医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

カラマーゾフ的美意識12

2007年01月27日 06時38分28秒 | Weblog
③【ゾシマ長老の回想シーン】

 アリョーシャの敬愛する、ゾシマ長老は死に臨み、最後の説話を行います(といっても記録者はアリョーシャであることは注意)。

 そしてその回想の内容ですが、長老が若かりし頃、50歳くらいの町の有力者である、裕福な慈善家と出会いました。

 慈善家いわく、現在は人間の孤立の時代だと。

 「孤立の時代が終わらなければ、心理的に別の道に方向転換することができなければ、あらゆる人が本当に兄弟にならぬうちは兄弟愛の世界は訪れません。」

 「現代はあらゆる人間が自分の個性を最も際立たせようと志し、自分自身の内に人生の充実を味わおうと望んでいる。」

 「そうした一切の努力から生ずるのは、人生の充実の代わりに、完全な自殺に過ぎません。」

 「自己の存在規定を完全なものにする代わりに、完全な孤立に落ち込んでしまうからなのです。」

 「なぜなら現代においては何もかもが個々の単位に分かれてしまい、あらゆる人間が自分の穴蔵に閉じこもり、他の人から遠ざかって隠れ、自分の持っているものを隠そうとする、そして最後には自分から人々に背を向け、自分から人々を突き放すようになるからです。」

 「一人でこっそり富を貯えて、今や俺はこんなに有力でこんなに安定したと考えているのですが、あさはかにも、富を貯えれば貯えるほど、ますます自殺的な無力に落ち込んでゆく事を知らないのです。」

 「なぜなら自分ひとりを頼ることに慣れて、一個の単位として全体から遊離し、人の助けも人間も人類も信じないように自分の心をおしえこんでしまったために、自分の金や、やっと手に入れたさまざまの権利がふいになりはせぬかと、ただそればかり恐れおののく始末ですからね。」

 「個人の特質の真の保証は、孤立した各個人の努力にではなく、人類の全体的統一のうちにあるのだということを、今やいたるところで人間の知性はせせら笑って、理解すまいとしています。」



 これは物語中の又聞きの又聞きの又聞きですが、僕はこの回想シーンにもっとも強くうたれました。

 まるで資本主義を金科玉条として、自由経済競争を錦の御旗として、拝金主義と個人主義に蝕まれた現代を予見しているかのようです。



 そしてゾジマ神父(回想を記録したアリョーシャ)は答えます。



 すべてを赦し、神を信じることだ。

 そして地上の人間たちが、お互いに兄弟愛で埋め尽くすことだということを。



 それがあえて「の」が入る『カラマーゾフの兄弟』というタイトルの答えでもあるのではないかと個人的には思ってしまいました。