◎ハイネ作詞「ローレライ」と清水幾太郎
本日も、清水幾太郎のエッセイを紹介してみたい。タイトルは「ローレライ」、『常識の名に於いて』(古今書院、一九三七)に収録されていたものである(一六五~一六七ページ)。初出の掲載誌は不詳。
ロ ー レ ラ イ
ドイツでローレライが禁止されたといふ新聞記事を読んで私はびつくりした。併し作詩者ハイネがユダヤの血をひいてゐることから考へれば、何も今更のやうに驚くには当らぬことかも知れない。
中学生の私にローレライを教へてくれたのは和独辞典で有名なユンケル先生であつた。先生に叱られながら大きな声を張上げてローレライやテルの猟人の歌や二三の愛国の歌などを歌つた記憶は、何時になつても美しいものの一つである。私は今でも機嫌のよい時は怪しげな節廻しでこれ等の歌を、とりわけローレライを歌ふのである。
新聞で禁止を知つた私はやはり幾らか昂奮してゐたのであらうか。その日会つた或るドイツ人に向つて早速、“Ich habe in der Zeitung gelesen, dass man in Deutschland nicht mehr die Loerelei von Heine singen kann”(私は新聞で読んだ、人はドイツではハイネのローレライをもはや歌うことができない、と)と怒鳴らずにはゐられなかつた。禁止されたのはドイツであつて、日本のことではない。それ故ローレライが私にとつて数少い愛誦の歌の一つであるからといつて、さう周章てる〈アワテル〉には及ばぬことであらう。けれども日本とドイツとが近頃のやうに密接に結ばれるてゐると、最初はドイツのことであり、またドイツに於いてこそ意味を持つやうなことも、やがては日本のことにならぬとは言へないのである。最近の幾つかの経験がこれを私に教えてゐる。
ローレライといふものの真の価値は知らない。併しドイツはこれを国内から抹殺することに依つて自らその所有権を否定したのであらう。ローレライは今後何人に依つても所有されないのであらうか。また所有されるとすれば、抑々〈ソモソモ〉何人のものとしてであらうか。――永い年月を日本で送り、終に〈ツイニ〉日本で死んだユンケル先生のことを私は今日も考へてゐる。 ―(昭一四・一)―
*付記 文中のドイツ文の日本語訳は、青木茂雄氏からご教示いただいたものです(2016・5・22)。
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