礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「真実は虚偽に勝つ」末川博

2016-11-04 05:59:04 | コラムと名言

◎「真実は虚偽に勝つ」末川博

 本日は、末川博の『真実の勝利』(勁草書房、一九四八)から、その巻頭にある「真実の勝利」という文章を紹介してみたい。以下がその全文である。

 真 実 の 勝 利
 こつけいを通り越して悲惨ともいふべきかつかうをしながら、バケツや火タタキを持つて右往左往した昨年のこの頃の姿。おろかといふもおろかであるが、B29からまき散ちされたビラやパンフレットを見てはならぬ、読んではいかぬ、皆うそだ、届けろ、といはれて、どうしたらよいかウロウロしたのも、思へばまた悲喜劇の一場面であつた。ところで、あのビラやパンフレツツトについて、「私が特に強調する点は、新聞やビラにすベて事実を少しもゆがめず真実を伝へたことで、その中には宣伝やうそは何一つ混ぜられてゐなかつた」といふマツクアーサー司令部民間情報局分析調査部長グリーン大佐の談が、このほど公にせられてゐる。まさにその通りであつたにちがひない。だからこそ、皆うそだといはれながらも、われわれは半信半疑でウロウロせざるを得なかつたのである。真実は虚偽に勝つ。「ビラの種類は軍閥の撲滅を企図したもの、爆撃予定地を指定するものなどいろいろで神経戦は結局成功したやうだ。といふのは、日本進駐後天皇、木戸〔幸一〕侯、鈴木〔貫太郎〕元首相、〔下村宏〕情報局総裁はじめ、内務省の役人、新聞人その他一般人からビラの反響が非常に大きかつたと聞いたからだ」と語られてゐる。まことにその通りであつた。さればこそ、われわれ一般大衆は竹槍かついで玉砕してもといひつゝ不安にかられ、しかも何も知らない間に、上の方では和平の交渉が進められてゐたのである。虚偽は真実に勝つことを得ない。
 民衆を愚にする。依らしむべし、知らしむべからず。人間を人間として取扱はず牛馬のやうにみて、民草などと呼んでゐた封建的な考へ方が支配する独裁的な政治のもとに、この十数年いかにわれわれが真実を求め真実を語り真実に生きることを禁あつされて来たことか。それの結末の現れが、今日のこのみじめな惨たんたる光景にほかならない。うそをいふことは不道徳だとされ、殊に学校ではうそをいつてはならぬと教へられながら、うそでかためた世の中であつた。だが、うそは本当には勝てぬ。歴史に記録さるべきは現象であり真実でなければならぬのに、これまでのわが国の歴史には余りに多くの伝説や神話めいた仮象と虚偽とが盛られてゐた。そしてそれがまことしやかに本当だとして教へられて来た。かうして智育がゆがめられただけではなく、徳育もむちやくちやにされてしまつたのである。虚偽をかくすために、ていさいをつくり形式をとゝのへることがあらゆる方面で行はれて来た。わけても戦争中一般民衆に対して上から命ぜられ示されたもの、ほとんどすベては虚偽であつた。いつも正直者が馬鹿をみたのはそのためである。知識の貧困は同時に道徳の低下を招来する。敗戦の根本の原因は、まさにそこにあつたといひ得る。 .
 今や知性をとり戻すべき時が来た。真実を求め真実を語つて、すべてを刷新すべき時が来たのである。民主主義は合理性を基とする。そしてそれは衆知政洽であつて衆愚政治ではない。そこでは虚偽は徹底的に排除されて、新しい文化が知性の上に築かれねばならぬ。そしてそのためには真実を愛する気風が国民の間に横溢〈オウイツ〉することを要する。逆にいへば、一切の虚偽をにくみ、これをしりぞける科学的の良心が国民生活全般のうちに湧きあがらねばならぬ。昨年のこの頃のやうに真実を告げるものを見るな読むな聞くなではなくなつたのだから、われわれは真実をつかみ真実を語り知性をみがくことを心がけてよい。ビラやパンフレツトはまかないけれども、社会諸般の様相はもつと深刻に真実を告げてゐる。この現実に率直に立ち向つて真実をつかまねばならぬ。勝利は常に真実の上にある。真実を愛する者のみが、新たな方向で平和を道義を文化を形成することに参加し得るのである。
     ――二一、六、七――

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