『・・・・・プロテスタントは視覚による美の喜びを放逐しようとした・・・
理屈で積み上げていくので、美的感覚は後退するし、父性原理の重視で
マリアは評価がさがっていく・・・
しかしプロテスタントのドイツ人は耳だけは残した。それで音楽は発達した。
・・・・・西洋音楽が発達したのはプロテスタントのおかげだが・・・
17世紀以前までの神話的思考は音楽の中でのみ生き残る。
・・・そして最後はワーグナーにまで行く・・・楽劇はまさに神話で・・・
だからあれほどごちゃごちゃ極まりない。
プロテスタントの思想の欠落した部分が音楽に生かされることで、
ヨーロッパはバランスを取った・・・・・』
ほおぉ~。仏教の本でクラシックの勉強もできるとは。
そう言われると久々にワグナーが聴きたくなりますねぇ。
全曲でなく、『管弦楽曲集』(ノリントン)ですが。
テンポのことでよく話題になるやつですね。(^m^)
さて、昨日テレビでふと耳にしたのは。
「最近は作曲家の意図がどうと言って
音楽自体がロマンティックじゃなくなってる。
音楽が客観的になりすぎている」
と言う言葉で、すごくひっかかった。
たしかにこの台詞を使う人が多いよなぁ・・。
でもそれはたぶんあまりに原典を無視したり、
意図の判らない奇をてらった音楽作りをする人が
多くなってしまったしまったせいなのかも、あるいはしれない。
だから最初に返りましょうよっていう・・ね。
でもそれを考えていると、“はたして音楽は作曲家のものなのか?”
という疑問も私は湧いてくるのだ。
音楽だけでなく絵画なんかもだけど、たぶん何か作ったことのある人は
判るだろうけど、“降りて来る”とか“そこに観えてるものを掴む”
っていう感覚。インスピレーション。
これはどこから来ると思う?
![](/11000/u10118/1000/FI1365937_1E.jpg)
横尾忠則さんがよく言ってたけど、
「芸術家っていうのは巫女で、すでに存在しているモノを
この世に具現させるための媒体にすぎない。
だから自分が作ってるんじゃなくて、作らされてる、
作らせていただいてるっていう謙虚さが必要だ」って。
私はこれすごく納得するんだ。
だから、音楽家は“作曲家の意図に近づこう”とする行為の
もう一つ向こうに、“宇宙の意思”まで思いを飛ばさなきゃ
いけないんじゃないかな。なんて。
世の中、著作権だなんだと面倒な世の中ですが、
変わったイラストレーターもいて、描いてるときはまぁ楽しいけど終ったら興味がない。
本人いわく
「作品て・・う○こなんです。自分のう○こを取っておいてまじまじと
観たりしないでしょ?観たくないから手元に置かないんです。」(^□^゜
だそうです。生み落しちゃったらもういらないんだそうです。
自分に体から離れたら、あとは知らない。
だから、自分がどんなのを描いたとか、誰が持ってるかとか、分からないんだって。
それもまたすごい!
執着無さ過ぎですが、もしかしたらこれがあるべき姿なのかもしれないね。
*
『仏教が好き!』(河合隼雄/中沢新一)
![](/11000/u10118/1000/FI1365937_2E.jpg)
理屈で積み上げていくので、美的感覚は後退するし、父性原理の重視で
マリアは評価がさがっていく・・・
しかしプロテスタントのドイツ人は耳だけは残した。それで音楽は発達した。
・・・・・西洋音楽が発達したのはプロテスタントのおかげだが・・・
17世紀以前までの神話的思考は音楽の中でのみ生き残る。
・・・そして最後はワーグナーにまで行く・・・楽劇はまさに神話で・・・
だからあれほどごちゃごちゃ極まりない。
プロテスタントの思想の欠落した部分が音楽に生かされることで、
ヨーロッパはバランスを取った・・・・・』
ほおぉ~。仏教の本でクラシックの勉強もできるとは。
そう言われると久々にワグナーが聴きたくなりますねぇ。
全曲でなく、『管弦楽曲集』(ノリントン)ですが。
テンポのことでよく話題になるやつですね。(^m^)
さて、昨日テレビでふと耳にしたのは。
「最近は作曲家の意図がどうと言って
音楽自体がロマンティックじゃなくなってる。
音楽が客観的になりすぎている」
と言う言葉で、すごくひっかかった。
たしかにこの台詞を使う人が多いよなぁ・・。
でもそれはたぶんあまりに原典を無視したり、
意図の判らない奇をてらった音楽作りをする人が
多くなってしまったしまったせいなのかも、あるいはしれない。
だから最初に返りましょうよっていう・・ね。
でもそれを考えていると、“はたして音楽は作曲家のものなのか?”
という疑問も私は湧いてくるのだ。
音楽だけでなく絵画なんかもだけど、たぶん何か作ったことのある人は
判るだろうけど、“降りて来る”とか“そこに観えてるものを掴む”
っていう感覚。インスピレーション。
これはどこから来ると思う?
![](/11000/u10118/1000/FI1365937_1E.jpg)
横尾忠則さんがよく言ってたけど、
「芸術家っていうのは巫女で、すでに存在しているモノを
この世に具現させるための媒体にすぎない。
だから自分が作ってるんじゃなくて、作らされてる、
作らせていただいてるっていう謙虚さが必要だ」って。
私はこれすごく納得するんだ。
だから、音楽家は“作曲家の意図に近づこう”とする行為の
もう一つ向こうに、“宇宙の意思”まで思いを飛ばさなきゃ
いけないんじゃないかな。なんて。
世の中、著作権だなんだと面倒な世の中ですが、
変わったイラストレーターもいて、描いてるときはまぁ楽しいけど終ったら興味がない。
本人いわく
「作品て・・う○こなんです。自分のう○こを取っておいてまじまじと
観たりしないでしょ?観たくないから手元に置かないんです。」(^□^゜
だそうです。生み落しちゃったらもういらないんだそうです。
自分に体から離れたら、あとは知らない。
だから、自分がどんなのを描いたとか、誰が持ってるかとか、分からないんだって。
それもまたすごい!
執着無さ過ぎですが、もしかしたらこれがあるべき姿なのかもしれないね。
*
『仏教が好き!』(河合隼雄/中沢新一)
![](/11000/u10118/1000/FI1365937_2E.jpg)