イスラエルでの暮らし

イスラエルでの暮らしなど、紹介します。そして今現在の生活で感じたことなど

福岡の事件はやり切れません

2006年10月23日 21時51分34秒 | Weblog
福岡の「いじめ事件」をニュースで見るたびにやるせない気持ちになります。
しかもその先頭に立っていたのが担任とあっては、さらに気が重くなります。

「からかいやすかった」

担任の弁です。

話は飛びますが、先日みうらじゅんがラジオでこんな事を言っていました。

「エスエムをどうしても体験したくなり、その手の店に言って体験したんです。その時、体に対する攻めにはどんのものであっても耐えることが出来たのですが、言葉で自分を否定されることには耐え切れなかった」

これは真実だろうと思います。

言葉で自分を否定され、さらには無視されること、人にとってこれほどの苦痛はないのだと思います。

人を生かすのも、人を絶望の淵に追いやるのも、その時接した言葉によるのかもしれません。

それは自分が発したものかもしれないし、誰かから投げかけられたものかもしれない。または本で読んだものかもしれない。

言葉にはそれほどの力がある。と思います。

担任の先生は何を思ってあそこまで否定したのでしょうか。

クラスという単位の中で絶対的な権力を持つ「担任」にあそこまで自分を否定されたらどんな気持ちになるのだろうか。

しかも相手は精神的、肉体的にもまだ未成熟な中学生。


マスコミはこの担任の何をかばっているのか理解できません。
顔も実名も伏せて報道する姿勢には腹立たしさを禁じえない。


この「担任」はどのような処分を受けたのでしょうか。除籍処分、公務員なので懲戒免職。これが妥当だと思います。いや、本当はそれでも軽いと思うのですが、せめてこれぐらいの処分はしてほしいものです。

そして、せめて世間のさらし者になりながら、同じだけの苦しみを受けてほしい。