◎東条内閣、ついに総辞職(1944・7・18)
一九四四年(昭和一九)七月一八日、東条英機内閣が総辞職した。同月二二日、小磯国昭内閣が発足。情報局編輯・印刷局発行の『週報』四〇五号(一九四四年七月二六日)は、これを受けて、小磯新首相が七月二二日の夜におこなった「大命を拝して」と題するラジオ放送の内容を巻頭で紹介、続いて「組閣までの経緯」を説明、さらに「新内閣閣員」を紹介した。
それらのうち、本日は、「組閣までの経緯」のところを紹介してみたい(四~五ページ)。
組 閣 ま で の 経 緯
東条内閣は、七月十八日つひに総辞職を決行した。その理由とするところは、二十日情報局発表によって明らかにされた通りである。即ち、
【一行アキ】
「大戦勃発以来、政府は大本営と緊密一体の下、戦争遂行上あらゆる努力を重ね来りしが、現下非常の決戦期に際し、いよいよ人心を新たにし、強力に戦争完遂に邁進するの要急なるを痛感し、広く人材を求めて内閣を強化せんことを期し、百方手段を尽しこれが実現に努めたるも、遂にその目的を達成するに至らず、茲〈ココ〉において政府は愈々人心を一新し、挙国戦争完遂に邁進するためには、内閣の総辞職を行ふを適当なりと認め、東條内閣総理大臣は、閣員の辞表を取纏め、十八日十一時四十分、拝謁を仰せつけられたる上、これを闕下〈ケッカ〉に捧呈せり。
決戦下、事〈コト〉茲に至れるは、上〈カミ〉宸襟【しんきん】を悩まし奉り恐懼〈キョクク〉に堪へず、また前線銃後において必勝に邁進を続けつゝある一億国民諸君に対し、政府の微力を謝すると共に、戦争完遂のため機を失せず更に強力なる内閣の出現を期待してやまず。」
【一行アキ】
かくて二十日小磯陸軍大将、米内〔光政〕海軍大将はそれぞれ宮中よりのお召しにより参内、両者協力して内閣を組織すべしとの大命を拝した。よつて両大将は直ちに組閣に着手し、二十二日午前閣員の詮衡〈センコウ〉を了し、午後一時半宮中に参内、 天皇陛下に拝謁仰せつけられ、謹んで閣員名簿を捧呈した。同日午後二時半小磯内閣総理大臣の親任式を執り行はれ、引続き三時半から各閣僚、次いで情報局総裁の親任式を挙行せられ、こゝに新内閣は力強く誕生したのである。
同夜直ちに小磯内閣総理大臣は左の如き談話を発表、同時に巻頭の如き放送を行ひ、新内閣の信念を披瀝〈ヒレキ〉、一億国民に対し国難突破の決意を促した。
【一行アキ】
「不肖今回揣らず〈ハカラズ〉も米内海軍大将と共に組閣の大命を拝しましたが、まことに恐懼に堪へません。今や戦局は極めて重大であります。この未曽有の国難を突破するの途は、唯々国民大和一致、敵米英の反攻を撃砕するのみであります。
政府は内〈ウチ〉ますます政戦両略の緊密化を図り、いよいよ国政運営の諸方策を強化し、戦争完遂のための施策はあますところなくこれを実行し、断じて必勝を期し、外、あくまで従来の外交方針を堅持し、大東亜共同宣言を徹底具現し、聖戦を完遂し、以て聖慮を安んじ奉らんことを期すものであります。
国民各位は政府の決意に信頼し、克く〈ヨク〉戦局の重大性を認識し、焦躁に陥らず、沈着励精【れいせい】事に処し、各々その持場において一瞬の撓【たゆ】みなく、あらゆる困苦を克服し、その全力を国家奉仕に発揮せられたいのであります。」
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