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説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

2017年5月7日 説教要旨 

2017-05-14 08:07:33 | 説教要旨
2017年5月7日 説教要旨 
ローマ人への手紙16章1~16節

ケンクレアはアテネやコリントに近いギリシャの街です。そこの教会の女性執事でフィベさんという方がおられ、多くの人を助けパウロを助け、良い働きをしていました。彼女がローマに行くので彼女を推薦しています。このフィベがローマ人への手紙をローマに届けたと言われています。3~4、プリスカとアクラは信徒の方々でしたが、自分のいのちの危険を冒してパウロのいのちを守ってくれ、異邦人のすべての教会も感謝している働きをしている人たちで、パウロから同労者と呼ばれています。妻のプリスカの方が先に書かれているので奥様の方が特に神の用いらえたようです。私たちも神さまの働きに加わっていく時、同労者となり、神に喜ばれ、多くの人々の救いや祝福のために用いられる者となります。5~12、この箇所ではパウロはローマに
多くの知り合いがいたことがわかります。そして「主にあって労している~」と人々を紹介しています。私たちが主に仕える時、クリスチャンとしてこうあるべき、献身者としてこうあるべきという考え方があります。それ自体は良いことですが、主にあってというのは、本当に主に聞き従って成していくことです。その時、真に神の恵みと祝福が多くの人々に流され、また、自分自身も喜びのある、充実した、神の恵みに満ちあふれた醍醐味のある人生となります。聞き従う歩みをしていきましょう。13~16、「主にあって選ばれた人ルポス」という人がいます。この人はパウロの母親と
も親しかったことが書かれています。彼の父はクレネ人シモンといい、イエス様が十字架を負ってゴルゴダの丘に向かわれる際に倒れてしまい、そこに居合わせたばかりにローマ軍の兵士に無理やりに十字架を負わされて運ばされた人でした。しかし、このことで、シモンは救われ、そしてルポスや家族も救われて主の恵みに預かったのでした。強いられた十字架でしたが、そこから本人も家族や周りの人々も祝福を受けることになったのです。私たちも自分で選べない、強いられた十字架を負わされることがありますが、その時は感謝し主をほめたたえましょう。神の計画にあることならば、その時は理解できなくても本人も回りの人々も祝福して下さる神の業をみていきます。

2017年4月23日 説教要旨

2017-04-30 09:08:29 | 説教要旨
2017年4月23日 説教要旨 
ローマ人への手紙15章13~21節

「どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満し、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。」完全な愛で私たちを愛して下さっている神様。異邦人、すべての人の救いを計画し実行してくださった真実な神様。この方に私たちの真の希望があります。また、喜びと平安、希望は信仰から与えられてきます。ではどのようにして信仰をもったら良いのでしょうか?「信仰は聞くことから、キリストについてのみことばによる」とあります。私たちは教会で礼拝をしたり、聖書を読んだり、証しを聞いたりすることを通して信仰を受けていくのです。ですから、神からの情報を受けることが重要です。そして聞いた信仰を用いて行く時、神の業が起こってきます。問題に対しては「神が解決して下さる」ビジョンは「神が成就して下さる」という信仰による希望をもっているかどうかはこれからの歩みを決定していくものとなります。
14~15、パウロはローマの兄弟姉妹が一致を持てると言っています。実際には問題があったとみられるローマの教会ですが、パウロは信仰によって彼らを見ていたのでした。私たちも自分や他の人を信仰の目、神の目で見る必要があります。
16~17、パウロは自分は異邦人に対し、祭司の役割をしていると言っています。私たちが神様が導いている方々に福音を語ることは祭司の役割をなすことになり、それは尊い働きです。
18~19、エルサレムから今のクロアチアまで、神のことばと、しるしと不思議、御霊の力によって宣教が進められていきました。御霊の賜物は神が与えた宣教の武器です。聖霊のバプテスマを受けている人はだれでもそれを用いることができます。この終わりの時代に忠実に用いていきましょう。
20~21、パウロは世界宣教と開拓教会のビジョンが与えられ、大胆に宣教していきました。私たちも使命や賜物はそれぞれ違いますが、神からの望み、ビジョンを受けて歩んでいきましょう。神はこれから、真に価値あること、永遠に残る働きのために、教会、私たち一人ひとりを大きく用いていかれます。

2017年4月16日 説教要旨

2017-04-27 21:26:40 | 説教要旨
2017年4月16日 説教要旨 
ローマ人への手紙15章7~17節

14~15章は教会の一致が非常に重要であると聖書は語っています。一致のあるところに神の恵みと働きが起こっていきます。ですからキリストが私たちを受け入れて下
さったように、お互いに受け入れなさいと勧めています。私たちはお互いに違うこと
を認め合い、その上でお互いを受け入れる必要があります。ただ、これは人間的な力
ではできないので信仰の対応が必要です。上手くいかないことや、上手くいかない人
との関係を感謝し、罪があったら悔い改め、主に従っていきましょう。神はその中で教会を立て上げ、完成へと導いていかれます。
8節からは異邦人も受け入れなさいと語っています。神はまずイスラエル人を選び、
救い主を与え、そこから異邦人、全世界の人々の救いを計画されました。しかし、そ
れはすでに旧約の時代から示されていたことでした。
「それゆえ、私は異邦人の中で、あなたをほめたたえ、あなたの御名をほめ歌お
う。」「異邦人よ。主の民とともに喜べ。」さらにまた、「すべての異邦人よ。主をほめよ。もろもろの国民よ。主をたたえよ。」とあります。当時のユダヤ人(今もユダヤ教の方々)には異邦人を受け入れるという事は抵抗がありました。しかし、それがイエスが来られたこの新約の時代のみこころなのです。私たちはそれぞれ様々な価値観を持ちますが、神のみこころを第一として歩む必要があります。これから私たちの教会にも多くの方々がやって来られますが、神がその方々を受け入れておられるように受け入れ、共に歩んでいくことが重要です。また同時に、神は私たちが自分と合わない人を通して訓練し立て上げていかれる事を覚えてください。信仰によって自分を受け入れ、人々を受け入れていきましょう。「どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。」

2017年4月9日 説教要旨

2017-04-24 20:00:11 | 説教要旨
2017年4月9日 説教要箇所 
ローマ人への手紙15章1~13節

私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。むしろ、「あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった」と書いてあるとおりです。昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。
それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。こういうわけですから、キリストが神の栄光のために、私たちを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れなさい。私は言います。キリストは、神の真理を現すために、割礼のある者のしもべとなられました。それは父祖たちに与えられた約束を保証するためであり、また異邦人も、あわれみのゆえに、神をあがめるようになるためです。こう書かれているとおりです。「それゆえ、私は異邦人の中で、あなたをほめたたえ、あなたの御名をほめ歌おう。」また、こうも言われています。「異邦人よ。主の民とともに喜べ。」さらにまた、「すべての異邦人よ。主をほめよ。もろもろの国民よ。主をたたえよ。」さらにまた、イザヤがこう言っています。「エッサイの根が起こる。異邦人を治めるために立ち上がる方である。異邦人はこの方に望みをかける。」どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。

2017年4月2日 説教要旨 

2017-04-21 19:58:34 | 説教要旨
2017年4月2日 説教要旨 
ローマ人への手紙8章28節、
Ⅰテサロニケ5章16~18節

聖書は誤りない神のことばであり、どの個所も真理ですが、今日の箇所は私たちの信仰生活にとって特に重要なみことばで土台です。「すべてのことに感謝しなさい。」とあり、悪いことも感謝することが語られています。悪いことの中に良いことを探して感謝するのではなく、悪いことそのものを感謝することがポイントです。なぜなら悪いと思うことの背後に神の最善の計画があるからです。また、「神を愛する人々」にはすべてのことが益となると約束されていますが、「神を愛する」とは従うことであり、私たちが神に聞き従って行く時に、悪いことや、失敗さえも益に変えられていきます。
ですから、私たちは神から良いことで恵みを受け、また、悪いことでも恵みを受けるのです。何一つマイナスは無く、かえって悪いと思う事の中にこそ、良い事にまさる祝福があります。
今回のキャンプでは、私たちはある事に関してはすべてが益になっていない事があり、その理由について語られました。神のことばに偽りがあるのではなく、それはまだ時がきていないからです。完結していないのです。私たちは近視眼的になってはなりません。長いタームで見る必要があり、そして永遠のタームで見る必要があります。
「神はすべてのことを働かせて益としてくださる」というみことばは真理であり、必ずそうなります。神がいかに誠実に益にしてくださったかを見るのです。私たちにわかる時が必ずきます。ですから、私たちはまだ見ていないことについても、信仰を働かせ、感謝と賛美を捧げ、主をほめたたえていきましょう。
神は私たちを愛して下さっており、十字架の愛をもって愛して下さっています。人間でも愛する者には「幸せになって欲しい、祝福されて欲しい」と願いますが、神は私たちが幸せになることを願っておられ、私たちの目に悪いと思う事を通しても神は私たちを祝福し、幸いを与えていかれるからです。