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●《過去の任地で「裁判員裁判で初の死刑判決」になるかもしれない…裁く側に一般市民。その立場で誰かに死を求めるのか。あまりに重い判断》

2023年06月06日 00時00分40秒 | Weblog

[↑ ※《第三者は捜査機関の者である可能性が極めて高いと思われる》(『報道特集』、2023年03月18日[土])]


(2023年05月21日[日])
死刑制度反対裁判員制度反対
 大杉はるか記者による、東京新聞の記事【こちら特報部/日弁連が「終身刑」創設を提言 今なぜ必要なのか?】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/251295?rct=tokuhou)によると、《◆デスクメモ 過去の任地で「裁判員裁判で初の死刑判決」になるかもしれないと目された裁判を担当した。判決日は傍聴席へ。緊張で体がこわばり、背中が汗ばんだ裁く側に一般市民その立場で誰かに死を求めるのかあまりに重い判断。無期刑が言い渡された瞬間、力が抜けたのを覚えている。(榊)》

   『●事件から五十七年。無実を訴え続けても、なぜこんなに歳月を費やしたのか。
     刑事訴訟法の再審規定(再審法)が大きな欠陥を抱えつつ放置されているからだ
   『●袴田冤罪事件…袴田巖さんや袴田秀子さんらの人生をめちゃめちゃに
     した《捜査機関による証拠捏造》に対して責任ある対応が求められる
   『●《捜査機関による証拠捏造》…無罪判決を勝ち取り《いまも、死刑囚の
      まま》から脱却できても、「拘禁反応」に苦しめられ続ける袴田巖さん

 袴田冤罪事件、「無罪」判決の次は、《「第三者がみそ漬けにした可能性がある」》《捜査機関による証拠捏造》《犯行着衣について捜査機関の捏造とまで》の問題へ。検察や警察、《捜査機関による証拠捏造》に対する責任ある対応が求められる。裁判官やメディアの責任も免れない。
 そして、飯塚事件。既に死刑執行してしまった…。山口正紀さんの記事《「飯塚事件」をご存知だろうか。1992年、福岡県飯塚市で起きた2女児殺害事件で逮捕され、無実を訴えていた久間三千年(くま・みちとし)さんが死刑判決を受け、2008年に死刑が執行された(当時70歳)。…オンライン集会は、この第2次再審請求の意義・内容を報告し、支援の輪を広げていこうと企画され、飯塚事件再審の実現に向けて尽力してきた九州大学の大出良知・名誉教授、再審法改正をめざす市民の会木谷明代表(元裁判官)、布川事件の冤罪被害者・桜井昌司さんら幅広い支援者たちの呼びかけで開催された。…布川事件冤罪被害者桜井昌司さん…「こんなことを優秀な裁判官がなぜわからないのか日本の警察はこれまでも証拠を捏造してきました。そうして、どれだけの人が刑務所に入れられ、殺されてきたか。すべてが無責任です。冤罪事件で国家賠償しても、だれも懐が痛まない。そのお金も税金です。足利事件、布川事件、ゴビンダさんの事件東電事件)、東住吉事件だれもその責任を追及しない。再審法を改正しないといけない。税金で集めた証拠を法廷に出すのは当たり前じゃないですか。久間さんの無念は必ず果たせると確信しています。必ず勝ちます。一緒にがんばりましょう。無惨に殺された人の無念を晴らす殺したのは誰か検察庁です」》。

   『●憲法《37条1項が保障する『公平な裁判所による裁判を受ける権利』が
      侵害され》ている…飯塚事件、大崎事件の裁判に「公正らしさ」は?
    《根底には再審法(刑事訴訟法)の不備がある。冤罪(えんざい)から
     無実の人を早期救済するため(1)証拠開示の制度化
     (2)審理を長引かせる検察官抗告の禁止-などの法整備を
     日本弁護士連合会や市民グループが求めている。加えて、
     同一事件の審理を同じ裁判官が繰り返し担うことを、
     再審請求審でも禁じると規定するべきではないか。》

   『●《判決後、大西直樹裁判長は、捜査の問題点と刑事司法の改善の必要性
     を説き、「西山さんの15年を無駄にしてはならない」と話している》
    《西山さんは担当刑事に「いろいろ言いたいこともある」と言う。
     だが、過去を恨むのではなく「冤罪で苦しむ人を救済できる、
     再審法の改正が進んでほしい」と冤罪支援を必要とする人には話を
     しにいったりしている》

 何度も引用しているが、何度でも。(斎藤貴男さん)《当時、「週刊文春」の記者だった私は、彼を殺人犯に仕立てた連中に、「今のお気持ちは」と尋ねて回る取材を仰せつかったのだが、凄まじい成果を得てしまった。「犯人は梅田だと上が言うから逮捕したまで証拠なんかねえよ」と、元刑事は笑ったし、元裁判官は、「判決とは国家の意思なんだ真犯人なんか誰でもいい裁判所が死刑だと言えば吊るせばいい無期だと言ったらつなげばいいんだ」と、力説してくれたものである》…。凄まじい。

   『●《権力の横暴とそれに従属するマスコミの報道姿勢への問題意識を燃料に
       書いてきた──。脚本家がそう明言するドラマが、地上波で放送…》
   『●【<土曜訪問>表現の幅、狭めない 冤罪事件から着想 ドラマ「エルピス」
          で脚本 渡辺あやさん(脚本家)】(東京新聞・石原真樹記者)

 (斎藤貴男さん)《葉梨康弘氏は…③死刑執行は冗談のネタ……だと捉えている》。良い付け事件で《死刑執行命令を下したのは、麻生内閣の森英介法務大臣(当時)》…何を考え《ハンを押した》のだろう。《当たり前だ。ざっと列挙するだけでも葉梨氏は、①法相なんてチョロいポスト、②大臣の立場は金儲けに使えるはず、③死刑執行は冗談のネタ……だと捉えている。そんな人間に、法秩序の維持や国民の権利擁護の重責を担わせておけるはずがない。さらにまた、東大法学部出の彼は、世襲政治家の娘婿になって政界入りする以前、警察庁のキャリア官僚だった前述のような発想ないし確信は、つまり警察官としての職務と日常において培われたものではなかったか。》、《「梅田事件」を思い出す》。

   『●ズブズブ壺壺ヅボヅボでない自民党議員にとっては大チャンスなのに?
      ……まあ、やる気のある、自民党にそんな議員が居ればの話ですがね

 以前引用した室井佑月さんのコラム、最後の部分が重要。《話は変わって、2009年から裁判員制度がはじまった。当時から私は、市井の人に死刑を決めさせるのは荷が重すぎると大反対だった。いや、主語を大きくしてはいけない。あたしには無理だ。今回のことでそれを再認識した。もし裁判員として選ばれたら、堂々と拒否してこういおう。「できません冤罪もあることですし、あたしは死刑制度に反対です人の命を、自民党の人たちみたいに軽く考えられないので」》。
 《人の命を、自民党の人たちみたいに軽く考えられないので》。裁判員制度反対…「できません冤罪もあることですし、あたしは死刑制度に反対です人の命を、自民党の人たちみたいに軽く考えられないので」(室井佑月さん)。ブログ主も、「できません」「あたしは死刑制度に反対です」。『死刑のスイッチ』を押すのは、押させられるのは、まっぴら御免だ。

   『●死刑存置を目指して、市民の意識のハードルを下げさせる制度』   
    「裁判員制度に乗せられて、「死刑のスイッチ」を押させられるなんて、
     真っ平御免だ。ましてや、それが冤罪であったりすれば、二重三重の
     意味でトラウマ必至だ。死刑存置をもくろむ国や官僚、政治家が、
     死刑に対する市民の意識のハードルを下げさせるための制度
     裁判員制度であると思う。その片棒を担がされるなんて耐えられない。
     敢えて重大犯罪の裁判にシロウト裁判員を参加させるところがその証左」

   『●『つぶせ! 裁判員制度』読了
   『●『官僚とメディア』読了(3/3)
   『●『裁判員制度の正体』読了
   『●手遅れ!! ~死刑のスイッチを押すことと死刑執行~
   『●死刑という制度: 「吊るせ、吊るせ」の合唱で何か状況は変わるのか?
   『●「裁判員制度」の下での「死刑制度」存置支持
   『●それは、職業裁判官の怠慢にすぎない
   『●裁判員制度下で少年死刑判決
   『●裁判員の心を慮る・・・
   『●そのスイッチを押せない
   『●『きみが選んだ死刑のスイッチ』読了(1/2)
   『●『きみが選んだ死刑のスイッチ』読了(2/2)
   『●裁判員制度: 被告にとっても憲法違反
   『●裁判員制度を即刻中止に
   『●「死刑のスイッチ」を押すこと: 裁判員のストレス障害
   『●裁判員制度という不始末に最高裁はどのような落し前を?
   『●「死刑のスイッチ」を強制する裁判員制度:
      「やった人でないと、この苦しみは分からない」
   『●裁判員制度反対…「冤罪もあることですし、あたしは死刑制度に反対
      です。人の命を、自民党の人たちみたいに軽く考えられないので」

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/251295?rct=tokuhou

こちら特報部
日弁連が「終身刑」創設を提言 今なぜ必要なのか?
2023年5月21日 12時00分

 死刑の代替刑として終身刑を創設するよう、日弁連が提言している。具体像まで示しており、先月には超党派議連で話題に上がった。かつて国会でも終身刑は議論されたが、実現せずにきた。今なぜ終身刑が必要なのか。実現の課題は何か。(大杉はるか


◆死刑は廃止すべきか 世論も考慮

 超党派議連「日本の死刑制度の今後を考える議員の会」が先月開いた会合。日弁連が昨年11月に提言した終身刑創設について、取りまとめに携わった当時の日弁連副会長、伊井和彦弁護士らが説明した。

     (「日本の死刑制度の今後を考える議員の会」が開いた
      会合=東京都千代田区の衆院第二議員会館で)

 提言では、殺人や強盗殺人罪といった現行の死刑適用罪の全てを対象とし、死刑を終身刑に置き換える。その上で、刑確定から15年か20年経過後に、地裁に「特別減刑」を申し立てられるようにする。地裁の裁判官は受刑状況や本人の心情、事件に関する世論などを踏まえ、減刑について判断。減刑が確定すれば、10年経過後から仮釈放の適用もある無期刑になる。終身刑とはいえ、通算25年か30年経過後に外に出られる道を残した。

 日弁連は2002年から複数回、死刑制度の廃止に向けて提言しており、16年には終身刑制度の検討を提言。今回の提言で初めて特別減刑制度の導入を明確に訴え、具体像を示した。

 なぜ終身刑創設なのか。

 「あえて、死刑に代わる終身刑を提案しているのは世論の関係がある」

 先の会合で伊井弁護士はそう切り出した。

 19年の内閣府世論調査では死刑もやむを得ないとの回答が約80%に上った死刑存置が圧倒的に見えるが、うち「状況が変われば、将来的に廃止してよいは約40%。「終身刑が導入されれば死刑を廃止する方がよいは約35%あり、提言の意義を見いだした。


◆「冤罪で極刑」を回避

 伊井氏は「こちら特報部」の取材に「死刑に代わる具体的な制度を示して議論していくことが重要だと考えた。重い罪を設ける一方で、冤罪(えんざい)で死刑になることは回避できる」と語った。

 日弁連内も死刑の存廃で割れ、廃止に賛成でも終身刑は反対、提言行為自体に反対など、幅広い意見があったという。半年近い議論の末、ようやく昨年11月の理事会で、提言は全91人の8割の賛同を得た。

     (日弁連の提言について説明する伊井和彦弁護士
      =東京都新宿区で)

 「刑罰は国家権力による人権抑制制度。そのあり方について人権の観点からものを言うのは弁護士会の使命だ」と伊井氏は語る。

 もう一点、大きな変化がある。昨年6月に成立し、再来年までに施行される改正刑法だ。強制労働である懲役刑と、一部の罪に適用される労働のない禁錮刑は、拘禁刑に一本化される。拘禁刑での労働の目的は改善更生や社会復帰になり、健康などの問題で労働させることが適当でなければ労働は免除される。

 これまでも受刑者の処遇は、改善更生の意欲喚起や社会生活への適応能力育成に重きが置かれてきたが、確定死刑囚となると「心情の安定に留意」としか定められていなかった。

 では、死刑の代替刑として終身拘禁刑が設けられた場合、処遇はどうなるか。

 「改善更生を目的にしないといけない」と伊井氏は話し、こう続ける。

 「終身拘禁刑は30年経過後に仮釈放の可能性があり、将来の社会復帰を可能とする処遇にすべきだ。仮に社会復帰ができなくても凶悪な考えだった人が改善される形の処遇が必要だ」


◆無期刑は「事実上の終身刑」か

 終身刑を設ける上で看過できない問題がある。

 伊井氏は「前提として、無期刑を本来の趣旨に戻すべきだ」と主張する。

 無期懲役は刑法上、受刑者に「改悛(かいしゅん)の状」があるときは、10年経過後から仮釈放を認めている。制定時に「在監期間を長くすると囚人を自暴自棄に陥らせる弊害がある」(法務省)と考えられたからだ。

 だが無期刑は「事実上の終身刑」と指摘されてきた。2000年末の無期受刑者は1047人(全受刑者の2%)だったが、21年末には1725人(同4.4%)と大幅増加。新規で仮釈放された無期受刑者の平均在所期間も、00年の21年2カ月から、21年には32年10カ月に延びている。40年前の1981年の15年7カ月と比べると、倍の長さだ。

 社会の高齢化に伴い、受刑者も高齢化しており、刑の長期化はその一因になるとも考えられる。

 18年1月に八王子医療刑務所から移転開設された「東日本成人矯正医療センター」は、身体や精神疾患のある受刑者向けの医療専門施設。昨年の入所人員は307人で、健康な受刑者も補助作業をしている。

 被収容者の平均年齢は身体疾患が62歳、精神疾患が51歳だが、最高齢は男性93歳、女性82歳という。

 元裁判官の森炎弁護士は「仮釈放の総数は微増しているが、服役期間は長期化し、受刑中の死亡者も増加傾向にある」と指摘する。

 仮釈放制度については、日弁連が10年、服役期間が15年に達するまでに初回の仮釈放の審理を開始、受刑者本人の審理参加などを求める意見書を提出。だが見直しは進んでいない。


◆終身刑の導入国では適用増加

 その一方、終身刑の創設に伴い、適用例が多くならないかという懸念もある。

 NGO「ペナル・リフォーム・インターナショナル」などの政策提言によると、世界216カ国中、183の国・地域で法律上の終身刑が設けられ、うち149カ国で終身刑を最高刑(極刑)としている。世界の終身刑受刑者は00年の26万1000人から14年の47万9000人に84%アップした。背景には、世界的な死刑の減少に加え、薬物犯罪などへの厳罰化、死刑適用罪より軽い犯罪にも適用されていることが考えられるという。

 NPO監獄人権センター代表の海渡雄一弁護士は「終身刑と有期刑の間に、無期刑がある制度となれば、世界的にも極めて例外」と指摘する。「無期刑の言い渡しを受けている人が終身刑に移行しないかが心配だ」として、「終身刑には死刑適用基準をそのまま横滑りさせるべきだ」と話す。

 そして最大の課題は、死刑の廃止だろう。

 国会では08年、議連「量刑制度を考える超党派の会」(解散)が終身刑創設の法案化を進めたことがある。この時は死刑廃止を、前提とはしなかった。

 現在活動するのが、冒頭の「日本の死刑制度の今後を考える議員の会」。平沢勝栄会長は「まずは死刑の実態を見て聞いてから存廃の議論をするべきで、とても判断できる段階ではない」と語るにとどまる。

 前出の伊井氏はくぎを刺す。「先進国で死刑を廃止していないのは日本と米国だけ。米国は連邦レベルで執行を停止している。日本は国会でも死刑という刑罰制度を認めていいのか考えてもらわないといけない。死刑廃止がすぐにできないなら、まずは死刑執行停止法が必要だ

 龍谷大の福島至名誉教授(刑事法)も「死刑はなるべくやめて終身刑にしようという点を曖昧にするのは危うい。少なくとも廃止の方向性を示す必要がある」と訴えている。


◆デスクメモ

 過去の任地で「裁判員裁判で初の死刑判決」になるかもしれないと目された裁判を担当した。判決日は傍聴席へ。緊張で体がこわばり、背中が汗ばんだ裁く側に一般市民その立場で誰かに死を求めるのかあまりに重い判断。無期刑が言い渡された瞬間、力が抜けたのを覚えている。 (榊)


【関連記事】被告人や受刑者による「獄中者組合」ってどんな組織?なぜ活動は終了したのか?
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●海渡雄一さん《組合について「政治犯がつくった組織だが、一般刑事犯と関わりながら、罪を犯した背景や社会復帰を考える場になっていた」》

2023年05月23日 00時00分03秒 | Weblog

[↑ ※《第三者は捜査機関の者である可能性が極めて高いと思われる》(『報道特集』、2023年03月18日[土])]


(2023年05月09日[火])
(冤罪だろうが知ったこっちゃない?)〝犯罪者〟・獄中者にならば、何をしてもいいのか?
 (こちら特報部)《07年に施行された刑事収容施設法には「(被収容者らの)人権を尊重と明記され、面会や手紙などによる外部との交流要件も緩和された。だが昨年、名古屋刑務所で受刑者への長期間の暴行が発覚したほか、愛知県警岡崎署の保護室で持病のある男性が死亡するなど、人権尊重とは程遠い状態が続いている》。

   『●強大な氷山の一角としての冤罪発覚
   『●《緒形拳さんから突然電話をもらった…「君の『怒りていう、逃亡には
     非ず』を読んだら、興奮してしまって一睡もできなかったよ」という》
    《模範囚で仮釈放目前だったが、同じ刑務所の囚人が病気で吐血して
     苦しんでいるとき、看守を人質にとって、医者に見せろと要求をした。
     この行動が口コミで広がり、千葉刑務所に泉水あり、との噂が広まり、
     後の獄中者組合の結成につながった。1977年9月28日に起きた
     ダッカ日航機ハイジャック事件では、強盗殺人犯で思想的背景や
     日本赤軍とは関係なかったが、獄中者組合の結成が反体制行動
     としてハイジャック犯側に評価され、釈放要求リストに指名される

 大杉はるか記者による、東京新聞の記事【こちら特報部/被告人や受刑者による「獄中者組合」ってどんな組織?なぜ活動は終了したのか?】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/247793)によると、《拘置所や刑務所にいる被告人や受刑者による囚人組合が、かつて日本に存在した。1970年代に新左翼系活動家が大量に収容されたことをきっかけに結成された「獄中者組合」だ。今は事実上の解散となっているが、どんな活動をしていたのか。受刑者らを巡る環境がよくなった末の活動終了なのだろうか。(大杉はるか)》

 入管法改正という名の改悪も同じだと思うんですよね。《これは人の命を奪いかねない法案であり、可決されれば私たちの社会は人を見殺すことに加担することになる》(リテラ)。
 この種のつぶやきをすると、必ずといっていいほど「ウィシュマさんは難民ではない」だの、「ウィシュマさんは強制送還して帰国させていたら今も生きていた」だの…。言ってて恥ずかしくないのだろうかね。「難民ではない」のならば、「殺され」てもいいのか。どこまで冷酷なのかね。後者もDVなど、様々な事情があることも知らないらしい。「帰国」して問題が解決するのなら、さっさとそうしているよ。
 「殺す側の論理」、ついには人の「死」にまで「自己責任論」を持ち出すようになったよ。「殺す側」に居るつもりらしいが、「殺される側」のことには思いを馳せないし、「殺される側」になることはないと思っているらしい。哀れだ。

   『●「殺す側の論理」、ついには人の「死」にまで「自己責任論」を持ち
      出すようになったよ。あなたは「殺す側」に居るつもりらしいが…
   『●安田菜津紀さん《安倍政権とは何だったのか…「強きにすり寄り、弱き
     をへし折る政権」…「引き継がれた『膿』を出し切るのはこれから」》
   『●亡くなられてこの世に居ないウィシュマさんも、斎藤健法相同様、《自分
      がそういうことになれば、公開してほしくない》と思っただろうか?
   『●《坂本さんは…『声を上げる。上げ続ける。あきらめないで、がっかり
     しないで、根気よく。…』。本当にそう。勇気を出して諦めないで…》
   『●映画『主戦場』〝主演〟で言いたいことを言いまくる「妖怪の孫」の
     〝子供たち〟…「強きにすり寄り、弱きをへし折る政権」の継承が未だに…

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/247793

こちら特報部
被告人や受刑者による「獄中者組合」ってどんな組織?なぜ活動は終了したのか?
2023年5月4日 12時00分

     (獄中者組合の組合誌「氾濫ニュース」。85年以降は
      「監獄通信」に(平野良子さん所蔵))

 拘置所や刑務所にいる被告人や受刑者による囚人組合が、かつて日本に存在した。1970年代に新左翼系活動家が大量に収容されたことをきっかけに結成された「獄中者組合」だ。今は事実上の解散となっているが、どんな活動をしていたのか。受刑者らを巡る環境がよくなった末の活動終了なのだろうか。 (大杉はるか


◆袴田巌さんも組合員だった

 収容された新左翼系活動家らを中心に1974年、獄中者組合は結成された。85年、弁護士らによる「獄中の処遇改善をたたかう共同訴訟人の会」と合流し「統一獄中者組合」になった。

 「われわれは獄中者(および出獄者)の権利の確立と拡大のために活動する」。統一獄中者組合の規約にはそううたわれている。

 主な拠点は東京、大阪の両拘置所。被告人らを中心に、施設外の事務局員や弁護士と連携して、保護房の廃止や、房内への筆記用具の持ち込み、土曜日の面会維持などを求めて活動した。

 80年に死刑が確定し、今年3月に再審開始が決まった袴田巌さんも組合員だったという。東京の事務局員だった平野良子さんは「組合員は政治犯より一般刑事犯が多かった」と話す。


◆面会時間の確保や手紙の発信数制限の撤廃など求める

 組合誌には拘置所の処遇の実態を伝える被告人や受刑者の投稿が掲載された。

 82年に恐喝容疑などで逮捕された被告人は「裁判が終わるまで接見禁止の身。警察の留置場で刑事たちに拷問を受けた」とつづった。大阪拘置所にいた被告人は84年、8歳の時に母や姉が入水自殺したという身の上を明かし、「全く人間を信用しなかったが、みんなと出会って勉強させてもらった」と書いた。

 組合は80年代ごろまで、毎年春と秋に、獄中と獄外で統一行動を実施し、30分間の面会時間の確保や手紙の発信数制限の撤廃などを求めた。また、国会に提出された監獄法改正案に対しても、冤罪の温床と指摘される代用監獄の廃止が盛り込まれていないことなどから、反対した。

 その後、高齢化などのため事務局員が減り、2010年代に、事実上の解散となった。「一般刑事犯と政治犯が、監獄の処遇に異議を申し立てる活動を通して、互いに学び合っていた」と、平野さんは振り返る。


◆人権尊重とは程遠い状態続く「塀の中」

 1995年に発足したNPO法人「監獄人権センター」代表で、現在も施設内の待遇改善に取り組む海渡雄一弁護士は、組合について「政治犯がつくった組織だが、一般刑事犯と関わりながら、罪を犯した背景や社会復帰を考える場になっていた」と意義を語る。「『監獄解体』と叫んだ時期もあったが、人権を武器に監獄の実態を変える方向にかじを切った」と振り返る。

 組合の解散後、「塀の中」の処遇は、どうなったのか。明治以来、約100年続いた監獄法が改正され、被収容者の処遇状況を監視するため視察委員会が新設された。07年に施行された刑事収容施設法には「(被収容者らの)人権を尊重と明記され、面会や手紙などによる外部との交流要件も緩和された。だが昨年、名古屋刑務所で受刑者への長期間の暴行が発覚したほか、愛知県警岡崎署の保護室で持病のある男性が死亡するなど、人権尊重とは程遠い状態が続いている

 元刑務官の作家で、受刑者らの更生支援もしている坂本敏夫さんは「監獄法は改正というより改悪」と指摘する。代用監獄は廃止されず、視察委員会も「役に立っていない」とみるからだ。坂本さんは「被収容者の数は一時期よりかなり減ったが、刑務官の数は減っていない。管理がより細かくなっている」と懸念し、「メディアを含め、外部からしっかり監視していくべきだ」と強調した。

【関連記事】108カ国が廃止した死刑をなぜ日本は続けるのか? 「世界死刑廃止デー」に刑罰の本質から考える
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●《緒形拳さんから突然電話をもらった…「君の『怒りていう、逃亡には非ず』を読んだら、興奮してしまって一睡もできなかったよ」という》

2020年06月10日 00時00分01秒 | Weblog

[※ ↑【怒りていう、逃亡には非ず―日本赤軍コマンド泉水博の流転 (河出文庫―文芸コレクション)/松下竜一】(https://m.media-amazon.com/images/I/51JJFTM6CSL._SL500_.jpg)]



日経新聞の「共同」配信記事を引用します。泉水博さんの死去の件、迂闊にも気づいていませんでした(2020年6月初旬時点)。さらに、ウィキペディアからも引用させていただきます。

 毎日新聞の記事【元日本赤軍・泉水博受刑者が死去】(https://mainichi.jp/articles/20200401/ddp/012/040/006000c)によると、《日本赤軍元メンバーで、岐阜市の岐阜刑務所に服役中の泉水(せんすい)博受刑者(83)が死去していたことが3月30日、関係者への取材で分かった》。

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https://twitter.com/chiekooyama/status/1268153136515960837

大山千恵子@chiekooyama

ぷれせんて「泉水博」義の兄貴 転載すなり渡辺亜人

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ぷれせんて「泉水博」義の兄貴 転載すなり渡辺亜人  千恵子@詠む...................

逢いたかったけど、逢えないままだった泉水博さん。ぷれせんて。転載許可をもらったので、転載。泉水博さんの追悼にかえて 渡辺亜人 岐阜刑務所の泉水博さんが亡くなりました。3月22日に心肺停止で病院へ運ばれ、27日の夜9時過ぎに亡くなったということです。ことの詳細を弁護士が問合せをしましたが、刑務所側は回答していません。亡くなった原因は未だ定かではありませんが、かなり以前から高血圧を薬で抑えていたよう...

blog.goo.ne.jp
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午後9:10 · 2020年6月3日
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 たまたま覗いた大山千恵子さんのブログ (https://blog.goo.ne.jp/chieko_oyama/e/0aa4e00f3280a51dc7106f0380236f2c)で知りました。渡辺亜人氏の【泉水博さんの追悼にかえて】が転載されています。《検察権力は公安事件犯とは違う刑事犯である泉水さんへ、差別意識をむき出しにしていました。指名に応じないよう説得する役人に対し、「人質の命が保障されるなら取り消します。」という泉水さんに、「お前に何が出来る、何様のつもりだ。思いあがるな!」と罵倒したという。この差別意識は、日本へ送還された時のマスコミ報道にも現れ「ついに強盗殺人犯は、酒好きで、規律になじめずコマンドになり切れなかった。法律を“超えて”国外逃亡した男の、あわれな帰還…」などと彼の人格をおとしめています》。前半の経緯については、松下竜一さんの『怒りていう、逃亡には非ず ―――日本赤軍コマンド泉水博の流転』にも書かれていたように思います。渡辺亜人氏の【泉水博さんの追悼にかえて】、色々と勉強になりました。
 河出書房新社の《この本の内容》(http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309404721/)によると、《千葉刑務所に服役中、日本赤軍のハイジャックによってアラブへわたり、八七年赤軍コマンドとして捕えられた元“刑事犯”泉水博の数奇にして稀有な生の軌跡を描くノンフィクションの傑作》。私も、傑作だと思います。

   『●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(8/9)
    「最後に、講演依頼に「はがきいっぱいに豪快な筆致で「快諾」とあった。
     千言にもまさるこの簡潔豪毅な返事に」センセを唸らせた
     「私を演じた人」緒形拳さん。「緒形拳さんから突然電話をもらった…。
     /「君の『怒りていう、逃亡には非ず』を読んだら、
     興奮してしまって一睡もできなかったよ」という。/…泉水博の、
     数奇な運命をたどったノンフィクションである。
     「これを映画にできたら」という熱い思いを、拳さんは電話で伝えた。
     /「君はいい仕事をしているねえ」といわれて、…拳さんがこうして
     遠くから見ていてくれたことを知って嬉しさもこみあげていた」。
     室原翁の役とともに、実現してほしかった」

   『●『創(2010年1月号)』読了(2/3)
    「鈴木邦男さんの「言論の覚悟」(…)。国家の面子による、国家の損失。
     日本赤軍東アジア反日武装戦線、「〈思想〉が裁かれた」。泉水博さん」

   『●『松下竜一未刊行著作集5/平和・反原発の方向』読了(後半)
    「ガサ入れが結ぶ縁。日本赤軍コマンド泉水博さん(…)。
     『怒りていう、逃亡には非ず ―――日本赤軍コマンド泉水博の流転』」




【怒りていう、逃亡には非ず―日本赤軍コマンド泉水博の流転
    (河出文庫―文芸コレクション)松下 竜一】(https://bookmeter.com/books/134486
 (https://m.media-amazon.com/images/I/51JJFTM6CSL._SL500_.jpg

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https://r.nikkei.com/article/DGXMZO57434850R30C20A3CE0000?s=5

泉水博受刑者が死去 元赤軍メンバー
2020年3月31日 10:20

日本赤軍元メンバーで、岐阜市の岐阜刑務所に服役中の泉水博受刑者(83)が死去していたことが、31日までに関係者への取材で分かった。

関係者によると、泉水受刑者は22日夜に刑務所内で心肺停止の状態で見つかり、病院に搬送されたが、27日に死亡したという。

泉水受刑者は1960年、強盗殺人罪で無期懲役となり、その後、判決が確定し服役。赤軍の77年のダッカ・ハイジャック事件に絡み、政府の超法規的措置で釈放された。88年にフィリピンで身柄を拘束、逮捕され、再び服役していた。

〔共同〕
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%89%E6%B0%B4%E5%8D%9A

泉水博
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

泉水 博(せんすい ひろし、1937年3月10日 - 2020年3月27日[1])は、千葉刑務所で獄中者組合を結成した人物。千葉県木更津市生まれ。


人物
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千葉県立木更津第二高等学校(現・千葉県立木更津東高等学校)を2年で中退後、職を転々とする。1960年、仲間と2人で会社重役夫人を刺殺し、1万5千円を奪った事件で逮捕された。泉水は無期懲役が確定し、千葉刑務所で服役した。

模範囚で仮釈放目前だったが、同じ刑務所の囚人が病気で吐血して苦しんでいるとき、看守を人質にとって、医者に見せろと要求をした。この行動が口コミで広がり、千葉刑務所に泉水あり、との噂が広まり、後の獄中者組合の結成につながった

1977年9月28日に起きたダッカ日航機ハイジャック事件では、強盗殺人犯で思想的背景や日本赤軍とは関係なかったが、獄中者組合の結成が反体制行動としてハイジャック犯側に評価され、釈放要求リストに指名される。日本政府は当初は泉水を「思想犯ではなく刑事犯」である理由から2人の釈放拒否の方針を持っていたが、ハイジャック犯に拒否をされ釈放対象となった。その後、日本政府によって超法規的措置によって釈放され、日本赤軍に参加。泉水は「喜んで出獄した訳ではない。当局に『自分で判断せよ』と突き放され、『一人でも(人質に)犠牲が出たら後悔するのは私』と考えた結果だった」[2]。その後、国際手配された。

刑法により無期懲役の時効が20年あったことから、20年逃亡すれば無期懲役がなされなくなる恐れがあった(刑の時効は公訴時効と異なり、国外逃亡の時効停止規定がない)。しかし、釈放から9年後の1986年6月7日にフィリピンで旅券法違反で逮捕され、日本へ送還されて勾留となり、刑の時効は不成立となった。1995年3月、逃亡前の無期懲役に旅券法違反の懲役2年が加算された。

2020年3月22日夜、服役していた岐阜刑務所内で心肺停止の状態で見つかり、病院に搬送されたが、27日に死亡した[1]。83歳だった。


参考文献
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松下竜一怒りていう、逃亡には非ず 日本赤軍コマンド泉水博の流転』河出書房新社、1993年12月、ISBN 4309008739、河出文庫: 1996年2月、ISBN 4309404723、松下竜一その仕事刊行委員会版: 河出書房新社、2000年9月、ISBN 4309620736


脚注
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1. ^ a b “泉水博受刑者が死去 元赤軍メンバー”. 共同通信社. (2020年3月30日) 2020年3月31日閲覧。
2. ^ 2020年4月9日 東京新聞 朝刊「こちら特報部」
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