◎空襲で泣き叫んだ人は、後でよく働いた
野村兼太郎『随筆 文化建設』(慶應出版社、一九四六)から、「空襲」というエッセイを紹介している。本日は、その三回目(最後)。
空襲警報の出た瞬間、敵機上空にあり、待避の命令の出た時、人人は一種の興奮した状態に陥るやうである。殊に婦人や子供は著し饒舌になるやうである。戦場に出る直前には武勇の優れた武士でも身がふるえ、歯の音〔ママ〕が合はぬといふ話を物の本で読んだが、所謂武者ぶるひともいふべきもので臆病ではないとのことである。九州の空襲であつたか、爆撃を受けた附近であらう、人人は泣き叫んだが、泣き叫んだ人は後でよく働いたといふやうな話をきいた。非常な緊張は人を死に致すことがある。それを緩和するために不知不識〈シラズシラズ〉のうちに、さうしたさまざまな行動に出るのであらう。一概に見苦しいとはいへない。
待避所に十三四の子供が大勢いれられてゐた。その中のある者が「どうせ死ぬのなら、こんな所で死にたくない。早く家へ帰つてお母さんのゐるところで死にたい」といつた。
安全な場所よりも死場所を撰ぶといふことは一応考慮にいれてよいのではなからうか。老幼疎開の問題が今日採り上げられてゐるし、理論として当然疎開すべきものであらう。しかしそれらは強制さるべきではない。殊に日本人としては死場所を撰ぶことについては理窟以上の強い執著〈シュウジャク〉をもつてゐる。武士が畳の上で死ぬことを恥とし、戦場に屍〈シカバネ〉をさらすことを本望とするやうに、人人にもここで死ぬのなら本望〈ホンモウ〉だと感じる場所があらう。さうした場所からその人を離すといふことは、政策としても果たして当を得たものであらうか。
空襲といふことは、天災のやうな自然的災禍とはわけが違ふ。ただ単に防ぎ避けるといふだけの問題ではない。敵機が帝都に侵入したといふことは、雷雲が帝都の方に進みつつあるといふこととは違ふ。ラジオが大型敵機帝都侵入を報じた時に、ある青年が私に「どうしても防げないものなのでせうか」と聞いた。その言葉のうちには、敵機の大胆な侵攻に対して憤慨の気持が窺はれた。
空襲に対する恐怖は単なる恐怖ではない。老人のうちには落雷の危険が多いから立退け〈タチノケ〉といはれれば喜んで去る者もあらう。先祖からの土地を単に敵機が来る、お前は足手纏ひ〈アシデマトイ〉だから去れといはれても、容易に立ち去り難い者もあらう。空襲に対する敵愾心〈テキガイシン〉といふことも考慮に入れねばなるまい。わが土地を死守するといふ心持は尊重しなければならない。空襲と民衆心理、そこにはなほ研究さるべき多くの材料があり、余地も少くない。今後大規模の空襲が予期されるといふ今日、又現に世界の多くの地方でさうした空襲下の生活が営まれてゐる今日、空襲と人間生活に ついて、いろいろな方面から専門家の科学的な考察研究がなされてよいのではあるまいか。否むしろなされなければならない問題であらう。
文中、「歯の音が合はぬ」とあるのは原文のまま。「歯の根が合はぬ」と書くべきところであろう。
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