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説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

2017年3月26日 説教要旨

2017-04-04 22:54:20 | 説教要旨
2017年3月26日 説教要旨
ローマ人への手紙14章13~23節

あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜よりほかには食べません。食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。日を守る人は、主
のために守っています。食べる人は、主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。食べない人も、主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。

2017年3月12日 説教要旨

2017-04-01 22:52:08 | 説教要旨
3月12日 説教要旨 
ローマ人への手紙13章11~14節

(11)クリスチャンは今がどのような時かを知っています。イエス・キリストは私たちの罪のために十字架にかかって死んで、よみがえってくださいました。そしてその後、再びこの地上に戻って来られる再臨の時がきます。「救いが私たちにもっと近づいているからです。」とは救いの完成の時、私たちが完全に変えられることです。つまり、私たちはキリストの再臨までの時代に地上に使命を与えられて生かされている者です。ある方々は輪廻のように、何回でも人生が巡ってくると思っています。しかし、人は一度きりの人生でやり直しができません。そして罪の解決、救いが必要なのです。私たち一人一人はこのイエス様の素晴らしい救いを伝えるという使命が与えられています。それを行う事、選ぶことは重要です。神様に従って福音を伝える使命が
与えられていることを覚えて下さい。
(12)この「昼」というのは暁(あかつき)という意味で、夜明けの時のことです。夜明けの前が最も暗いのですが、キリストの再臨に向かって時代は悪くなっています。しかし、それは夜明け、キリストの再臨が近づいている、しるしでもあります。当時のローマは栄えていましたが、社会的に性的に、様々な面で堕落していました。「やみの業を打ち捨てて、光の武具をつける」という決心、信仰が必要な時代でした。今の時代と似ていますが私たちも問題の解決や神の約束の成就の前に、困難や、試練が許されることがあります。ヨセフの人生はまさにその通りでした。しかし、神の時がきます。そしてそれは完全です。困難は素晴らしい神の栄光の前触れなのです。
(13~14)この箇所はアウグスティヌスが神さまと出会い、明確に救われたみことばです。キリストを着るとは、キリストが成してくださったこと(救い)を受け取り、信仰によって歩む歩みです。信仰を用いる時に私たちは解放され、恵みの中を歩み始めます。

2017年3月5日 説教要旨

2017-03-16 23:03:24 | 説教要旨
2017年3月5日 説教要旨 
ローマ人への手紙13章6~10節

律法の中心は愛であると言っています。人を愛する者は律法を完全に守っているので
す。しかし、愛と呼ばれながら害を加えるものもあります。ストーカー、親の偏愛、
等等です。聖書が語っている愛には3種類あり、アガペー(神の愛:無償の愛)、
フィリア(友情等:人の愛)、エロス(男女の愛)があります。アガペーの愛は私た
ちの内にないものであり、御霊によって与えられるものです。
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」とあります。クリスチャンでも自分を
愛していない、愛していてもこじれていたり、偏っていたりしている場合がありま
す。他人を愛するという時、「自分を愛するように」と言っています。自分を愛する
愛が正しくしっかりしていないと、人を真に愛することはできないことがわかりま
す。ですから、まず、自分を愛するということが必要であり、それは神の愛がポイン
トとなります。「私なんか~」と思っている人は神に愛されていることを知る必要が
あります。頭で知っていても、実感として知っているかが大切なポイントです。神さ
まは私たちのあるがままを愛して受け入れて下さっています。私たちは自分でも見た
くない自分というのがあったりしますが、神はそのままで愛されています。もちろ
ん、罪はきらわれますし悔い改めに導かれます、また、成長する事を導いてください
ますが、まずは罪人の私たちをそのままで愛して下さっているという事を知り、体験
することは重要です。最善の者として愛して下さっていますが、このとき、信仰を用
いる必要があります。神さまに愛されていることを告白する。祈り求める等です。特
に祈る時に私たちは神の様々な答えと愛を体験します。また、すべてを感謝する事、
聞き従う事が重要です。その中で神さまに愛されてきたこと、いま、愛されているこ
とを深く知っていきます。
愛の問題というのは、愛されていることがわからないとわかりません。他人を愛せよ
と言われていますが、自分を愛するというポイントがまずはっきりする必要がありま
す。さらに深く神の愛を知り自分を愛し、他の人を愛し、神様によって律法を完成さ
せて頂き、人生における神のみこころを全うしていきましょう。

2017年2月26日 説教要旨 

2017-03-13 23:02:00 | 説教要旨
2017年2月26日 説教要旨 
ローマ人への手紙13章1~7節

「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している
権威はすべて、神によって立てられたものです。」(1節)権威に従う事について語
られていますが、ここの直接的な意味は国のことです。当時はローマが世界を支配し
ていましたが、このローマ帝国はダニエル書では「獣」とあり、良いものと書かれて
いません。事実、クリスチャンの大迫害を行っていくようになりますが、そのローマ
帝国の秩序に従いなさいということを言っています。神は秩序の神であり、存在して
いる権威はすべて神によって立てられているということを捉えて歩む必要がありま
す。私たちの周りにはいろいろな権威、親子・夫婦・学校・職場・教会等等が置かれ
ていますが権威に逆らってはいけません。権威に逆らっている人は神の定めに背いて
いるのです。
ただし、この服従は神に対するものなので、権威者が神に反する事を命じてきた場合
は別です。神さまを第一とし、信仰を守る必要があります。しかし、それ以外のこと
は私たちは立てられた権威に従っていかなければなりません。権威は主のものであっ
て主の恵みと大きく関わっています。私たちは権威に従う時、守られ、祝福をうけて
いきます。私たちは神に従う時に、権威に従っているかを点検する必要があります。
神に従っていると言いながら、権威に逆らっているのは間違いです。正しく権威を捉
えて歩んで行きましょう。神さまは権威に従う者を祝福されます。