わん太夫の迷路

気ままに人生を送りたいな~、との希望的観測と共に

昨日は結婚記念日・・・だった

2008年05月20日 14時59分23秒 | 徒然道草

昨日は28回目の結婚記念日でありました。

ここ数年は特に何をするでもなく、

単に、365日のうちの1日・・・

昨日は以前からの別用の約束があり、

夕ご飯をともにすることも出来なかった。

帰宅も11時過ぎ、花も買えなかった

でも、空也の最中と生菓子とを買って帰ったので、

何とか体裁はついたかなあ・・・

帰宅後家内に侘びを言ったら、

28年前の5月19日がなければ、

もっと幸せな生活が出来ていたかも、だって・・・

それを言われると返す言葉もないが、

その割には、台風接近中なのに、

グーグー、高イビキで寝入ってしまっている(^u^)

  
  取あえず、『日日平穏』と言えるのでしょう ♪ d(⌒o⌒)b♪

 


女神が舞い降りた、ウルビーノのヴィーナス展

2008年05月13日 14時18分40秒 | 美術散歩

 

上野に女神が舞い降りた、ウルビーノのヴィーナス展も5月18日で、

また舞い戻ってしまいます。

ヴィーナスの系譜については既に、諸兄が記事にされていますので、

私見を簡単に述べるにとどめます。

古代ギリシャの時代にあっては、裸体の彫刻と言えば、男性像のみでした。

  
   円盤を投げる人  ミュロン原作による

これは、『肉体美=男性の鍛えられた体』だったためです。

古代ギリシャにあっては、男子は戦士として

ポリス(都市国家)を常に外的から守らなければなりませんでした。

若桑みどり先生風に言うと、彫像として立派な肉体を見せることで、

女を支配したと言うことともいえます。

古代ギリシャにおけるオリンピックは、参加者は成人男子のみ、

しかも一紙纏わぬ全裸での競技です。

ですから、女性は競技を観戦することは許されませんでした。


しかし、ペルシャ戦争などを経て、アテネの黄金期を迎えるようになると、

必ずしも、男性の肉体を強調する必要もなくなりました。

そんな時期に登場したのが、彫刻家のフィジアスやプラクシテレスです。

 
  跪くアフロディーテ

彼らのオリジナルの作品は殆んど現存していませんが、

古代ローマの頃に作成されたその複製から往時がしのばれます。

 
  カピトリニのヴィーナス

プラクシテレスによる女性像は、女性の持つあらゆる魅力を余すところなく表現し、

今日に至るまで、彼を超える女性像は皆無と言っても過言ではありません。

 
 ミロのヴィーナス

彼が製作した女性像はギリシャ神話の愛と美の女神『アフロディーテ』です。

彼女は古代ローマではヴィーナスと同一視されるようになりました。


ところで、ヴィーナスがその裸を我々の前に見せてくれるようになったのですが、

その出始めの頃は立ち姿でした。

ボッチチェリの「ヴィーナスの誕生」がその代表でしょう。

 
  ヴィーナスの誕生:ボッチチェリ

私事で恐縮ですが、思春期を迎えた小学生の高学年の頃、
 

図工室の書棚でこの絵を見たときは、衝撃が走りました。

 
 春(プリマベーラ):ボッチチェリ

今までこんなに綺麗な女性を見たことがなかったのです。

女性と言えば、母を初めとする親類縁者や先生などですから・・・

 
  春(プリマベーラ)の部分:ボッチチェリ

この衝撃は、私だけでなく、

ルネッサンスの当時のフィレンツェ市民も同じだったことでしょう。

いや、それ以上だったかもしれませんね。

ボッチチェリの「ヴィーナスの誕生」では、

描かれたヴィーナスに神々しさに満ちています。

しかし、そのヴィーナスが横たわると、

神々しさよりも、より身近に感じるようになります。

その始まりが、ジョルジョーネの『横たわる(眠れる)ヴィーナス』です。

 
  眠るヴィーナス:ジョルジョーネ

彼は、水と光の町、ヴェネチア派の巨匠です。

しかし彼は、難解な作品を数点残したまま、夭逝してしまいました。


その彼のあとを継いだのが、ティツィアーノです。

 
  ウルビーノのビーナス:ティツィアーノ

彼はおそらく、ジョルジョーネの『横たわる(眠れる)ヴィーナス』に筆を入れ、

作品として完成させたと思われます。

そのティツィアーノの手になるのが、本展のヒロイン『ウルビーノのヴィーナス』です。

ただこの作品に描かれているのがヴィーナスであると言えるのは、

ぱっと目には難しいかもしれませんね(笑い)

しかし画面左下、女性の右手の辺りにある赤い薔薇が、そして足元の子犬が

ヴィーナスであることを暗示させています。


ところでここからが本題です。

なぜ、裸で横たわるヴィーナスが、ルネッサンスの頃、しかもヴェネチアで描かれたのか。

当時は未だ宗教裁判なども盛んであり、いくら女神と言えども、

描くことが許されないのではないかと思われます。

しかし、当時のヴェネチアは、ギリシャ正教の国、東ローマ帝国を滅ぼした

あの、オスマントルコを東方に控えた、貿易港。

ヴェニスの商人の活躍した町。自由闊達、開放的な町です。

当然船乗りも多く、彼らを対象とする女性たちも沢山いたようです。

一説によると、女性の人口の2割がその種の仕事に携わっていたとか・・・

そのような町であるからこそ、『横たわるヴィーナス』に違和感・抵抗感が少なかったので

しょう。


ところが、このような裸体画は、アルプスを越えると、途端に姿を消します。

フランドルやオランダでも余り眼にしません。

ルーベンスなどいることはいますが、例外でしょう。

 
  三美神:ルーベンス


ましてや、イベリア半島のスペインでは・・・

スペインで活躍した画家として、エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤ・・・

エル・グレコは裸体画を書いたとはとても想像できません。

ベラスケスも、私の知る限りでは(浅学の身なればお許しあれ・・・)、ただ1点のみ。

 
  鏡の中のヴィーナス:ヴェラスケス

ゴヤは、あの有名な『裸のマハ』がありますが、

表向きには『着衣のマハ』をキャンバスに置いていたとか・・・

 
  着衣のマハ:ゴヤ

スペインで裸体画が描かれなかったのは、当時のスペインが、がちがちのカトリック、

 
  裸のマハ:ゴヤ

イエズス会などの影響があったことも関係していると思われますね。


話は長くなりましたが、やはり女性の裸体は、永遠に美しいものですね。

神様に感謝、感謝

 

下記もご参照を 

 ウルビーノのヴィーナス展:国立西洋美術館
http://www.venus2008.jp/

池上英洋の第弐研究室
http://blog.livedoor.jp/ikedesu/

Floral Musée:Juliaさん
http://www.floralmusee.com/floral_muse/2008/05/post.html#comment-31479673

弐代目・青い日記帳:Takさん 
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=1312

カイエ:lapisさん
http://lapis.blog.so-net.ne.jp/2008-05-05

はろるど・わーど:はろるどさん
http://blog.goo.ne.jp/harold1234/e/879ab31083223a8b9835cde7758cd8b2


Megurigami Nikki:Nikkiさん
http://megurigami.jugem.cc/?eid=717