世間にはいろんな生き方があり、好きなテーマに絞って勉強・研究し続けることにも
大きな意義・価値があります。
《参考資料》
「残酷すぎる成功法則」エリック・バーカー著【飛鳥新書】
★22~24ページからの抜粋
ボストン・カレッジの研究者であるカレン・アーノルドは、1980年代~1990年代にイリノイ州の高校を首席で卒業した81人のその後を継続調査した。(中略)
その90%が専門的なキャリアを積み、40%が弁護士・医師・エンジニアなど社会的評価の高い専門職についた。彼らは堅実で信頼され、社会への順応性も高く、多くの者が総じて恵まれた暮らしをしていた。
しかし、彼らの中に、世界を変革したり、動かしたり、あるいは、世界中の人々に感銘を与えるまでになる者が何人いただろうか? 答えはゼロのようだ。 アーノルドの見解は次の通り。
「首席たちの多くは、仕事で順調に業績を重ねるが、彼らの圧倒的多数は、それぞれの職能分野を第一線で率いる方ではない。」「優等生たちは、先見の明をもってシステムを変革するというより、むしろシステム内に収まるタイプだ。」
上記の81人が、たまたま第一線に立たなかったというわけではない。調査によれば、学校で優秀な成績を収める資質そのものが、一般社会でホームランヒッターになる資質と相反するものだという。
では、高校でのナンバーワンが、滅多に実社会でのナンバーワンにならないのはなぜか?
理由は二つある。
第❶に、学校とは、言われたことをきちんとする能力に報いる場所だからだ。学力と知的能力の相関関係は必ずしも高くはない。学校での成績は、むしろ、自己規律、真面目さ、従順さを示すのに最適な指標である。
アーノルドは、インタビューで、「学校は、基本的に規則に従い、システムに順応していこうとする者に報奨を与える」と語った。
81人の首席たちの中には、「良い成績を取るには、深く理解することより教師が求める答えを出すことの方が大事だ」と言う者もいた。(中略)
第❷の理由は、すべての科目で良い点を取るゼネラリストに報いる学校のカリキュラムにある。
学生の個々の情熱や特殊な分野での専門的知識はあまり評価しない。
ところが、実社会では、その逆だ。高校で首席を務めた被験者たちについて、アーノルドはこう語る。
「彼らは、仕事でも私生活でも万事そつなくこなすが、一つの領域に全身全霊で打ち込むほうではないので、特定分野で抜きんでることは難しい。」
どんなに数学が好きでも、優等生になりたければ、歴史でもA評価を取るために数学の勉強を切り上げなければならない。
専門知識を磨くには、残念な仕組みだ。だが一たび社会に出れば、多くの場合、特定分野でのスキルが高く評価され、他の分野での能力はあまり問われない。
皮肉なことに、アーノルドは、純粋に学ぶことが好きな学生は、学校では苦労するという事実を見出したのだ。
情熱を注ぎたい対象があり、その分野に精通することに関心がある彼らにとって、学校というシステムは息が詰まる。
★私は、上記の調査結果を全面的に支持します。
なぜなら、私自身も大学に入学してから、自由に読みたい図書を選び、それらだけを日々夢中になって読みふける生活を送れることに、非常な喜びを抱き、一日12時間以上も読書や勉強に明け暮れた4年間を過ごした事を、懐かしく思い出します。
大学院に入学してからも、日々図書館に籠りっきりで、丸で「蓑虫」のような生活を過ごしたことに、今でもとても満足しています。
平成30年10月14日 日曜日
岡村ゼミナール&CJA日本語学校:岡村寛三郎
大きな意義・価値があります。
《参考資料》
「残酷すぎる成功法則」エリック・バーカー著【飛鳥新書】
★22~24ページからの抜粋
ボストン・カレッジの研究者であるカレン・アーノルドは、1980年代~1990年代にイリノイ州の高校を首席で卒業した81人のその後を継続調査した。(中略)
その90%が専門的なキャリアを積み、40%が弁護士・医師・エンジニアなど社会的評価の高い専門職についた。彼らは堅実で信頼され、社会への順応性も高く、多くの者が総じて恵まれた暮らしをしていた。
しかし、彼らの中に、世界を変革したり、動かしたり、あるいは、世界中の人々に感銘を与えるまでになる者が何人いただろうか? 答えはゼロのようだ。 アーノルドの見解は次の通り。
「首席たちの多くは、仕事で順調に業績を重ねるが、彼らの圧倒的多数は、それぞれの職能分野を第一線で率いる方ではない。」「優等生たちは、先見の明をもってシステムを変革するというより、むしろシステム内に収まるタイプだ。」
上記の81人が、たまたま第一線に立たなかったというわけではない。調査によれば、学校で優秀な成績を収める資質そのものが、一般社会でホームランヒッターになる資質と相反するものだという。
では、高校でのナンバーワンが、滅多に実社会でのナンバーワンにならないのはなぜか?
理由は二つある。
第❶に、学校とは、言われたことをきちんとする能力に報いる場所だからだ。学力と知的能力の相関関係は必ずしも高くはない。学校での成績は、むしろ、自己規律、真面目さ、従順さを示すのに最適な指標である。
アーノルドは、インタビューで、「学校は、基本的に規則に従い、システムに順応していこうとする者に報奨を与える」と語った。
81人の首席たちの中には、「良い成績を取るには、深く理解することより教師が求める答えを出すことの方が大事だ」と言う者もいた。(中略)
第❷の理由は、すべての科目で良い点を取るゼネラリストに報いる学校のカリキュラムにある。
学生の個々の情熱や特殊な分野での専門的知識はあまり評価しない。
ところが、実社会では、その逆だ。高校で首席を務めた被験者たちについて、アーノルドはこう語る。
「彼らは、仕事でも私生活でも万事そつなくこなすが、一つの領域に全身全霊で打ち込むほうではないので、特定分野で抜きんでることは難しい。」
どんなに数学が好きでも、優等生になりたければ、歴史でもA評価を取るために数学の勉強を切り上げなければならない。
専門知識を磨くには、残念な仕組みだ。だが一たび社会に出れば、多くの場合、特定分野でのスキルが高く評価され、他の分野での能力はあまり問われない。
皮肉なことに、アーノルドは、純粋に学ぶことが好きな学生は、学校では苦労するという事実を見出したのだ。
情熱を注ぎたい対象があり、その分野に精通することに関心がある彼らにとって、学校というシステムは息が詰まる。
★私は、上記の調査結果を全面的に支持します。
なぜなら、私自身も大学に入学してから、自由に読みたい図書を選び、それらだけを日々夢中になって読みふける生活を送れることに、非常な喜びを抱き、一日12時間以上も読書や勉強に明け暮れた4年間を過ごした事を、懐かしく思い出します。
大学院に入学してからも、日々図書館に籠りっきりで、丸で「蓑虫」のような生活を過ごしたことに、今でもとても満足しています。
平成30年10月14日 日曜日
岡村ゼミナール&CJA日本語学校:岡村寛三郎