◎三代目桂三木助と「とんち教室」
あいかわらず、『クイズ年鑑 1955年(前期)』についてのお話。この本には、当時、クイズ番組にかかわっていた人々のエッセイが、数多く収録されているが、その中に、三代目桂三木助(一九〇二~一九六一)のものがあった。これは珍しいと思って読んだが、なかなか読ませる。その全文を紹介してみよう。
心臓の強さ 桂 三木助 (落語家)
私が、クイズという言葉を知ったのは、ツイ二・三年前のことです。正直なところ、小学校を卒業したぐらいの私には英語は判らないので、初めはクイズとは、何んのことだろうと思っていたのです。そのうちに、『話の泉』とか『二十の扉』『とんち教室』『私は誰でしょう』等のことをクイズ物というのだと知りました。ですから、他のことはよく解りません。
たしか、『とんち教室』が出来て六年近くなると思いますが、私が初めてクイズ放送に出たのは昭和二十四年〔一九四九〕一月三日でした。とに角、初めてのことですから何んなことを答えてよいのか、まるで見当がつかず、録音の日となると朝から食事もすすまず、その当時一貫五百匁も目方が減ったくらいです。聞いた話ですが三味線の豊吉さんが二貫匁、石黒〔敬七〕旦那に至っては六貫匁も減ったそうです。まったく。ゾッとする程いやな想いでした。
処が、何時の頃からか漸々馴れてきて、答の要領も解るようになり、堅く考えないで、皆さんと一緒に遊ぶ気持でやればよい、どうせ巧い答なんか即座に出来ないものだと、妙な悟りを開いてからは、少しずつ面白くなってきました。そして、今日は何んな問題が出るだろうかと、スタジオに入るのを愉しむようになりました。
クイズ物も二タ通りあるようで、「話の泉」「二十の扉」「とんち教室」「クスクス倶楽部」等はレギュラーとか言って常連が決っていて(私もそのレギュラーの一人ですが)その中へ、ゲストとか言ってお客さまが一人か二人出席する仕組になっているのと、「私は誰でしょう」「バイバイ・ゲーム」「おしゃれクイズ」のように、常連なしで、お客さまばかりが答えるのとあるようです。
どちらにしても、答える人の頭の良い悪いを聴いている皆さんが審査する訳ですが、審査する方は良いとして、される方は厭な役廻りです。スラスラ出来れば良いが、出来ない時は、自分の頭の悪さをわざわざラジオを通して皆さんにさらけ出す訳ですから、答えに廻る方も楽ではありません。その代り、終れば薄謝を頂くことになっておりますが――(薄謝です)又、種類と答えによっては金高もちがいますし、お金の他に品物迄貰えるのもありますので、風呂敷を持って来る用意周到な人もいるようです。
とに角、私の考えでは、クイズには頭の良さも勿論必要ですが、より肝腎なことは、心臓の強さではないかと想います。それの結果で勝負が決まる方が多いようです。
文中、「漸々」の読みは不明。辞書的に言えば、〈ゼンゼン〉、あるいは〈ヤクヤク〉だが、ここでは、〈ヨウヨウ〉、あるいは〈ヨウヤク〉と読むのがよいように思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます