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●《緒形拳さんから突然電話をもらった…「君の『怒りていう、逃亡には非ず』を読んだら、興奮してしまって一睡もできなかったよ」という》

2020年06月10日 00時00分01秒 | Weblog

[※ ↑【怒りていう、逃亡には非ず―日本赤軍コマンド泉水博の流転 (河出文庫―文芸コレクション)/松下竜一】(https://m.media-amazon.com/images/I/51JJFTM6CSL._SL500_.jpg)]



日経新聞の「共同」配信記事を引用します。泉水博さんの死去の件、迂闊にも気づいていませんでした(2020年6月初旬時点)。さらに、ウィキペディアからも引用させていただきます。

 毎日新聞の記事【元日本赤軍・泉水博受刑者が死去】(https://mainichi.jp/articles/20200401/ddp/012/040/006000c)によると、《日本赤軍元メンバーで、岐阜市の岐阜刑務所に服役中の泉水(せんすい)博受刑者(83)が死去していたことが3月30日、関係者への取材で分かった》。

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https://twitter.com/chiekooyama/status/1268153136515960837

大山千恵子@chiekooyama

ぷれせんて「泉水博」義の兄貴 転載すなり渡辺亜人

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ぷれせんて「泉水博」義の兄貴 転載すなり渡辺亜人  千恵子@詠む...................

逢いたかったけど、逢えないままだった泉水博さん。ぷれせんて。転載許可をもらったので、転載。泉水博さんの追悼にかえて 渡辺亜人 岐阜刑務所の泉水博さんが亡くなりました。3月22日に心肺停止で病院へ運ばれ、27日の夜9時過ぎに亡くなったということです。ことの詳細を弁護士が問合せをしましたが、刑務所側は回答していません。亡くなった原因は未だ定かではありませんが、かなり以前から高血圧を薬で抑えていたよう...

blog.goo.ne.jp
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午後9:10 · 2020年6月3日
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 たまたま覗いた大山千恵子さんのブログ (https://blog.goo.ne.jp/chieko_oyama/e/0aa4e00f3280a51dc7106f0380236f2c)で知りました。渡辺亜人氏の【泉水博さんの追悼にかえて】が転載されています。《検察権力は公安事件犯とは違う刑事犯である泉水さんへ、差別意識をむき出しにしていました。指名に応じないよう説得する役人に対し、「人質の命が保障されるなら取り消します。」という泉水さんに、「お前に何が出来る、何様のつもりだ。思いあがるな!」と罵倒したという。この差別意識は、日本へ送還された時のマスコミ報道にも現れ「ついに強盗殺人犯は、酒好きで、規律になじめずコマンドになり切れなかった。法律を“超えて”国外逃亡した男の、あわれな帰還…」などと彼の人格をおとしめています》。前半の経緯については、松下竜一さんの『怒りていう、逃亡には非ず ―――日本赤軍コマンド泉水博の流転』にも書かれていたように思います。渡辺亜人氏の【泉水博さんの追悼にかえて】、色々と勉強になりました。
 河出書房新社の《この本の内容》(http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309404721/)によると、《千葉刑務所に服役中、日本赤軍のハイジャックによってアラブへわたり、八七年赤軍コマンドとして捕えられた元“刑事犯”泉水博の数奇にして稀有な生の軌跡を描くノンフィクションの傑作》。私も、傑作だと思います。

   『●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(8/9)
    「最後に、講演依頼に「はがきいっぱいに豪快な筆致で「快諾」とあった。
     千言にもまさるこの簡潔豪毅な返事に」センセを唸らせた
     「私を演じた人」緒形拳さん。「緒形拳さんから突然電話をもらった…。
     /「君の『怒りていう、逃亡には非ず』を読んだら、
     興奮してしまって一睡もできなかったよ」という。/…泉水博の、
     数奇な運命をたどったノンフィクションである。
     「これを映画にできたら」という熱い思いを、拳さんは電話で伝えた。
     /「君はいい仕事をしているねえ」といわれて、…拳さんがこうして
     遠くから見ていてくれたことを知って嬉しさもこみあげていた」。
     室原翁の役とともに、実現してほしかった」

   『●『創(2010年1月号)』読了(2/3)
    「鈴木邦男さんの「言論の覚悟」(…)。国家の面子による、国家の損失。
     日本赤軍東アジア反日武装戦線、「〈思想〉が裁かれた」。泉水博さん」

   『●『松下竜一未刊行著作集5/平和・反原発の方向』読了(後半)
    「ガサ入れが結ぶ縁。日本赤軍コマンド泉水博さん(…)。
     『怒りていう、逃亡には非ず ―――日本赤軍コマンド泉水博の流転』」




【怒りていう、逃亡には非ず―日本赤軍コマンド泉水博の流転
    (河出文庫―文芸コレクション)松下 竜一】(https://bookmeter.com/books/134486
 (https://m.media-amazon.com/images/I/51JJFTM6CSL._SL500_.jpg

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https://r.nikkei.com/article/DGXMZO57434850R30C20A3CE0000?s=5

泉水博受刑者が死去 元赤軍メンバー
2020年3月31日 10:20

日本赤軍元メンバーで、岐阜市の岐阜刑務所に服役中の泉水博受刑者(83)が死去していたことが、31日までに関係者への取材で分かった。

関係者によると、泉水受刑者は22日夜に刑務所内で心肺停止の状態で見つかり、病院に搬送されたが、27日に死亡したという。

泉水受刑者は1960年、強盗殺人罪で無期懲役となり、その後、判決が確定し服役。赤軍の77年のダッカ・ハイジャック事件に絡み、政府の超法規的措置で釈放された。88年にフィリピンで身柄を拘束、逮捕され、再び服役していた。

〔共同〕
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%89%E6%B0%B4%E5%8D%9A

泉水博
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

泉水 博(せんすい ひろし、1937年3月10日 - 2020年3月27日[1])は、千葉刑務所で獄中者組合を結成した人物。千葉県木更津市生まれ。


人物
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千葉県立木更津第二高等学校(現・千葉県立木更津東高等学校)を2年で中退後、職を転々とする。1960年、仲間と2人で会社重役夫人を刺殺し、1万5千円を奪った事件で逮捕された。泉水は無期懲役が確定し、千葉刑務所で服役した。

模範囚で仮釈放目前だったが、同じ刑務所の囚人が病気で吐血して苦しんでいるとき、看守を人質にとって、医者に見せろと要求をした。この行動が口コミで広がり、千葉刑務所に泉水あり、との噂が広まり、後の獄中者組合の結成につながった

1977年9月28日に起きたダッカ日航機ハイジャック事件では、強盗殺人犯で思想的背景や日本赤軍とは関係なかったが、獄中者組合の結成が反体制行動としてハイジャック犯側に評価され、釈放要求リストに指名される。日本政府は当初は泉水を「思想犯ではなく刑事犯」である理由から2人の釈放拒否の方針を持っていたが、ハイジャック犯に拒否をされ釈放対象となった。その後、日本政府によって超法規的措置によって釈放され、日本赤軍に参加。泉水は「喜んで出獄した訳ではない。当局に『自分で判断せよ』と突き放され、『一人でも(人質に)犠牲が出たら後悔するのは私』と考えた結果だった」[2]。その後、国際手配された。

刑法により無期懲役の時効が20年あったことから、20年逃亡すれば無期懲役がなされなくなる恐れがあった(刑の時効は公訴時効と異なり、国外逃亡の時効停止規定がない)。しかし、釈放から9年後の1986年6月7日にフィリピンで旅券法違反で逮捕され、日本へ送還されて勾留となり、刑の時効は不成立となった。1995年3月、逃亡前の無期懲役に旅券法違反の懲役2年が加算された。

2020年3月22日夜、服役していた岐阜刑務所内で心肺停止の状態で見つかり、病院に搬送されたが、27日に死亡した[1]。83歳だった。


参考文献
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松下竜一怒りていう、逃亡には非ず 日本赤軍コマンド泉水博の流転』河出書房新社、1993年12月、ISBN 4309008739、河出文庫: 1996年2月、ISBN 4309404723、松下竜一その仕事刊行委員会版: 河出書房新社、2000年9月、ISBN 4309620736


脚注
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1. ^ a b “泉水博受刑者が死去 元赤軍メンバー”. 共同通信社. (2020年3月30日) 2020年3月31日閲覧。
2. ^ 2020年4月9日 東京新聞 朝刊「こちら特報部」
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