雀ばぁば

おしゃべり雀、孫7人

年齢制限 あり ?!

2009-08-29 20:32:48 | Weblog
さて、3日目。

昨日の混雑振りを見ていたので
開園間もないナガシマスパーランドに到着。

今日は、
ジェットコースターに乗る予定。
入園後、
まっしぐらに、目指して歩く。

お義母さんも乗りますか?
娘婿が聞いたので

乗るよ!
元気よく答えた。

私は、足が悪いので
娘とゆっくり歩いていったら・・・


先に着いた孫達と娘婿が
何やら叫んでいる。

“おばあちゃん、はよ、54歳って言うて!”
慌てる、孫3号君。

???

“お義母さん、年齢制限があるんよ。
54歳からやって、どうする?”

どうするって、いくら厚かましい私でも         ↓(携帯で撮った)
14歳も、よう鯖読まないよ。


孫3号君は、あと数日で10歳、
身長は十分だから クリアとのこと。


木製ジェットコースター、“ホワイトサイクロン”を
目前に
私は1人、荷物番

なんで54歳なんや?
せめて、60歳くらいにしてくれたら
鯖読むのに・・・。


証明書を求める訳ではないようなので
鯖を読まれることを前提に
設定してある模様。

何かあっても、
違反したあなたが悪いのよ!

そういう設定なんだろう。


以後、
荷物番を続けたが
私にも乗れるジェットコースターがあった。

其れを見つけた孫達が
手招きしながら
口を揃えて叫んだ。

おばあちゃ~ん、年齢制限ないから乗れるよ~

(バカバカバカ、そんな大きな声で言うな!)

それでも、
みんないっしょに乗れて
木立の中を
風になって通り抜けるような
ジェットコースター設定で
なかなか良かった。

大観覧車オーロラにも
孫達と乗った。

写真も沢山撮ったが
ブログに載せようとすると
サイズが大きすぎて
そのままでは ダメ。

ちょっと面倒だなと・・・

老化の兆しを感じている
今日この頃・・・




伊勢神宮

2009-08-27 20:06:04 | Weblog
長旅は、
やはり疲れました。

帰ってすぐ、
母の灯籠流しの法要もあったりしたので

妹と久しぶりに夜中までゆっくり話して 


おまけに、
孫3号君を法要に伴って
帰宅後、夏休みの宿題を
見てやって・・・。

フゥ~~~



朝寝、昼寝、夜寝して
やっと回復。




で、旅の続きですが


23日、伊勢神宮に。

途中、渋滞気味・・・

内宮近くに着いたら、
街中が、またまた渋滞?

駐車場はもちろん、
道路も四方八方から
車が押し寄せる感じで・・・

広い駐車場内を
グルグル回って
空きを探す車が
あちこちで
角競り合い

幸い、1台が出た後に
駐車できてラッキー


昔のお伊勢参りの賑わいを
感じさせるようなたたずまいの
店が並ぶ中
沢山の人達がゾロゾロと
内宮目指して 歩く       



驚いたのは
「赤福」の賑わい・・・

みんな、買うんだ!


帰りのサービスエリアにも
沢山売っていた。
以前と、何も変わってないじゃん?
何が変わったんだろう?

娘、曰く。
「今が一番安全!」
そんなモンでしょうかねぇ



神宮の中は
さすがに大きな木がど~んと立ち並び
歴史を感じさせる。

内宮は、
昔そのままの素朴さが
伝わる。

しかし、人が多くて
拝殿前の石段は
参拝を待つ人で埋まり
荘厳さは 今ひとつ・・・。



次の目的地、
ナガシマ スパランドを目指すが
途中も、到着後も
すごい渋滞。

時間がなくなり
プールは子供達だけに。
結局、ほとんど泳げず、
期待したウォーター滑り台は
全く出来なかったようだ。

私と娘は買い物でぶらぶら。

翌日は、ここの遊園地で遊ぶ。


夏休みも終わりに近づいて
日曜日でもあり
何処も人出がすごかった~






伊勢旅行

2009-08-26 23:44:15 | Weblog
伊勢へ行ってきました。

遠かった&疲れた

でも、楽しかった


行く途中、アクシデント

娘婿の大切な車が
接触事故

Uカーブ、坂道、
当方外側、下り。

相手方、内側上り。
黄色の中央線をはみ出して
接触 ボンッ! 


衝撃はなかったが
一瞬、なんの音か分からなかった。

相手の車は
カーブを曲がって行って
見えない・・・

ヒェ~と思ったら
初老と覚しき方が
歩み寄られて
謝って下さり
事は、穏便に解決方向に。

傷は、擦り傷で
旅行に支障なし。


かなり手間取ったが
旅行続行。

長い道のりを
孫達はDVDを見続け
外の景色に関心を示さない。

大した景色があった訳ではないが
地名などにもっと
関心を示して欲しかった


夜7時半頃、ホテル到着。

7階の部屋から
遠くに上がる花火が見えて
きれいだった 

部屋はオーシャン ビューで
英虞湾らしかった。

連れて行ってもらったので
場所も定かでない・・・

とってもいい加減な
話ではありますが
疲れておりますので
今日は取り敢えず
これまで・・・



明日から 旅行

2009-08-21 11:10:51 | Weblog
孫1・2・3号君たちと
その両親と一緒に
伊勢神宮参りに行きます



娘夫婦は、
忙しい仕事をやりくりして
毎年、夏休みに旅行を計画。

私は、それに便乗・・・

夫は行きません。
おばあさんがいるから・・・が
表だった理由。



まず、薬を忘れないよう
取りそろえて 朝夕毎に一包化。
こんな時、薬局勤務は便利。

一般の方も
掛かり付けの薬局でお願いすれば
やってもらえるかも・・・。
少しは、料金が掛かるかもしれないけど
旅行には便利ですよ。

あと、
水着を忘れないよう
娘婿から念を押された。

昨年、流水プールで
初めての経験をして
孫達とはしゃいだのを
覚えてくれていた。





娘は、サイズがさらに進化?
渋々、水着を着る?

1週間のエクササイズでは無理か・・・とか
先日ブツブツ言っておりました。





旅行でプールに行かなくてもと
夫は言うが
連れて行って貰えるのだから
楽しんできま~す

天気も、良さそうだし・・・

本音の本音

2009-08-15 21:09:09 | Weblog
お義母さん、
93歳まで元気でいるんだから
もっと、ゆったりとお暮らし下さい。

お手伝いしなきゃと
張り切らないで下さい。


これくらい、させて下さい!とおっしゃるけれど


手の力が弱ってるから
お茶缶の蓋が開かない。

ちょっと、開けて下さい。開かない・・・。

ハイハイ。

力がなくなってしまって、情けない・・・。
(痛そうに手を撫でる。だから、しなくてもいいのに・・・)



電子レンジの使い方が分からない
(しなくても、いいんだけど・・・)。
その度に、同じ事を教える。

“あたためる”を押してから“スタート”を押してね。

ああ、そうだったね。

力がないから思い切り押すのか
ピッピッ  音が2回。

2回押すと違うメニューになる。

しばらくしてから

取り消すのはどうすればいいの?

眺めていたけど分からなかったらしい。

“取り消し”を押してから
もう一度、やり直してね。

あっ、そうか!

何度か、やり直して
やっと ピッ と押せる。

むずかしいねぇ!
(私も近い将来、そうなる・・・


今日も、ピッピッと音がしたけど
取り消し出来るかな?黙っていたら
そのまま、スタートを押すつもりだったらしい

“スタート”を押せばいいのね?
自信なく、聞いてきたので
私はまた、自分の手を止めなければならなかった。



義母のご飯は、柔らかく炊き直しているが
鍋にご飯と水を少し入れて火に掛けるだけ。

なにかお手伝い…と言われたら
まず、これをお願いすることにしているが
ガスを点けるのもその度に、オロオロ。

おまけに、5~6分、じっと見ていてくれたらいいのに
火に掛けたまま
スゥ~ッとどこかへ行ってしまう。

そこにいても、見ていない。


バリバリ、音がし始めて慌てる。
焦げるよ~

私が、時に焦がしてしまうからお願いしたのに・・・
これじゃぁお手伝いにならないじゃ あ~りませんか~



それで・・・

これとこれは 冷蔵庫へ入れるのね!などと
仕切ろうとする
(しなくても、いいって・・・)



もう一つ、閉口しているのが
“大変ねぇ”の口癖。

顔をしかめて
さも、同情しているかのように
“大変だったでしょう
“大変ねぇ!”

日に何度も言われると
イライラしてくる




昨日、娘一家が突然やって来て
夕食をともにした。

しばらくぶりで楽しいひとときだった。
孫2・3号君達は お泊まりに。
孫1号君は、弟たちのいない静かな家へ
嬉しそうに帰って行った。

最近は、
食べるものは娘達が買ってきて
費用は、私たちが持つ…パターン。
ご馳走を用意したりはしない。

後片付けは、ちょっと大変だが
日に何度も何度も
同情してもらうほどのことはない。


ちょっと、草引きをした。

暑い中、仕事に歩いて行く。

頼まれ事で少し忙しかった。

フラのスカートを縫う。

町内の仲間が我が家でチョイ飲み会。
(つまみと酒だけ。何もしない)


全部、 “大変ねぇ”なのだ。
まるで、自分が全部仕切っているかのように
大変、大変を繰り返す。

大したことないよ!と言うのに
顔を会わす度に言われて、
今日は切れそうだった。


“おばあさんだって、若い頃は
チョチョイのチョイでやってたでしょう!?
大したことないの!”




お義姉さまへお願い!

電話の度に
お義母さんを焚きつけないで下さい。

A子さんに 迷惑を掛けちゃダメよ!

ボンヤリしてたら呆けるから
A子さんのお手伝いをしなきゃ!

しっかりしなきゃダメ!
寝てばかりいないで!

自分のことは自分でしなさいよ!



93年も生きてきた方は
おっとりと暮らして
適度に呆けて頂く方が
よろしいかと・・・


老いては子に従えと言うでは あ~りませんか





「ヒロシマ・ノート」

2009-08-11 22:01:40 | Weblog
ノーベル賞受賞作家、大江健三郎氏の
代表作であるが、
これの点訳に取りかかったのは
約14~5年前・・・。

受賞されてから
数年以内だったと記憶。



3分の一を残すところで
今の仕事に就いたものだから
そのままになっている。

(点字板&用紙は預かったまま、
お咎め無し、すんません)

再取り組みのチャンスは
いくらもあったが
怠け者の癖で
怠ってきた。

孫達も手が掛からなくなって
緊急応援の要請もなくなり、

介護も一段落している今、

何とかしたいと
もがいている。


十数年の空白は大きく、
勇気の要ること!



先の報道で
被爆者の救済が進みそうな気配。

長く戦ってきた方達に
安心の日々が来ますように。



「ヒロシマ・ノート」を読んで
一番記憶に残っているのが
何故か
「悪漢赤い血」と呼ばれる人物。

「ヒロシマ・ノート」には
「悪漢赤い血」とは対極の
真面目で、一生懸命な人達が
多く登場する。

しかし、このような人達は
地に埋もれてなかなか見えない。

一つ一つ、拾い上げて
表に出したのが大江氏?

「悪漢赤い血」は
地道な人達を尻目に
ドンドン躍進し
政治的な解決にこぎ着ける。

何が、悪いことで
何が、善いこと・・・?

そんな疑問を抱かせた人です。

大江氏は、この「悪漢赤い血」を登場させたことで
一時期社会的に批判されたこともあったような・・・。

悪いヤツを良い人のように言った?

「悪漢赤い血」が思惑通り動けたのは
そのやり方になびいた人々がいた!から・・・。
選挙の時期、心したいものです。



せっかくのノーベル賞作品も
実は、
とっても読みにくい。
日本語が分かりにくいと感じるのは
私だけでしょうか?


「ヒロシマ・ノート」の核心部分の一つと
思われる部分から
その一部をご披露。(無許可です)


 「Ⅵ ひとりの正統的な人間」より

  重藤博士は、原爆の炸裂の瞬間から、この戦後の二十年、すなわち原爆後の二十年、終始、広島の被爆者の日々の治療についての責任者であった。それは原爆病院がつくりあげられるより以前からそうであったのだし、そして原爆病院長に就任した後も、博士は広島日赤病院長の仕事をも、あわせおこなわねばならなかったのである。
  すなわち、重藤博士と原爆病院は、つねに研究機関でなくて、日々の治療機関であり、現場の医師であった。したがって、重藤博士をめぐる原爆病院の医師たちの研究はつねに、現実の患者の治療と綯(な)い合わされてのみ存在したのであった。それは、ABCCが本来、治療とは無関係な、純粋な研究機関であったことと比較されながら、記憶されるべきであろう。
  原爆病院の医師たちは、人間の肉体に巣くう原爆という、かつて人類が出くわしたことのない怪物との闘いにおいて、現実の患者を治療しながら一歩ずつ具体的に、恐怖の核心にせまってゆくという戦術をとったのであった。それは同時に、そのように具体的なやり方しか、かれらに可能でなかったということでもある。そして、この医師たちの、放射能障害への具体的なアプローチの歴史は、まさに人間的な感動をさそうものだ。かれらは試行錯誤をおかす。しかしそれは、かれらの、より明るい見とおしへの人間的な、きわめて自然な期待によってもたらされたものであることがうかがわれる、そういう試行錯誤である。かれは、ときどき、より明るい方向にむかって、見とおしをあやまる、そして患者たちにも、市民一般にも、あるいは自分たち医師自身にも、いくらかの猶予の時をあたえる。広島の二十年の日々には当然そういう必要があったかもしれないのだが。

    (岩波新書  「ヒロシマ・ノート」 p137~138抜粋)


文章の内容は、深く、切ない。
その気のある方は、是非、
全文をお読み下さい。



私の独断と偏見で言わせて頂くなら
英訳した方が
文章が整理されて
読みやすくなったのでは?

だから外国で
よく読まれる?

内容は素晴らしいのだから
英訳文の再和訳を読んでみたい・・・などと
思ったりもするのです。

かく言う私も、
もし点訳をやっていなかったら・・・
その当時に、この作品がノーベル賞を受賞しなかったら・・・
きっと、読むことはなかったでしょう。


天下のノーベル賞作品に
いちゃもんつけたりして
大江さん、ごめんなさい



何故か 分からん

2009-08-11 15:05:10 | Weblog
ここのところ、
ブログをさぼっている。

なのに、
毎日、20名を超すアクセスが・・・



何故なのか、分からない?


ブログ歴は
8月7日で、丸4年が過ぎたらしい。



始めたのは
父が亡くなった直後で
母が入院していて
夫は、そっぽを向いてて

其れやこれやを
みんな
ブログに書いて
やり過ごした。




こんなブログを
読んで下さる方が
おられたお陰です。

皆様、
あらためて ありがとう 



母もいなくなって
多少、虚脱状態ではあるが
これからも ボツボツ書きますので
よろしくお願いしま~す。