わん太夫の迷路

気ままに人生を送りたいな~、との希望的観測と共に

◆フランス近代絵画の楽しみを受講 第3回  講師:千足伸行 成城大学名誉教授

2013年06月24日 15時41分10秒 | 美術散歩

 

 

画像左 冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏:北斎
画像中 東海道五十三次 庄野:広重
画像右 笛吹く少年:マネ

万博と日本ブーム:ジャポニズム

講師:千足伸行 成城大学名誉教授


世界初の万博がロンドンで開催され、その成功を見たナポレオン3世により

パリでも万博が開催されました。

そのパリ万博に幕末以来の日本からも数々の物産が出品されました。

その中で特に注目されたのが美術工芸品でした。

さらに言えば、浮世絵、陶磁器、着物など様々な文物でしたが、

日本から派遣された芸者による日本舞踊や茶の湯の実演などもあったそうです。

そんな日本からの文化・芸術は当時の欧米、とりわけフランスやアメリカまでも席巻し、

19世紀後半はかつてない日本ブームが出現したようです。

それがジャポニズムで、日本趣味とか日本ブームが西洋美術にも影響を与えたことであります。

特に印象派の画家、マネ、モネ、アメリカ人のホイッスラーなどに多大な影響を与えました。

北斎や広重の浮世絵は、陰影濃淡のない平面的な色彩、

明瞭な輪郭線、奥行き、遠近感の無い平面的な画面構成は、

当時のパリの画壇を支配していたアカデミズム見られないものでした。

例えば、西洋絵画で重んじられていたシンメトリーにこだわらない大胆な画面構成や余白を生かした構図などは、

マネなどの若い印象派の画家たちに一つの啓示となったようです。

美術だけではなく、音楽でもプッチーニのオペラ「蝶々夫人」なども「ジャポニズム」によるものです。

富士山が世界文化遺産として登録されましたが、

これも「ジャポニズム」のなせる業かもしれませんね。

今でもヨーロッパで日本と言えば、「フジヤマ、ゲイシャ」を思い浮かべる人が多いそうです。

 


千足伸行先生の「フランス近代絵画の楽しみ」を受講 第2回

2013年06月14日 13時24分22秒 | 美術散歩

  

 

【印象派の陰で:サロン絵画を見直す】

講師:千足伸行 成城大学名誉教授

 

表題はこのようですが、当時の状況からは

「サロン絵画の陰に印象派の絵画があった」と言うのが実態のようです。

サロン絵画はルネッサンスやバロックと手本としたので、

物の形やとりわけ人体を正確に描きました。

その為ギリシャ彫刻などのデッサン、人体のデッサンが重視されました。

当時のサロン画家はブルジョアなどの富裕層を顧客に持っていたので、

画家自身も豪邸に住まうなど裕福な生活を送っていたようです。

それに引き換え、印象派の画家は結構生活に窮していて、

晩年になってやっと経済的にゆとりができたようです。


印象派の絵画は光や色彩を重視するため、

人の顔なども、クロード・モネに見るようにはっきりと判別しないもの。

サロン派の画家からすれば印象派の絵画は「未完成・手抜き」と非難されていました。


サロン派の絵画が注文が多かったのは、

ギリシャ神話などに主題を取った作品。

つまり、ヴィーナスなどの女性の裸体が描かれたもの。

それもかなりエロチシズムを感じさせるもの。

それは客である「男性」の希望に沿うためのものだったようです。

ちなみに当時人気のあった巨匠としては、ジャン=レオン・ジェローム、アレクサンドル・カパネル、

フランソワ・ジェラールなどです。

 


◆フランス近代絵画の楽しみを受講

2013年06月06日 15時36分44秒 | 美術散歩

◆フランス近代絵画の楽しみ

中央区の美術講座を久し振りに受講します。

講師は千足伸行 成城大学名誉教授。

第1回 印象派とその時代:都会と田園

第2回 印象派の陰で:サロン絵画を見直す

第3回 万博と日本ブーム:ジャポニズム

第4回 ベル・エッポク:パリの「酒とバラの日々」


昨日はその第1回。

かいつまんで言うと、印象派は市民的絵画である。

時代も王侯貴族や教会中心から、ナポレオン3世の第2帝政~第3共和政の時代であり、

一般市民が「力」をつけてきた時代である。

印象派の絵は、アトリエ中心の製作というよりも、

陽光降り注ぐ戸外での製作が中心となった、自然をアトリエとしたものでした。

その戸外での製作、特にパリ郊外や田園での活動を容易にしたのは、

産業革命により鉄道が開通したことによるようです。

当時はパリ郊外にピクニックに行くことがはやったようです。

戸外での制作等の結果、印象派の絵画はそれ以前の新古典派やロマン派のような大作ではなく、

概して小振りであり、「市民」家庭で飾れるような絵画です。