ジジイのたわごと

ジジイが適当に思いついたことを書いてみます

教育勅語(きょういく ちょくご)

2010-10-02 03:45:06 | 日記
  

神主様宅の床の間に飾ってある勅語の掛け軸


  神道の家族が集まって、秋の合同祭を糸島の神主様宅で行ったが、その神主様宅の床の間に飾ってある写真の「勅語」=(ちょくご)=は、私が小学校時代何年生の時だったか忘れたけど、ひたすら暗記させられた教育勅語という文書である。

  教室で暗記出来て、喋れるかのテストがあったが、少し間違えると、先生から殴られた。教育勅語の内容、意味については分からない。先生に殴られたくないから、暗記するのが精一杯だったのである。最初の「朕=ちん」は、天皇陛下の意味だったと記憶してる。

  今にして思えば、よくぞ、これだけの文書を暗記出来たものだと、我ながら感心する。75歳を過ぎた今では、パソコンの扱い方を教わっても、すぐ忘れてしまう。記憶力は、今と小学校時代とでは、雲泥の差である。インターネットで調べたら、読み方は下記の通りであった。現在、70歳以上の方は勅語について、多分ご存じだと思うが、如何なものであろうか。


朕 惟 フニ我カ皇 祖皇 宗 國 ヲ肇 ムルコト宏 遠 ニ ヲ樹ツルコト深 厚 ナリ
チンオモうにワがコウソコウソウクニをハジむることコウエンにトクをタつることシンコウなり

我カ臣 民 克ク忠  ニ克ク孝 ニ億 兆  心  ヲ一 ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ
ワがシンミンヨくチュウにヨくコウにオクチョウココロをイツにしてヨヨソのビをナせるは

此レ我カ國 體 ノ精 華ニシテ教  育 ノ淵 源 亦 實 ニ此 ニ存 ス
コれワがコクタイのセイカにしてキョウイクのエンゲンマタジツにココにソンす

爾  臣 民 父母ニ孝 ニ兄 弟 ニ友 ニ夫 婦相 和シ朋 友 相 信 シ恭  儉 己 レヲ持シ
ナンジシンミンフボにコウにケイテイにユウにフウフアイワしホウユウアイシンじキョウケンオノれをジし

博 愛 衆  ニ及 ホシ學 ヲ修 メ業  ヲ習 ヒ以 テ智能 ヲ啓 發 シ 器ヲ成  就 シ
ハクアイシュウにオヨボしガクをオサめギョウをナラいモッてチノウをケイハツしトクキをジョウジュし

進  テ公 益 ヲ廣 メ世 務ヲ開 キ常 ニ國 憲 ヲ重  シ國 法 ニ遵  ヒ
ススンでコウエキをヒロめセイムをヒラきツネにコクケンをオモンじコクホウにシタガい

一 旦 緩 急  アレハ義勇 公 ニ奉 シ以 テ天 壤  無窮  ノ皇 運 ヲ扶翼 スヘシ
イッタンカンキュウあればギユウコウにホウじモッてテンジョウムキュウのコウウンをフヨクすべし

是 ノ如 キハ獨 リ朕 カ忠  良  ノ臣 民 タルノミナラス
カクのゴトきはヒトりチンがチュウリョウのシンミンたるのみならず

又 以 テ爾  祖先 ノ遺風 ヲ顯 彰  スルニ足ラン
マタモッてナンジソセンのイフウをケンショウするにタらん

斯ノ道 ハ實 ニ我カ皇 祖皇 宗 ノ遺訓 ニシテ子孫 臣 民 ノ倶 ニ遵  守 スヘキ所
コのミチはジツにワがコウソコウソウのイクンにしてシソンシンミンのトモにジュンシュすべきトコロ

之 ヲ古今 ニ通 シテ謬  ラス之 ヲ中  外 ニ施  シテ悖 ラス
コレをココンにツウじてアヤマらずコレをチュウガイにホドコしてモトらず

朕 爾  臣 民 ト倶 ニ拳 々 服 膺 シテ咸 其  ヲ一 ニセンコトヲ庶 幾 フ
チンナンジシンミンとトモにケンケンフクヨウしてミナソノトクをイツにせんことをコイネガう

明治二十三年十月三十日

  御 名 御 璽
  ギョメイギョジ