スタートは、ゆっくり走り出して行く。
参加者が例年より少ないので、(とは言っても、934人がこのハーフを走るのだが)数秒後にはスタートゲートをくぐった。
そこで、腕に巻いたウオッチのスタートボタンを動かす。
今回の目標は、1kmを5分30秒ペースで走ること。
それを計算すると、5.5×21=115.5
つまり、1時間55分30秒余りでハーフマラソンの距離を走れることになるのだ。
もちろん、後半はバテてくるだろうから少しはタイムが悪くなる。
それでも、なんとか2時間を切れればいいなあ、と思った。
なので、
キロ5分30秒のペースを守ること。
2時間を切ってゴールすること。
この2つを目標とすることにした。
今回はウオームアップを十分できていなかったので、スタートしてからしばらくは、体が十分温まっていないから、急がずに行くことにした。
それで最初の1kmが、5分29秒。ちょうどよいペースじゃないか。
ただ、寒さに備えて冬用の長袖をTシャツの下に着てしまったものだから、暑さがすごく気になって仕方なかった。
2kmから9kmまでは、5分台の28秒、40秒、29秒、26秒、25秒、24秒、30秒、26秒と続く。
なかなかよいペースだ。
9km近くまでは、目の前には、ランナーではなく、「ウオーカー」がいた。
競歩の選手である。
その選手に、後ろから走って来て、8km付近で親しげに話しかけた人がいた。
私が、7年前の勤務先で知り合った人である。
走ることが好きで、毎週のようにあちこちのレースに出る、という市民ランナーであった。
好成績を収めるようになるにつれ、市の代表として県の縦断駅伝のメンバーになって走るまで力をつけた人だ。
話が終わったようなので、後ろから、「Iさん。」と名前を呼んだ。
驚いたように振り向いて、今度は私の隣に並んで話してくれた。
「どうぞ、先に行ってください。」と私が言っても、なかなか先に行こうとしなかったが、10kmの折返し点で、「じゃ、行きます。がんばりましょう。」と言って、みるみる先に進んでいった。
彼ばかりではなく、それまで並んで走っていた競歩ウオーカーも、スピードを上げ、私を置いてけぼりにしていった。
9km以降は16kmまで、5分台の22秒、20秒、31秒、38秒、24秒、28秒、33秒と、ねらい通りに走れていた。
今年は、春先でも気温が低かったせいか、今年は花があまり咲いていない。
去年は、コース上からカタクリの花を見ることができたのに、今年はどこにも見られない。
それどころか、日陰には今朝降った雪だまりを見かけることが多かった。
だから、途中で体温が下がり始めたので、外していた手袋を再びはめて走った。
残り5kmとなって、この辺りから、上りで脚が上がらなくなってきた。
自分としては、苦しくないように走っているつもりなのだが、後ろからきたランナーに上りで追いつかれたり離されたりしていく。
苦しいけれど、これも予定通り。
なんとか落ち込みを少なくしようと、気持ちはがんばり始める。
17kmからは5分45秒、6分05秒、6分03秒、5分54秒と20kmまで6分前後を維持した。
桑川駅・夕日会館が近づき、残り1km。
そして、いよいよ最後に待つ「まさか」。
まさか=魔坂。
本当に悪夢のような急坂である。
脚は上がらないが、しかし懸命に腕を振り前に進む。
魔坂の最後に、ゲストランナーの弘山晴美さんがいてハイタッチをしてくれていた。
私は、思わず手を出して、汗に濡れた手袋で握手をしてもらった。
弘山さん、ごめんなさい。
ゴール付近では、いつものSNさんが、「がんばれ!」と声をかけてくれた。
彼は、私より7分くらい速くゴールしていたようだ。
そして、ゴール。
ウオッチを止めると、1時間58分26秒。
やった!目標達成の2時間未満だ。
最後の1km少しは、7分16秒もかかってしまっていた。
しかし、目標達成だ、と喜んだ。
ぐったり疲れながらも、勇んで完走証をもらいに行くと、なんと私の数人前から、それを発行する機械がすべて壊れて(?)しまっていた。
後で郵送する、と言われたが、とんだハプニングであった。
ゴール後、SNさんや、この4月に多忙な職場に移ったNさんと健闘をたたえ合った。
アオサ汁をお代わりして2杯すすった。
今年も日本海ソフトを1つなめ、
帰りの臨時列車に乗った。
そこで、昼食代わりに家から持って来たカロリーメイトやマドレーヌ菓子を食べた。
だんだん疲れてきた。
列車が、あと15分ほどで、降りる駅に近づいた時、急激に気持ち悪くなってきた。
目の前がチカチカし始めた。
間もなく到着する、という時は、気持ち悪い汗がボタボタ出てきた。
ふいてもふいても汗が出た。
そして、目の前の真っ白さはだんだんひどくなった。
このまま、倒れてしまうのではないか?
退職記念の走りのはずが、健康にオサラバするような日になってしまうのか?などと思ってしまった。
駅に到着後、視野が狭くなる中で何とか階段を昇り降りし、駅のホームのトイレに入って便座に座り、気分の回復を待った。
幸いにも10分間ほどで、少し回復してきた。
いやあ、ひどい疲労感だった。
とぼとぼと家まで歩き、帰ってからは風呂を沸かして入り、夜は早く休んだ。
最近は、退職間近から夜にあまりよく眠れていなかった疲れも出たのだろう。
だけど、ハーフマラソンでは、今までに2番目に早いタイムであったはずだ。
アップダウンの多いこのコースで、よくやれた、と納得することにしよう。
さて、こんなに苦しんだレース後である。
60歳の退職記念レースは、結果はよかったが、むしろレース後が苦しかった。
その意味で、よい(?)思い出となった。
ところで、本当に完走証は届くのだろうか???