浪花の桜~ぶらり(1) 天満橋から天神橋

2015年04月01日 | 
3月31日 大阪 快晴 最高気温23度



天満橋そばの 八軒家船着場(はちけんやふなつきば)付近から対岸を眺めた景色です。


 

 

●八軒家船着場は、旧淀川(大川)左岸に設けられた船着き場。
●平安時代までに、渡辺津(わたなべのつ)と呼ばれる外港ができていた。
●八軒家の名の由来は、江戸時代に船宿などが8軒並んでいたことから。
●京と大坂を結ぶ「三十石船」と呼ばれる船のターミナルであった。

 

大阪城港から戻ってきた観光船。この日の桜は全体では五~六分咲きでした。
 

あっというまに快速で走る船や、四角いカラフルな船、これは、初めて見た水陸両用バスです。
引っ切り無しにいろいろな観光船が通ります。
 

船着き場付近は近年整備されたようで、まだ桜は若木です。
  



この碑文によると、

江戸時代、三十石船のほかに、野崎参りや金毘羅参りに行く船の発着地で、淀川流域の船着き場として
随一の賑わいを見せた。

八軒家と京の伏見との距離、11里あまり(約45km)を上り1日、下り半日で運行した。

明治3年(1870年)に蒸気汽船が就航すると三十石船は衰退し、40年後の明治43年(1910年)に
京阪電気鉄道が天満橋~京都五条間に開通して、八軒家は、淀川の貨客輸送の役割を終えた。

現在、水の都大阪を再生する核となる取り組みとして船着き場が八軒家に完成し、往時のにぎやかな
水上ターミナルの役目が引き継がれています。

この左の絵は、『浪花名所図会』の「八けん屋着船之図」で、浮世絵師 歌川(安藤)広重の作です。(1)

さらに進むと、遠くに噴水が見え、常夜灯が2つ建っています。
  

常夜灯は、夜の乗下船時の安全のために、1860年に地元の町人 年寄堺屋源兵衛により
安政7年に申請され建てられたものの図面から当時の大きさに再現したもの。
堺屋は、京の伏見の寺田屋と提携していて、勤王の志士が利用していた。
また坂本竜馬も八軒家を利用していた。

なお当時の灯籠は、明治時代に生國玉神社に移され、現存しているとのこと。

また、ここは熊野古道の一つ,紀伊路の起点の地であったこと
 

またこのあたりに難波津があり、遣隋使や遣唐使もここから出航していた。

難波津には、さらにもっと古くから国際交流の港で、外交、海外交易施設の鴻臚館の一つ、
難波館(なにわのむろつみ)があったところ。日本書紀にも出てきます。


古代から江戸まで水上の要所として栄えていたことが偲ばれました。

 

 

天神橋南詰から、天満橋方面を臨む。





(1)国立国会図書館デジタルコレクションで検索すると見ることができます。
浪花名所図会は、三都名所図会の一つで、ほかに東都名所 京都名所之内 があります。

さらに知りたいときは、レファレンス 共同データーベースで調べることもできます。

追記:歌川広重(1797-1858年)

江戸の定火消しの安藤家に生まれる。13歳の時までに両親を亡くし、画才に進む。歌川豊広の門人に。
天保3年(1832年)幕府の行列(御馬進献の使)に加わり上洛。江戸から京へ。
天保4年「東海道五十三次」

広重の襲名者はのちに2代目から5代目まで続く。(wikipedia参照)