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俺はワルポンだっ!

ちょいワルおやじを卒業したワルポンの斜め下から見た現代社会

『千葉は馬産地?』

2010-06-05 11:57:33 | Weblog
     ♪おうまの おやこは
      なかよし こよし
      いつでも いっしょに
      ぽっくり ぽっくり
         あるく

千葉県冨里市の山田牧場では、5月19日に生まれて2週目の元気な子馬がお母さんに寄り添って甘えていました。      


       *☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*・*★*・*☆*

戦国時代、南房総の里見氏の「峰岡牧」、県西部の小金城主相馬氏の「小金牧」、千葉氏の県北部の「佐倉牧」など、房総半島は馬の産地だったのです。

江戸時代になって幕府は、これらの「牧」に軍馬育成のための放牧場を設置しました。
名主が牧場を管理統括する「牧士(もくし)」に任命され、名字帯刀や鉄砲を持つこと、乗馬を許されました。

柏市花野井の吉田家や富里市久能の藤崎家は代々「牧士」で、現在、それぞれ「旧吉田家住宅歴史公園」、「藤崎牧士資料館」として公開されていて、当時の様子に触れることが出来ます。

                              ↑旧吉田家住宅歴史公園

明治になっても軍馬や農耕馬の生産が盛んで日本一の馬産地だったのですが、戦後は軍馬が無くなり、高度成長期と共に農耕馬も減って、代わって競走馬の生産へと移ったのですが、生産の多くは北海道へ移って、当時の「牧」の多くはゴルフ場となったり、宅地として開発されてしまいました。

成田空港の建設で栃木県高根沢町に移転した御料牧場の一部に「三里塚御料牧場記念館」がありますし、「日本酪農発祥之地」の「峰岡牧」には「千葉県畜産総合研究センター嶺岡乳牛研究所」があり、当時の牧場の名残があります。

また、「小金牧」の一部であった印西市小林には東京都競馬のトレーニングセンターとしての「大井競馬小林牧場」があります。

現在、富里市にはシンボリ牧場や社台ファーム、千代田牧場、新田牧場・・・など30箇所もの牧場があります。
馬の生産は北海道の日高や勇払へ移ったものの、馬の調教や休養の場となったり、乗馬学校となっています。

千葉県両総馬匹農業協同組合内の「競走馬のふるさと千葉県案内所」では牧場を訪れるファンのためにいろいろな情報サービスをしていますし、牧場めぐりや見どころなどを紹介してくれます。

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     ♪おうまの おやこは
      なかよし こよし
      いつでも いっしょに
      ぽっくり ぽっくり
         あるく

馬の親子は本当に仲良しで一緒に歩いているのでしょうか?


いえ、単にお腹が空いて母さんのオッパイを追っかけ回していたのです。・・・ん?





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