[※ 『沖縄スパイ戦史』(三上智恵・大矢英代共同監督) (LOFT)↑]
【三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌/第83回:ぬちかじり~命の限り抵抗した翁長知事が逝く~】(http://maga9.jp/180822-5/)。
《私も報道畑が長く、物事を冷静につい斜めにみる癖のついた人間だ。それでも、「辺野古だけはやめて」という沖縄県民の想いの先頭に立って体を張っている大きなリーダーのもとで、いつの間にか勇気づけられながら、撮影をしたり発言をしたりしていたのだ。そのことにやっと気づいた。私でさえ、守られていたのだ。過去も現在も未来も沖縄を踏みつけてはばからない能面のように冷たい日本政府に対し、堂々と正論を言い、私たちの人権、生活環境を守るために、誰より先に矢面に立ってくれるリーダー、それを外側から描きだす仕事をしているつもりだった。けれども私は、大きな盾を失った当事者としてうろたえるような悲しさに襲われていた。ようやくわかった。私は紛れもなく一県民として、あなたしかいないと期待し、お願い、頼む! とすがるように応援していた人間だったのだ。ほかの県民と全く同じように》。
翁長雄志さんの御言葉の一つ、「いま、国と対峙する厳しい局面を迎えているけれども、私たちのうやふぁーふじ(先祖)が味わった辛酸に比べれば大したことはない。ましてや、将来の子や孫の世代が、あの時、つまり今の我々が頑張ったおかげで、平和な島になったんだよ、と言われることを想像してみたら、こんな苦労なんて苦労のうちには入らない」。そして、《沖縄のおじいたちは教えてくれた。「勝ったかどうかじゃない。闘ったか、闘ってないか。それが大事なんだ。それこそが、子や孫へ贈る財産なんだ」》と。
映像の中で、山城博治さんは「いばらの道の只中にいます」と仰っています。
2018年9月沖縄県知事選、大変に厳しい状況。でも、《将来の子や孫の世代が、あの時、つまり今の我々が頑張ったおかげで、平和な島になったんだよ》と言ってもらえるかどうかの瀬戸際。
鈴木耕さんのご意見、《さまざまな意見の相違を捨ててでも、辺野古米軍基地建設阻止へ一丸となって闘うことを、ぼくは切望している》…に賛成。
《翁長知事は、奇しくも、最後は自らの「死」をもって目前に迫った土砂の投入を止めた形になった》なんて、せつな過ぎる。翁長雄志さんの遺志を継ぐのはどちらか、それは明白。「#バリタカ日本会議系自公お維沖縄県知事」候補は、名護市長選同様、「辺野古の「へ」の字も出さない戦術」。アベ様や最低の官房長官の最たるデマ「辺野古が唯一の解決策」に騙されてはいけない。「普天間撤退≠辺野古破壊」です。
…そして、大変に嬉しいことに「#美ら海の色の候補者」玉城デニーさんが選挙に勝ち、新たな沖縄県知事に選ばれました。もし負けていたら、沖縄は大変なことになっていたことでしょう。
『●宜野湾市長選: 直近の沖縄主要選挙で5連敗目をアベ様に』
『●翁長雄志知事亡くなる…「折れない、言うことをきかない
翁長知事に対し、安倍政権が陰湿ないじめ、報復」』
「翁長さんの《うちなーんちゅ、うしぇーてー、ないびらんどー》の叫びが
忘れられない」
『●翁長雄志さん「那覇市長として…東京のど真ん中で体感した
むき出しの沖縄差別に「衝撃を受けた」という」』
「アベ様の取巻き連中による様々な沖縄イジメ・沖縄ヘイトを含め、
《安倍政権が陰湿ないじめ、報復》に対しても、《折れない、
言うことをきかない翁長知事》は、真の意味での沖縄の市民の立場に立つ、
真の保守政治家だった」
『●翁長雄志さん「保守は保守でも自分は沖縄の保守。
本土の保守政権に対して言うべきことは言う」が口癖』
『●沖縄を分断・破壊し尽すような日本会議系・
自公系候補者では絶対にダメ! 玉城デニーさんを沖縄知事に!』
『●日本会議系バリタカ派知事など絶対にダメ!…
「死してなお曲げられない正義というものを教えてもらった」』
『●《やまと社会への同化…
「同化は差別する側に移るだけで、差別自体はなくならない」》』
『●《琉球アイデンティティー》が失われる危機…
日本会議系バリタカ派自公お維候補に投票しては絶対にダメ!』
『●「#バリタカ日本会議系自公お維沖縄県知事」が誕生すれば、
翁長さんの遺志は踏みにじられ、辺野古破壊…』
『●辺野古破壊「新基地建設容認の“安倍政権傀儡知事”が誕生」ならば
…沖縄の未来は閉ざされてしまいます』
『●沖縄県知事選、両候補の「選挙の色」がくっきりと見えてきた
…「#美ら海の色の候補者」はどちらか?』
『●「…意見の相違を捨ててでも、辺野古米軍基地建設阻止へ
一丸となって闘うことを、ぼくは切望している」』
『●「#美ら海の色の候補者」…「辺野古に普天間の代わりの
新基地をつくるという根本的な理由」が存在しない』
『●鈴木耕さんの言う《「期日前投票制度」の落とし穴》が気になる…
血判状・恫喝な瓶三親分らは何でもやる…』
『●「#バリタカ日本会議系自公お維沖縄県知事」
「#カネ色の候補者」はアベ様の御得意の政治手法を導入済み』
『●カネ色の「#バリタカ日本会議系自公お維沖縄県知事」候補者の
デタラメが横行、コレに勝てというのかょ…』
『●沖縄デマによる市民の分断: 『沖縄スパイ戦史』の両監督…
「反基地運動は中国のスパイ」デマも同根』
『●鈴木耕さんの言う《「期日前投票制度」の落とし穴》が気になる
…血判状・恫喝な瓶三親分らは何でもやる…』
『●沖縄県知事選「象とアリの戦い」…
「象」は最大の争点で旗幟不鮮明、「辺野古が唯一の解決策」を強制』
『●玉城デニーさん勝利…でも、アベ様や最低の官房長官らは
すぐにでも辺野古破壊を再開しても不思議ではない』
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【http://maga9.jp/180822-5/】
三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌
第83回: ぬちかじり~命の限り抵抗した翁長知事が逝く~
By 三上智恵 2018年8月22日
【https://youtu.be/5nNBg61TINg】
「なまからどー! ぬちかじり、ちばらなやーさい!」
(これからですよ。 命の限り頑張りましょう!)
集会のたびにそう呼びかけ、県民の喝さいを浴びていた翁長知事。その翁長知事が、逝った。
政府が何が何でも辺野古の埋め立てを開始すると宣言していたXデー、8月17日を10日後に控え、翁長知事は突然旅立ってしまった。すい臓ガンが相当体を痛めつけていることは誰の目にも明らかだった。しかし「たとえ倒れることになっても」11月の知事選に立つのだと周囲に見せている気迫はこれまで以上だと聞いて、悪性リンパ腫から生還した山城博治さんのように驚異的な精神力で病を克服してくれるものと信じた。が、8月8日、翁長雄志知事は天に召された。私は神を恨む。なぜこのタイミングで、彼を連れ去ったのか。
新作の映画『沖縄スパイ戦史』が各劇場で順次公開され、各地で舞台あいさつに回っているときに訃報に接した。広島の横川シネマで詩人のアーサー・ビナードさんとトークに入るとき、映画が始まる直前に知事が亡くなったことを伝えた。会場はどよめいた。アーサーさんの大きな目にも涙が溜まっていた。
「たぶん、他府県の知事という存在とは…違うと思うんですね」。私は地方自治法も適用されなかった米軍統治下の沖縄で、沖縄の人々がどれだけ、自分たちの手で自分たちの知事を選ぶことができたら、と悔しい思いをしたのかを説明しようと試みた。移住者である私でも何かをえぐり取られたように感じているこの喪失感の説明をしようとした。
「だから、知事というよりは国王? かな? まあそれも違うけど(笑)、損ばっかりしている沖縄のために、家族を守るためにいつも闘ってくれる人。それはお父さんですよね。だからお父さんを失ったような。最後まで気を張って、楽にしてあげることもできなくて・・・」
そこまで言ったら顔がくしゃくしゃになってしまった。自分でもそこまで翁長ファンだった自覚はないのだが、失ったものの大きさに急激に打ちのめされつつあった。
私も報道畑が長く、物事を冷静につい斜めにみる癖のついた人間だ。それでも、「辺野古だけはやめて」という沖縄県民の想いの先頭に立って体を張っている大きなリーダーのもとで、いつの間にか勇気づけられながら、撮影をしたり発言をしたりしていたのだ。そのことにやっと気づいた。私でさえ、守られていたのだ。過去も現在も未来も沖縄を踏みつけてはばからない能面のように冷たい日本政府に対し、堂々と正論を言い、私たちの人権、生活環境を守るために、誰より先に矢面に立ってくれるリーダー、それを外側から描きだす仕事をしているつもりだった。けれども私は、大きな盾を失った当事者としてうろたえるような悲しさに襲われていた。ようやくわかった。私は紛れもなく一県民として、あなたしかいないと期待し、お願い、頼む! とすがるように応援していた人間だったのだ。ほかの県民と全く同じように。
「うちなーんちゅ、うしぇーてないびらんど!(沖縄の人間をみくびるな!)」
オスプレイを強行配備するならば普天間基地を封鎖するぞ、と市町村長や議員らも座り込んだ2012年の9月末、当時那覇市長だった翁長さんがゲート前でこう叫んだ。このセリフは「頂き!」と思った。以後私は事あるごとにこのシーンを取り上げた。「標的の村」の番組、映画にもあえて何度も使った。こういうリーダーを待っていたんだ、という熱気と共にこの言葉と翁長さん知事待望論は広がっていった。
『戦場ぬ止み』という映画は2014年、翁長知事を誕生させる島ぐるみの大きなうねり、激動の沖縄を捉えている。辺野古には基地を造らせないと訴える翁長さんを取り巻く観衆が、数百人が数千人になり、1万人を超えたセルラースタジアムで菅原文太さんが駆け付けたときの熱狂はまさに地鳴りのよう。島を揺るがすほどのエネルギーで、保革を超えて沖縄を束ねる初めての存在「翁長知事」を押し上げていった。
『標的の島 風かたか』では、国に訴えられた翁長知事が法廷に立つときに、裁判所前に詰めかけた大勢の県民から声援を受けるシーンがある。そこで知事はこう言った。
「いま、国と対峙する厳しい局面を迎えているけれども、
私たちのうやふぁーふじ(先祖)が味わった辛酸に比べれば大したことはない。
ましてや、将来の子や孫の世代が、あの時、
つまり今の我々が頑張ったおかげで、平和な島になったんだよ、
と言われることを想像してみたら、こんな苦労なんて苦労のうちには入らない」
そして翁長コールを背に裁判所に入っていく姿。これは映画には入っていないが、裁判所の道向かいで群衆から離れて一人そわそわとしているおばあさんがいた。どうしたんですか? と話しかけると「ここから応援してるんですよ。たった一人で国に立ち向かって。少しでも気を送って、と思ってね。かわいそうに、私たちのために、一人でね」と目を真っ赤にして裁判所の建物を見つめていた。彼女にとっては、自分より若い沖縄の青年が全部被って大きな敵と闘ってくれていると映るのだろう。だからかわいそうに、という言葉になるのだろう。上の世代からも下の世代からも惜しみない応援のエネルギーが注がれていた。こんな知事が他府県にいるだろうか。
そして就任以来、「埋め立て承認の取り消し」「国が知事を被告にした裁判」「和解勧告」そして作業中断後の工事再開、そして「承認の撤回表明」と、ありとあらゆる民主主義の手続きの中で可能な手段を駆使し作業を遅らせてきた知事だったが、安倍政権は、ある時は面会を拒否し、ある時は勝手にルールを変えるなどあからさまな沖縄冷遇に徹して、粛々と工事を進めてきた。そして宣告された8月17日を前に、いつ撤回のカードを切るか、今日か、明日かという政府との神経戦に入って間もなく、翁長さんの命の灯は尽きてしまった。
しかしその結果、あれだけ政府が喧伝した「辺野古の息の根を止める日・8月17日」に、作業は行われなかった。政府は表向きは台風の影響だとしたが、強行すれば、知事を失った悲しみに暮れる沖縄県民の怒りにふれて知事選に不利になると判断したのだろう。あらゆる政治手続のカードを苦心して切ってきた翁長知事は、奇しくも、最後は自らの「死」をもって目前に迫った土砂の投入を止めた形になった。なんて壮絶な幕引きなのだろう。
なんとしても辺野古への埋め立て土砂の投入を止めたいと、政府の決めたXデー直前の11日にはずっと前から大規模な県民大会が組まれていたが、知事逝去を受けて辺野古阻止の県民大会は翁長知事の追悼式の様相を呈していた。当初予想した倍以上の7万人が台風の雨風をものともせず結集した。今回の動画は、できるだけ多くの県民の思いや表情を見てほしくて、20人のインタビューを入れて大会の様子を12分にまとめている。沖縄県民の、世代や立場を超えたこの悲しみと怒りをぜひ見てほしい。そして当日会場に行けなかった私や大矢英代さんへの博治さんからのメッセージも、個人向けではあるが今回はあえて入れた。マガジン9のために編集するこの動画は、私自身も過去を思い出すために繰り返し見るのだが、どんな時も、いい時も悪い時も記録してほしいとおっしゃった博治さんのこの表情を一生忘れないで、肝に銘じるために。
前にもここに書いたが、沖縄のおじいたちは教えてくれた。「勝ったかどうかじゃない。闘ったか、闘ってないか。それが大事なんだ。それこそが、子や孫へ贈る財産なんだ」。
父や祖父があきらめずに闘ってくれていたことに、子の世代はいつか気づく。誰のためにそうしていたのか。どんなに辛く、でも誇らしいことだったのか。そしていつの間にか、自暴自棄になったり逃げたりするより立ち向かうことを選べる自分、いくつもの抵抗の仕方を見て知ってる自分を発見するだろう。それこそが、他人が奪うことができない本当の財産だ。
翁長知事は県民すべてに、まんべんなく、泥棒も権力者も奪うことができない宝物を与えてくれた。命限り(ぬちかじり)大事な人たちのために闘う姿を、最後の最後まで見せ続けてくれた。そして彼のマブイ(魂)は140万個の光る宝玉となりすべての県民の心にそっと宿ったのだ。私はこの時代に沖縄に生きていることを幸いに思う。観察者や撮影者としてではなく一県民としてあなたを選び、思いを託し、あなたを支え、一喜一憂しながらも民の力を信じ、民主主義を実践で学びながら激動の時代を共に過ごせたことを誇りに思う。
翁長さん、翁長さんはいいチャンスをくれましたね。沖縄県民が心をひとつにしたら想像もつかないことが起きる。その予言は本当かもしれませんし、今なのかもしれません。あなたが命がけで守ろうとした辺野古の海を、「守り切りましたよ」、と報告できるように、心をひとつに結んで頑張る県民の姿を、どうか大勢のご先祖たちとともに見守っていてください。間もなく旧盆が来ますね。御馳走とエイサーで一息ついて、心安らかに祖霊となって私たちを導いてください。
三上智恵・大矢英代 共同監督
ドキュメント『沖縄スパイ戦史』
製作協力金カンパのお願い
今まで沖縄戦の報道に取り組んできた三上智恵・大矢英代の2人の女性監督が、封印されてきた沖縄戦の「裏」に迫り、戦後72年経って初めて語られ始めた事実を描き出すドキュメント『沖縄スパイ戦史』。2018年夏から全国で順次公開予定です。製作費確保のため、引き続き皆さまのお力を貸してください。
詳しくはこちらをご確認下さい。
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