームから転落した男性を助けようとして死亡した、韓国人留学生の李秀賢(イ・スヒョン)さんと横浜市のカメラマンの関根史郎さんについて書きました。

 その李秀賢さんの半生記の映画が完成したそうです。

 よく調べてみると、李秀賢さんの葬儀には森(元)総理が参列したそうですし、その後追悼碑の序幕の際ご両親は、森(元)総理を表敬訪問され、森(元)総理は直接お礼を述べたそうです。

 さらに今回映画の試写会に異例にも天皇陛下がいらっしゃり、李秀賢さんのご両親に直接お礼されておられました・・・少し安心しました。

 李秀賢さんには日本から、たくさんの手紙や弔電が送られ、寄付も送られてご両親は基金を作られたそうです。

 このニュースがトップニュースになっていたことに、とっても感激し、もっともっと英雄を称えて欲しいと改めて思いました。

 そして今回名古屋でやはりホームに転落した方を、電車がホームに入ってきたにもかかわらず、果敢にホームに飛び降りて救出した女性1名を含む3名の方々には、通常国会にお呼びして、叙勲し、みなで褒め称えたいものです。

 素晴らしい方達がいらっしゃるものですね、世の中・・・。


④【美】

 これは囚われの身となったミーチャが力説しますが、

「美とは恐ろしい、どうにもならないものだ。

なぜ恐ろしいかといえば、定義できないものだからな。

なぜ定義できないのかと言えば、神様が謎かけしかしなかったからだ。

ここでは、川の両方の岸が交わってしまう。

あらゆる矛盾が共存している。

理性には汚辱と映ることが、心では美そのものと思える。」


 このブログのテーマは一応まがりなりにも「美」になっておりますが、美についてはみなさまも深くお考えください。



 さてさて、大変な代物「カラマーゾフの兄弟」ですが、読まれて無い方は読んでみようかな、とういう気になられたでしょうか???

 ここで今までの考察を試みてみようと思います。

1. イワンの言いたかったことと著者の答え

① この世にすべてを赦す権利を有するものなどがいるのか?

② 神はいるとしても、逆説的に人間の真の自由は圧政的な教会にひれ伏すことでは得られない。

③ 幼き子供の血の上に築かれるこの社会を認めない。→「知恵の実」を食べてしまった大人が勝手に造り上げた社会やルールの中で、子供が犠牲になってもそれが赦されるような社会はまっぴらごめんだ。

④ かつ人間が真に自由を目指せば、古いものを打倒し、結果として殺人すら(流血による革命をも)認めざるを得ないのか?


 キリストが大審問官を抱擁し、アリョーシャもまたイワンを抱擁し、ゾシマ長老の最後の説法の内容と・・・

 そこから類推すれば、ドストエフスキーの導き出した解答は、ロシアの未来、世界の未来は・・・

 ロシアの知識階級がいたずらに西欧化、つまり無神論的に血を流して争うことではなく、かといって弱者が犠牲となるような社会ではなく、矛盾をも優しく包み込む母なるロシアに抱かれつつ、土着の同胞が兄弟愛を持って、自由と強さを身につけて、キリスト教を信じるロシア正教が母体となるゆるやかな社会主義国家だったのだろうかなぁ、と思います。

 つまり、コミュニストによる大量殺人を是認するような無神論的・革命的ヨーロッパ型社会主義・共産主義を否定し、あくまでキリスト博愛主義、人道主義に基づく社会主義を願ったのだと思います。

 アリョーシャに将来を託したかったのではないでしょうか?

 しかし皮肉にもロシアは著者の死後、マルクス・レーニン主義により、またスターリンにより、おびたたしい流血とともに革命的に共産主義国家へと転じていきました。