俺はワルポンだっ!

ちょいワルおやじを卒業したワルポンの斜め下から見た現代社会

『佃煮』

2012-03-20 20:05:06 | 観光地
この間の日曜日、写真クラブの撮影会で「佃島」へ行って来ました。
レトロな雰囲気を出すために、モノクロで撮ることになったのです。
小雨交じりの生憎の天気で折り畳み傘を出したり引っ込めたりしながらの撮影でした。

一般的に普通には「佃島」と呼ばれていますが、正式には「佃島」という地名はありません。
東京都中央区佃1~3丁目を「佃島」と呼んでいるようです。
もっと厳密に云うと、江戸時代からの「佃島」は佃一丁目で、2丁目は「石川島」、3丁目は明治時代に埋め立てが完成した「新佃島」です。

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明智光秀が本能寺に織田信長を襲った時(1582年・天正十年)、わずかな手勢で堺にいた家康は危急を察知して三河への脱出を計るのですが船がありません。
この時、船を出して助けたのが摂津国佃村(現在の大阪市西淀川区佃町)の漁民たちでした。
献身的な漁民たちの働きは家康にとって生涯忘れることの出来ないものとなったのです。

家康が江戸に幕府を開いた時、佃村の漁民33名を呼び寄せてこの島に住まわせ、故郷の佃村に因み「佃島」と名付けました。また、湾内の漁業権を与え、獲れた魚や貝を江戸城内に納めさせたのです。小魚や貝を醤油煮にして時化(しけ)の時の保存食としたのが、佃島で初めて作られたので「佃煮」と呼ばれるようになりました。

住吉大社の分神霊を祀った住吉神社の社地は掘割に囲まれ、江戸の昔が偲ばれます。

住吉神社の例大祭(佃祭り)の3年に一度の本祭りには高さ20mもの大幟が6基も立ち並び、「佃ばやし」にのって八角神輿が繰り出します。

この立て札は?

大幟の柱と抱木(だき)が空気に触れて木が腐らないよう、川底に埋めて置くのだそうです。
本祭りの年に海水が引く干潮時を狙って掘り起こし、祭りが終ると再び3年の間「佃小橋」の下に埋めて保管して置くのだそうです。

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佃島に来たら佃煮をお土産に買って帰らねば・・・
日本人ならではのご飯のおかずですからねぇ・・・

酒飲みにとっても持って来いのおつまみです・・・