礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

英語で書く傘連判状( Round Robin )

2014-04-20 05:22:30 | 日記

◎英語で書く傘連判状( Round Robin )

 昨日の続きである。相良佐の『増訂 英文の手紙正しき書き方作り方』(開文社、一九二九訂正第一七版)というのは、実に興味深い本で、Round Robin、すなわち、日本風に言えば、「傘連判状」〈カラカサレンパンジョウ〉の書き方まで指南している。
 同書「第二篇 作り方、範例及び実例」の「第十九章 届書、願書、証明書及び履歴書」の「十二」を、ほぼそのまま紹介する。断定はできないが、これは、当時、どこかの中学校で発生した紛争(教育要求事件)の際に提出された傘連判状を流用しているのではないか。

(十二)連盟状
拝啓文化中学校生徒一同は校長及び教職員に対し対校試合を禁止せる去る五月三日の校令廃止を謹んで要求致すものにて候
生徒一同連判〔生徒の署名は載っていない〕',
大正十三年五月十日

A Round Robin.
〔中央に円があり、その周りに署名。円内に次の英文〕
We, the students of the Bunka Middle School, do hereby respectfully beg the Principal and Faculty of the School to recall the edict, published May 3rd, prohibiting the inter-school matches.
 10th May, 1924
〔署名は、上から時計回りで、次の三三名〕
H.Matsumoto B.Kubo R.Seta T.Kobayashi S.Demura M.Ota Y.Gomi H.Irie D.Kaieda B.Honda R.Kimura H.Tsuchida K.Okada S.Tsuchida N.Kochi R.Fujita R.Ishikawa I.Seki Y.Kita D.Maeda  M.Tani G.Kubo S.Date K.Kaneda H.Isa B.Kobayashi U.Sato R.Kato S.Wada Y.Sano C.Nishi T.Inoue Y.Imamura

(十二)賃銀の増給などを要求するなら、
We, employes in the establishment of Messrs. Ota & Co., hereby respectfully respectfully request an advance of ten per cent in our wages 10th May 1924.
のやうに書く。尚ほ署名は円の周囲に丸く切れ目なしに書き続くる故Round Robinと云ふ。

*17日のコラム「「蛙葬」の遊びを近ごろの子どもはやらない」に対し、18日、りくにすさんから貴重なコメントをいただきました。そこで紹介されている遊び歌は、民俗資料として記録されておくべき価値があります。ありがとうございました。

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英語で書く借用証( I. O. U.)

2014-04-19 04:59:43 | 日記

◎英語で書く借用証( I. O. U.)

 相良佐〈サガラ・タスク〉の『増訂 英文の手紙正しき書き方作り方』(開文社、一九二九訂正第一七版)という本をめくっていたら、英文で借用証を書く方法について解説しているところがあった。
 同書「第二篇 作り方、範例及び実例」の「第二十章 請取書類及び手形小切手の書式」の「十一」をそのまま紹介する。原文では、日本文の借用証のみ、タテ書き。プレビューで、円の略号が表示できないのでYで代用している( Y500.00. )。

(十一)借用証

【印紙】 借用証
一 金五百円也
右ハ貴殿ヨリ年壱割ノ利子ニテ借用仕〈ツカマツリ〉候也
  大正十三年八月三日
       東京  小島義雄
  伊川俊二殿

( I. O. U.)
     Tokyo, August 3, 1924.
Y500.00. 
To Mr. Shunji lgawa  I. O. U. Five Hundred yen with interest at ten per cent per annum until paid.
【stamp】   Yoshio Koiima 

(十一) I. O. U.「借用証」( I owe you の略)。with interest「利子を付し」。per annum「一年につき」。

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新羅国王、后を捕えてマギに吊り下げる

2014-04-18 04:28:41 | 日記

◎新羅国王、后を捕えてマギに吊り下げる

 橘正一・東条操『本州東部の方言』(明治書院、一九三四)から、橘正一「前編 東北方言」の第三章「東北方言の単語」の一部を紹介している。一昨日および昨日は、「〔一〇〕カヘルバ」を紹介した。本日は、「〔九〕マギ」を紹介する。

〕マギ。「今昔物語」十六に「麦縄……大なる折櫃〈オリビツ〉一合に入れて、前なる間木に指上げて置てけり」とある。この間木について、「梅園日記」の著者は上長押だらうと言ひ、「言海」には、「長押ノ上ナドニ設ケタル棚ノ如キモノナラム」といひ、「大日本国語辞典」も「言海」と同説である。なるほど、右の用例では、棚でもいい様だが、次の様な場合は、棚では通らない。「新羅国王の后ありけり、人に通〈カヨイ〉けり。国王大にいかりて、后をとらへて、髪に綱を付けて、間木に釣り係けて、足を四五尺許り引き上げて置きたりけり」(今昔物語、十九)
 マギといふ詞は、津軽では、一般に使はれてゐる。或は「天井の物置」、或は「屋根裏の物置」、或は「屋根裏部屋」と報告されてゐる。盛岡市付近ではマゲと発音してゐる。茅葺き〈カヤブキ〉の家の天井を張らない所に、棒を、何本も、平行に渡して、物を載せる場所としたものをいふ。「猿蟹合戦」の臼も、この地方では、マゲから落ちた事になつてゐる。
 マギ・マゲといふ言葉は、青森県・岩手県以外には見当らない。他の地方では何といふかと調べてみると、アマ(八丈島・越中・遠江)、アマコ(静岡県)、アマダナ(遠江・周防)、ソラ(越後)、ダイモンタカ(美濃)、タカ(信州・丹後・但馬)、タカデ(信州)、タナ(甲斐)、タナギ(埼玉・群馬)、チシ(秋田)、ツーシ(土佐)、ツシ(加賀・飛騨・尾帳・越前・若挟・近江・大和・丹後・紀州・備中・美作・備後・伊予・土佐・肥前・日向)、ヅシ(栃木・甲斐・信州・伊豆・壱岐)、ヅシィ(上総)、ヅス(伊豆)、ルス(伊豆)、ツチ(紀州・肥後・日向)、ヅリ(信州)、テンジョー(周防)などと言ふ。この中、ツシの系統は最も分布が広く、一府二十県に亘つてゐる。その領域も、京都を中心にして、四方に接がつてゐるから、ツシが、マギに次いで起つた京都語であつたらうと想像される。これらのツシは、多くは、厩・納屋・台所・炉の上などに設けられてゐる。その構造の詳しい事は実物を見なければ判らないが、信州のタカデは丸太を並べたものとあるから、「今昔物語」の皇后様が吊された間木も、そんなものであつたらうかと思ふ。

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「蛙葬」の遊びを近ごろの子どもはやらない

2014-04-17 04:54:28 | 日記

◎「蛙葬」の遊びを近ごろの子どもはやらない

 昨日の続きである。橘正一・東条操『本州東部の方言』(明治書院、一九三四)から、橘正一「前編 東北方言」の第三章「東北方言の単語」の一部を紹介している。昨日は、「〔一〇〕カヘルバ」の前半を紹介し、本日は、その後半である。
 橘は、昭和初年のこの段階で、「蛙葬の遊びは、今日では、もう少なくなつた」と言っている。今日では、おそらく「絶滅」に近い状態だと言ってよかろう。ただし、生物科学の世界では、この遊びに近い実験(冷凍させたカエルを蘇生させる)が、おこなわれているとも聞く。

 蛙葬の遊びは、今日では、もう少なくなつた。秋田県横手町、岩手県気仙郡広田村、能登、岡山県小田郡笠岡村などでは、老人は知つてゐるけれども、近頃の子供はやらない。しかし、岩手県九戸郡長内村、東京府元八王子村、佐渡、広島、山形県北村山郡東郷村、土佐幡多郡〈ハタグン〉田ノ口村、加賀などには今もある。殊に佐渡からは、その時歌ふ唄まで、二三報告されてゐる。一例を挙げると、「蛙どん生きさいの、おんぼこさんの弔ひに。」これからして、車前草の佐渡方言オンボコサンが生れる。もう一例、「蛙々、生きさいの、おんばこどんも菖蒲どんも、御弔ひに御座ッた。」これで見ると、菖蒲も処方されたらしい。加賀では、ドクダミや山椒の葉を覆ひかぶせる。その時の唄は、「ぎやんどん、ぎやんどん、いついつ死んだ。よんべ糟食ッて、今朝とう死んだ」。これに似た唄は丹後にもある。「雨蛙殿はいつ死なさッた。八日の晩に、甘酒のんで、つひつひ死なさッた」。山形県北村山郡東郷村の子供は、「びッきもさびッきもさ、なぜ死んだ。昨夜〈ユベナ〉の粕酔ッて、今朝死んだ。医者殿来たから戸をあけろ」と歌ふ。
 これらを見ると、蛙を半殺しにする手段として、酒粕を食はせて、酔はせたらしい。かういふ遊びは支那にもあつたと見えて、車前草のことを、支那では、蝦蟇衣(江東方言)又は、蝦蟇葉といふ。日本語のカヘルバに当る。
 土佐幡多郡田ノ口村では、半殺しにした蛙を、この葉で被ふ時、「はッこべ ようい」と呼ぶ。だから、オホバコの幡多方言はハッコベである。これによれば、八丈島中之郷村で、オホバコをハコベラと言つてゐるのも、必ずしも植物分類学の知識の欠乏のみに帰するわけにいかない。京都市の上京区・左京区では、ははこ草をハコベ、又は、ハコビといふ。この方言は、移民に伴はれて、遠く、北海道夕張町にまで移植されてゐる。播磨の福崎町や鹿谷村〈カヤムラ〉では、ははこ草をオバコといふ。所が目の前の淡路由良町では、おざなぐさを、オンバコといふ。岩手県下閉伊郡〈シモヘイグン〉船越村でも、オキナグサを、オバコ、又は、オバッコといひ、「オーバコ、オバコ、虱ハ中ニナレ、虫ノ子ハ上ニナレ」といふ童謡がある。これは、オキナグサの実に付いた毛をむしり取つて、それで毬を作る時歌ふもので、ムシノコは虱の卵の方言で、子房をたとへたもの、これが上になると毬がうまく出来る。白頭翁〈オキナグサ〉の名は、爺婆にたとへたものが多い。古語で祖父をオホヂといひ、祖母をオホバと言つた。白頭翁の岩手方言、オヂノヒゲ・オイヂノヒゲは即ち、オホヂノ鬚であり、オバカシラ・オバシラガ・オバコなどは、即ちオホバから来たものである。ヂヂババに譬へた〈タトエタ〉植物は、必ずしも、その形が白頭を連想させるものばかりではない、子供が植物に名づける態度は、植物学者が植物の新種にラテン語の学名を付けるのとは違つたものがある。だから、車前草のオホバコも、「大葉子」のみが唯一の語源説でもあるまい。

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半殺しにした蛙を「カヘルバ」で生き返らせる

2014-04-16 05:20:41 | 日記

◎半殺しにした蛙を「カヘルバ」で生き返らせる

 数日前、某書店の百円均一の台から、橘正一・東条操『本州東部の方言』(明治書院、一九三四)という本を拾い上げた。本文五五ページの小冊子であるが、橘正一〈タチバナ・ショウイチ〉(一九〇二~一九四〇)の文章が載っているというだけで、間違いなくこれは掘り出し物であった(あくまでも、私にとって)。
 ここに収録されているのは、「前編 東北方言」(橘正一)、「後編 関東方言」(東条操)という二つの文章である。東条操が執筆している後編は、「関東方言」の概論であって、手堅くまとまっているところはサスガだが、ただそれだけの文章である。
 いっぽう、橘正一が執筆している前編は、一見すると概論風だが、実は一癖も二癖もある、民俗学的な「東北方言」論である。橘の文章は、第一章「東北方言の音韻」、第二章「東北方言の文法」、第三章「東北方言の単語」の全三章からなるが、特に第三章が「橘流」である。
 橘は、この第三章で、コトヒ・ベコ・ネマル・アッパ・アケヅ・スガル・キツ・ハウタウ・マギ・カヘルバ、以上、計一〇の単語について考証をおこなっている。これがどれも、非常に興味深い。
 本日は、これらのうち、「カヘルバ」について考証している部分を紹介してみたい。

一〇〕カヘルバ。「蜻蛉日記」に、「山ごもりの後は、あまかへるといふ名を付けられたりければ、かく物しけり云々」といつて次の一首がある。
  おほはこの 神の助や なかりけむ 契りし事を 思ひかへるは
 このオホハコの意味が判らなくて、オホハラの誤だらうとか、いやオホソラだらうとかいふ説が昔あつた。しかし誤ではない。このままで、善く意味が通る。蛙を半殺しにして、地に小穴を掘つて、車前草〈シャゼンソウ〉〔おおばこ〕を敷いて、その上に、半殺しにした蛙をのせて、また単前草をかぶせ、「蛙殿お死にやった、おんばく殿の御とむらひ」と口々に唱へれば、蛙が蘇るといふ子供の遊びは、江戸にもあつた(嬉遊笑覧、禽虫)。この遊びは平安朝の京都にもあつたと見える。「蜻蛉日記」の女主人公が山ごもりから帰つたので、尼帰ると仇名を付けられた。アマカヘルを雨蛙に取りなして、車前草を持ち出し、「思ひかへるは」に蛙葉〈カエルバ〉を隠した俳諧歌がある。これによつて、カヘルハが事前草の異名であつた事もわかる。「おほばこの神」と詠んだのは、何か、童謡を踏まへてゐるのかも知れない。
 車前草をカヘルッパと呼ぶ所は、今日では、青森・岩手・宮城・福島・茨城・千葉・栃木・埼玉・群馬・新潟・長野・山梨・静岡・愛知の十四県である。所によつて、多少の訛〈ナマリ〉はあるが、大した事ではない。岩手県福岡町辺ではゲェログサといふ。東北地方では、蛙をビッキといふので、これが車前草の方言にも現れて、ビッキキサ(山形)、ビッキグサ(秋田)、ビッキノハ(秋田・岩手・宮城)、ビキ草(岩手)などとなる。九州では、蛙をドンキューといふので、車前草の方言もドンキューグサである。埼玉県入間郡宗岡村で、ぎばうし〔擬宝珠〕をゲーロッパといひ、鳥取県西伯〈サイハク〉郡逢坂村〈オウサカソン〉で、どくだみをギャールクサといひ、上総〈カズサ〉で、たがらし〔田芥〕をカヘルノキヅケといふ、これは車前草の代りに、こんな物をも、蛙に投薬した子供等の医学史を語るものだらう。【以下は次回】

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