医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

カラマーゾフ的美意識10

2007年01月25日 08時10分00秒 | Weblog
その理由は、三つの誘いのうちの

1.~石ころをパンに変えよ。~

しかしキリストは「人はパンのみに生きるにあらず。」と拒否。

「服従がパンで買われたものなら、何の自由があろうか。」

ところが大審問官は言います、しかし人は「食を与えよ、しかるのち善行を求めよ!」と求めるものだ。

人々が自由でいる限り(背負わされた自由はあまりにも重いため、自力では消化できず)、人々は教会にキリストに与えられた自由を差し出して、「いっそ奴隷にしてください、でも食べ物は与えてください」とひれ伏すのだと。

自由と地上のパンとは両立しないと迫る大審問官。

大審問官は続けます、人間は弱いので、天上のパンのために、地上のパンを黙殺できない。

人々は「誰の前にひれ伏すべきか?」を探し続けている。

自由のみであり続けることになった人間にとって、人間はすべての人間がいっせいにひれ伏すことに同意するような、そんな相手にひれ伏すことを求めている。

(人間はこれまでにも異なる宗教間で)跪拝(きはい)の統一性のため、「お前たちの神を棄てて、われわれの神を拝みに来い」と殺しあってきたではないか、と。

大審問官いわく、キリストは自由の苦痛という重荷を、人類に永久に背負わせた。

しかし地上にはその三つの力のみが魅了する。

それは奇蹟と、神秘と権威しかないのだ、と。


2.~神の子なら(エルサレム神殿の屋根から)飛び降りてみよ。~

「神を試してはならない。」と退けたイエス。

人間は神よりも奇蹟を求めるのだとする大審問官。

人は結局神よりも祈祷師の奇蹟やまじない女の妖術にひれ伏す、ではないかと。


3.~(世界中が見渡せる高みから)悪魔にひれ伏せばこれらを与えよう。~

「主を拝み、ただ主に仕えよ。」と拒絶したイエス。

大審問官は、地上のかよわき子羊たちは、たとえ自分たちが造反者であるにせよ、自分の造反さえ持ちこたえられぬ意気地なしの造反者にすぎない。

教会は「大切なのは心の自由な決定でもなければ愛でもなく、良心に反してでも盲目的に従わねばならぬ神秘なのだ」と教え込み、キリストの偉業を修正し、(キリスト教を)奇蹟と神秘と権威の上に築きなおし、(その3つの力によって)人々も導かれることになり、あれほどの苦しみをもたらした恐ろしい贈り物(自由)から逃れられた。

 (ローマカトリック)教会は権威をたてにしてもはや悪魔側についているとするイワン。