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説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

2017年8月20日 説教要旨

2017-08-26 22:40:45 | 説教要旨
2017年8月20日 説教要旨 
エペソ人への手紙3章17節~4章4節

「こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。」

イエス様の十字架を信じた時に私たちの内に聖霊が住んでくださいます。その聖霊がキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さを体験するように導いて下さいますが、この時、重要なのは信仰を用いることです。信仰を用いる時、私たちは生ける神様のみ業を体験し、神様の愛を体験していきます。具体的には①教会に繋がる②祈る(祈り求
める)③すべてのことを感謝する④罪は悔い改める(握らない)⑤みことばを信じ、主に従うこと等です。

「さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つで
あったのと同じです。」

献身者、信徒の方、どちらであっても誰一人例外なく神様の召し(使命や計画)が与えられています。しかし、召しに関してはそれを選ぶ選ばないは、本人に選択の自由が与えられています。実際は召しに従う時、人は真に自由と喜びとやりがいのある人生、真に価値ある人生を生きます。パウロは自分のことを主の囚人(主人に従い、自
由が無い者)と言っています。謙遜と柔和、寛容と愛、平和のきずな、これらはキリストが持っておられ、それを私たちも他の人々に与えるように導いておられます。しかし、まず、私たちは信仰を用いて行く中で、神様がそのような方であることを深く知っていく必要があります。

2017年8月13日 説教箇所 

2017-08-19 22:50:38 | 説教要旨
2017年8月13日 説教箇所 
エペソ人への手紙3章12~21節

私たちはこのキリストにあり、キリストを信じる信仰によって大胆に確信をもって神に近づくことができるのです。
ですから、私があなたがたのために受けている苦難のゆえに落胆することのないようお願いします。私の受けている苦しみは、そのまま、あなたがたの光栄なのです。
こういうわけで、私はひざをかがめて、天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。
こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。
また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。
こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。
どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。

2017年7月30日 説教箇所

2017-08-15 22:35:39 | 説教要旨
2017年7月30日 説教箇所 
エペソ人への手紙3章1~11節

こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となった私パウロが言います。あなたがたのためにと私がいただいた、神の恵みによる私の務めについて、あなたがたはすでに聞いたことでしょう。先に簡単に書いたとおり、この奥義は、啓示によって私に知らされたのです。それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよくわかるはずです。この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられたのは、私がキリストの測りがたい富を異邦人に宣べ伝え、また、万物を創造した神のうちに世々隠されていた奥義の実現が何であるかを、明らかにするためです。これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、私たちの主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた神の永遠のご計画によることです。

2017年7月30日 説教要旨

2017-08-08 08:09:57 | 説教要旨
2017年7月30日 説教要旨 
ヘブル人への手紙11章8~9、16、24~26節

白馬キャンプで語られたみことばについて共に分かち合っていきましょう。
(16)「しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。
事実、神は彼らのために都を用意しておられました。」パトモスチームを通して黙示録は永遠の門ということが語られました。黙示録は患難時代の凄まじい状況が書かれていますが、中心はそれを超えた永遠のことを語っています。私たちは地上の生涯を終えると御霊の身体が与えられ、主と共に永遠に生きる者となります。私たちにとって死は終わりではなく、そこから発展・進展していくのです。旧約の信仰者たちは死んでからではなく、今、生きている時にすでに永遠の者としての意識をもち、地上では寄留者であり、永遠の者としての選択をしていきました。これからのリバイバルと終末の時代に生きる私たちにとって、この地上を永遠の者としての意識を持って生きるかどうかというのは、人生の歩みや選択において大きな違いになってくることを覚え、天国人として歩みを求めていきしょう。
(24~26)「信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。
彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。」モーセは地上においてはエジプトの王子としての生活が保障されていましたが、彼は天の報いから目を離さなかったのです。クリスチャンには2つの報いがあります。①水一杯でも飲ませるなら~とあるように、神のために奉仕したこと、捧げたもの。②みこころを行ったかどうかということ(Ⅰコリント3:12)であり、特に②が重要なポイントです。
(8~9)「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。」アブラハムは寄留者としての歩みをあえて選んで生きました。自分に語られたみことばを信じ、永遠の報いを信じていたからです。神と神のことばは永遠に変わりません。私たちは神のことばを聞き、信じ、従う歩み、天国人としての歩みを恵みによって全うさせて頂きましょう。

2017年7月23日 説教要旨

2017-08-05 22:18:47 | 説教要旨
2017年7月23日 説教要旨  
エペソ人への手紙2章11~22節

(11~12)「ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望
みもなく、神もない人たちでした」イスラエル人は契約の民であり、律法を通して神との契約を結び、その印として割礼を受けました。しかし、異邦人は最初から契約外であり、罪人であり、罪の罰を受け、滅びるしかない存在でした。(13~14)「しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。」行いによっては誰一人義と認められず、キリストの身代わりの十字架を信じる信仰によって赦される道を神は開いて下さいました。(15)「このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。」イスラエル人と異邦人の間にあった壁を打ち壊し、どちらもキリストによって神との和解が与えられるようになりました。
(17~22)「それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」神は私たち人間を愛し、あわれみ、キリストによる救いを与えて下さいました。そして教会の身体の一部分としてくださり、建て上げて行って下さるのです。みことばの土台にたって主に従い、終わりの時代に召された私たちへの神の計画の中を歩んで行きましょう。