思いつくままにいろいろと書いてみます。
薬師寺は奈良の古刹で、法相宗です。
この宗派は玄奘三蔵、そうです、西遊記で有名なあの三蔵法師が開祖です。
今回の展示にもそのお姿の絵が出展されていました。
薬師寺は天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒のために発願されて、
建立されたお寺です。
薬師寺は、創建以来、たびたびの災害火災に見舞われ、
伽藍は殆ど失われ、創建当時のものは東塔を残すのみとなっておりました。
そこで、昭和40年代の中ごろから伽藍の再建を考えました。
しかし、薬師寺はお墓を持たない、檀家を持たないお寺でありましたので、
当時の高田好胤管主が、写経による浄財を募ったわけです。
私の母も、信心の篤い人でしたので、写経を始めましたが、
その頃から体調を崩し、病の床に伏してしまいました。
そして、母の頼みを受け、私が母の代わりに写経を続けました。
しかし、2巻ほど写経をお納めした頃、母は鬼界へと独り旅立ってしまいました。
母が亡くなってしまったあと、写経をやめようかと思ったのですが、
母の意志を次いで、母ができなかった写経を続け、十数巻書きました。
その一巻一巻を書いていると、子供の頃からの母との想い出が走馬灯のように駆け巡り、
なかなか手が進みませんでした。時には、涙をこぼしてしまい、
せっかく書いた文字がにじんでしまったりした事もありました。
一般にはその写経したものを奈良の薬師寺まで郵送するのですが、
私はそれを奈良の薬師寺まで持参し、薬師三尊にお参りして来ました。
当時は丁度金堂か完成し落成法要があると言うことで、修二会式にも参列しました。
今回薬師寺の日光菩薩・月光菩薩の両脇侍を拝するのは32年振りということになります。
そうです、来年の一月が、亡き母の33回忌になります。
これも何かの因縁かと思い、上野には3回足を運びました。
しかし、御尊像はいわゆる美術工芸品とは思えず、
お像の向こうに亡き母の面影が見えるような気がしました。
そんな訳で、お数珠を持参して特別な気持ちで御参りさせて頂いた次第です。
合掌