雀ばぁば

おしゃべり雀、孫7人

「ヒロシマ・ノート」

2009-08-11 22:01:40 | Weblog
ノーベル賞受賞作家、大江健三郎氏の
代表作であるが、
これの点訳に取りかかったのは
約14~5年前・・・。

受賞されてから
数年以内だったと記憶。



3分の一を残すところで
今の仕事に就いたものだから
そのままになっている。

(点字板&用紙は預かったまま、
お咎め無し、すんません)

再取り組みのチャンスは
いくらもあったが
怠け者の癖で
怠ってきた。

孫達も手が掛からなくなって
緊急応援の要請もなくなり、

介護も一段落している今、

何とかしたいと
もがいている。


十数年の空白は大きく、
勇気の要ること!



先の報道で
被爆者の救済が進みそうな気配。

長く戦ってきた方達に
安心の日々が来ますように。



「ヒロシマ・ノート」を読んで
一番記憶に残っているのが
何故か
「悪漢赤い血」と呼ばれる人物。

「ヒロシマ・ノート」には
「悪漢赤い血」とは対極の
真面目で、一生懸命な人達が
多く登場する。

しかし、このような人達は
地に埋もれてなかなか見えない。

一つ一つ、拾い上げて
表に出したのが大江氏?

「悪漢赤い血」は
地道な人達を尻目に
ドンドン躍進し
政治的な解決にこぎ着ける。

何が、悪いことで
何が、善いこと・・・?

そんな疑問を抱かせた人です。

大江氏は、この「悪漢赤い血」を登場させたことで
一時期社会的に批判されたこともあったような・・・。

悪いヤツを良い人のように言った?

「悪漢赤い血」が思惑通り動けたのは
そのやり方になびいた人々がいた!から・・・。
選挙の時期、心したいものです。



せっかくのノーベル賞作品も
実は、
とっても読みにくい。
日本語が分かりにくいと感じるのは
私だけでしょうか?


「ヒロシマ・ノート」の核心部分の一つと
思われる部分から
その一部をご披露。(無許可です)


 「Ⅵ ひとりの正統的な人間」より

  重藤博士は、原爆の炸裂の瞬間から、この戦後の二十年、すなわち原爆後の二十年、終始、広島の被爆者の日々の治療についての責任者であった。それは原爆病院がつくりあげられるより以前からそうであったのだし、そして原爆病院長に就任した後も、博士は広島日赤病院長の仕事をも、あわせおこなわねばならなかったのである。
  すなわち、重藤博士と原爆病院は、つねに研究機関でなくて、日々の治療機関であり、現場の医師であった。したがって、重藤博士をめぐる原爆病院の医師たちの研究はつねに、現実の患者の治療と綯(な)い合わされてのみ存在したのであった。それは、ABCCが本来、治療とは無関係な、純粋な研究機関であったことと比較されながら、記憶されるべきであろう。
  原爆病院の医師たちは、人間の肉体に巣くう原爆という、かつて人類が出くわしたことのない怪物との闘いにおいて、現実の患者を治療しながら一歩ずつ具体的に、恐怖の核心にせまってゆくという戦術をとったのであった。それは同時に、そのように具体的なやり方しか、かれらに可能でなかったということでもある。そして、この医師たちの、放射能障害への具体的なアプローチの歴史は、まさに人間的な感動をさそうものだ。かれらは試行錯誤をおかす。しかしそれは、かれらの、より明るい見とおしへの人間的な、きわめて自然な期待によってもたらされたものであることがうかがわれる、そういう試行錯誤である。かれは、ときどき、より明るい方向にむかって、見とおしをあやまる、そして患者たちにも、市民一般にも、あるいは自分たち医師自身にも、いくらかの猶予の時をあたえる。広島の二十年の日々には当然そういう必要があったかもしれないのだが。

    (岩波新書  「ヒロシマ・ノート」 p137~138抜粋)


文章の内容は、深く、切ない。
その気のある方は、是非、
全文をお読み下さい。



私の独断と偏見で言わせて頂くなら
英訳した方が
文章が整理されて
読みやすくなったのでは?

だから外国で
よく読まれる?

内容は素晴らしいのだから
英訳文の再和訳を読んでみたい・・・などと
思ったりもするのです。

かく言う私も、
もし点訳をやっていなかったら・・・
その当時に、この作品がノーベル賞を受賞しなかったら・・・
きっと、読むことはなかったでしょう。


天下のノーベル賞作品に
いちゃもんつけたりして
大江さん、ごめんなさい



何故か 分からん

2009-08-11 15:05:10 | Weblog
ここのところ、
ブログをさぼっている。

なのに、
毎日、20名を超すアクセスが・・・



何故なのか、分からない?


ブログ歴は
8月7日で、丸4年が過ぎたらしい。



始めたのは
父が亡くなった直後で
母が入院していて
夫は、そっぽを向いてて

其れやこれやを
みんな
ブログに書いて
やり過ごした。




こんなブログを
読んで下さる方が
おられたお陰です。

皆様、
あらためて ありがとう 



母もいなくなって
多少、虚脱状態ではあるが
これからも ボツボツ書きますので
よろしくお願いしま~す。