◎中川右介さんの『社長たちの映画史』を読んだ
中川右介さんの新刊『社長たちの映画史』(日本実業出版社)を読んだ。実にスリリングな本で、読みはじめると簡単には止まらない。ただし、本文五四一ページの大冊なので、読み切るのに数日間を要した。
読みながら、いろいろなことを考えた。小学生のころ、「納涼映画鑑賞会」で、『明治天皇と日露大戦争』(新東宝、一九五七)を観たことがある。会場は、通っていた小学校の校庭。日が暮れると、茣蓙とウチワを持った観客が、小学校に集ってきた。たぶん、一九五七年(昭和三二)の夏休み中のことだったのだろう。だとすれば、そのときの私は小学校二年生。
本書『社長たちの映画史』によれば、この映画で、嵐寛寿郎(あらし・かんじゅうろう)が明治天皇を演じたことに対し、「不敬だ、不謹慎だ」という批判があったという(266ページ)。
数年前、DVDで『二・二六事件 脱出』(東映、一九六二)を観た。ヘッドマークは、「東映」でなく「ニュー東映」で、その背景は、岩にぶつかる波ではなく、火山の噴火口だった。そういうヘッドマークを、これまで見たことがなかったので、少し驚いた。
今回、本書を読んで、この映画が、現代劇のために東映が設けた配給系統「第二東映」によって配給された映画だったことを知った(304ページ以下)。
昨年の中頃、松竹ビデオで、コンチャロフスキー監督の『暴走機関車』(Cannon Films、一九八五)を観た。二度目の鑑賞だったが、改めて傑作だと思った。
この映画の原案が黒澤明であることは、ビデオのジャケットでも強調されていた。しかし、その「原案」の意味するところは、理解できていなかった。今回、本書を読んで、一九六五年から翌年にかけて、黒澤明が、「暴走機関車」をテーマにした映画で「海外進出」を計画していたことを知った(387ページ以下)。その計画がつぶれた経緯を読んで(394ページ以下)、「さもありなん」と思った。
映画好きの読者にとっては、本書は、実に有益な本である。通読するのも悪くないが、むしろ、座右に置いて、日本映画を鑑賞するとき、日本映画について調べるときに繙くのが良いだろう。そう考えた場合、巻末に人名索引、事項索引が付いていないことが惜しまれる。
本書は、学ぶところの多い本だが、必ずしも「面白い」本とは言えない。読み進むにつれ、悔しいような、悲しいような気持ちになる。「映画」という魅力あふれる媒体の製作を通して、どれだけの多くの映画関係者が苦悩し、憤り、涙したことか。すぐれた才能、有能な人材、あるいは映画に対する愛情が、どれだけ「濫費」されてきたことか。そのことを思うと、最後のほうのページは、平静な気持ちでは、めくれない。
才能、アイデア、献身的な努力が、弊習、シガラミ、無理解といったものによって、無情にもつぶされてゆくのは、何も映画の世界には限らないだろう。そんなことを考えながら、「長い後日譚」、「エンドロール」、「あとがき」を読み、本を閉じた。
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