オーストラリアに住んでみれば

南国暮らしに憧れて、住み始めたオーストラリア。
住んで、暮らして、初めて分かる、色々な体験談をお披露目します。

オーストラリア 入国事情

2016-07-16 08:30:09 | 日記
私がまだ日本に住んでいたころ、


”海の向こうで暮らしてみれば” と言う、海外で暮らす日本人に、どうして移住したのかとか、


そこの暮らしはどうなのかとかを、インタビューする、30分ほどのこのテレビ番組が好きで、毎週欠かさず見ていたのですが、


ある日、一人の女性が気だるそうに、インタビューに答えているのを見たとき、


なんだか、心臓がドキドキして止まらなくなったのです。


”何で私があそこにいないんだろう?”と思うと悲しくて、居てもたってもいられなくなって


次の日、図書館に行って、地図を広げ、


暖かく、きれいな海が近くにあって、女性が一人で行っても安全で、英語圏で、仕事がありそうな所、という事で、


第一候補になったのが、オーストラリアだったのです。


さて、ビザですが、これは入場券みたいなもので、その国に利益をもたらす入国でなければ下りません。


だから、観光か学生ビザの様に、お金をいっぱい落とすビザでなければ、簡単にはおりず、


まして、その国で働きたいと思うなら、ビジネスビザか、学生ビザしか無いので、観光ビザではなく、


仕方なく学生ビザにしたのに、ビザが下りないのです。


もろもろの健康診断書、レントゲン写真、何も犯罪を犯していないという証明書、等々、色々な書類も間違いなく提出したし、


仕事も辞めたし、住んでいるアパートも、解約通知も出したのに、それは大変困るのです。



エージェントに理由を問い合わせると、どうも年齢で引っかかっているらしいのです。



で、何故英語の勉強に、わざわざオーストラリアへ来るのか? 他の国でも良いし、日本でも出来る。



その、理由を書いて提出せよ、と。



そこで、 ”オーストラリアで永住権を取って住みたい” なんて、本当のことを言ったら一発で拒否されるでしょ?


(オーストラリア人の彼氏に会いに行く、と言う理由でも拒否されたんですから..きっと不法入国目的の偽装結婚を疑われた?)



ので、(その後、離婚してオーストラリア政府の援助を受けまくり、オーストラリアにとって迷惑千万な私になった訳ですが…)


当時作文には、”英語を学びながら、オーストラリアのフィットネスの事も大いに学び、将来はオーストラリアと

     日本のフィットネスの為に貢献したい” と書いてだし、渡豪ぎりぎり前にようやく下りたビザをもって、


オーストラリアへと飛び立ったのは、ワーホリも年取りすぎで、できない、37歳の時でした。


滞在できるお金は、英語の学校に通い、収入無しで生活するには半年分しか予算がなくて、


半年のうちに、ビジネスビザのスポンサーを探さねばならず、

 
  ”君、かわいそうだけど、ここに残れる確率は2%以下だよ” 相談する人、する人に、そういわれながらも、


今更、帰る所もなく、入国した次の日から、放課後、毎日、就職活動をした訳なのです。




学校も、いつまでも英語の学校にいると割高なので、普通の学校に行きたいのですが、英語力が無いと、


学生ビザを出してくれる殆どの学校は入学許可が下りないのですが、


そこへ、有難いことに、こちらで知り合った人が紹介してくださった、フィットネススクールから連絡があり、


英語力が足りないなら、1年で卒業のところ、2年で卒業させてあげよう、と言う、大変ありがたい連絡が入ったのです。


それはもう、願ったりかなったりで、だって、確実に2年の学生ビザが下りるんですから、何でもいいから働きながら


とにかく、卒業したら、ビジネスビザだって探しやすくなるじゃありませんか。



喜び、浮き立っていたら、3週間後、1本の電話。



”悪いんだけど、あのコースは生徒が少ないので、辞めになったの。じゃあね”



えーーーーー!!!そんな!そんな!!!



もう、泣きながら、それでも就職活に明け暮れながら、


英語学校で小耳にはさんだ、新しくできたホスピタリティの学校。


そこなら英語力が、中ぐらいでも、そこの学校の英語の補修クラスを受け、許可が下りたら入学できる、と。


英語の学校より、格段に安くでビザがもらえるのです。


当時は、ビザ取り学校とも悪名をたたいたこの学校で勉強し、


後に、ビザスポンサーも見つけ、


オーストラリアライフをスタートしたのでした。



いつも、オーストラリアの悪口ばかり書いていますが、



本当は、オーストラリアが好きなのですね。



住んでみて、考えてもみなかった、色々なこともあるけれども、



でもやっぱり、来てよかったと、思っているのです。































オーストラリア 入国事情

2016-07-16 08:30:09 | 日記
私がまだ日本に住んでいたころ、


”海の向こうで暮らしてみれば” と言う、海外で暮らす日本人に、どうして移住したのかとか、


そこの暮らしはどうなのかとかを、インタビューする、30分ほどのこのテレビ番組が好きで、毎週欠かさず見ていたのですが、


ある日、一人の女性が気だるそうに、インタビューに答えているのを見たとき、


なんだか、心臓がドキドキして止まらなくなったのです。


”何で私があそこにいないんだろう?”と思うと悲しくて、居てもたってもいられなくなって


次の日、図書館に行って、地図を広げ、


暖かく、きれいな海が近くにあって、女性が一人で行っても安全で、英語圏で、仕事がありそうな所、という事で、


第一候補になったのが、オーストラリアだったのです。


さて、ビザですが、これは入場券みたいなもので、その国に利益をもたらす入国でなければ下りません。


だから、観光か学生ビザの様に、お金をいっぱい落とすビザでなければ、簡単にはおりず、


まして、その国で働きたいと思うなら、ビジネスビザか、学生ビザしか無いので、観光ビザではなく、


仕方なく学生ビザにしたのに、ビザが下りないのです。


もろもろの健康診断書、レントゲン写真、何も犯罪を犯していないという証明書、等々、色々な書類も間違いなく提出したし、


仕事も辞めたし、住んでいるアパートも、解約通知も出したのに、それは大変困るのです。



エージェントに理由を問い合わせると、どうも年齢で引っかかっているらしいのです。



で、エージェントの方が移民局と話し合た結果、


何故英語の勉強に、わざわざオーストラリアへ来るのか? 他の国でも良いし、日本でも出来る。



もう一度検討してみるから、その、理由を書いて提出せよ、と。



そこで、 ”オーストラリアで永住権を取って住みたい” なんて、本当のことを言ったら一発で拒否されるでしょ?


(彼氏に会いに行く、と言う理由でも拒否されたんですから..きっと不法入国目的の偽装結婚を疑われた?)



ので、(その後、離婚してオーストラリア政府の援助を受けまくり、オーストラリアにとって迷惑千万な私になった訳ですが…)


当時作文には、”英語を学びながら、オーストラリアのフィットネスの事も大いに学び、将来はオーストラリアと

     日本のフィットネスの為に貢献したい” と書いてだし、渡豪ぎりぎり前にようやく下りたビザをもって、


オーストラリアへと飛び立ったのは、ワーホリも年取りすぎで、できない、37歳の時でした。


滞在できるお金は、英語の学校に通い、収入無しで生活するには半年分しか予算がなくて、


半年のうちに、ビジネスビザのスポンサーを探さねばならず、

 
  ”君、かわいそうだけど、ここに残れる確率は2%以下だよ” 相談する人、する人に、そういわれながらも、


今更、帰れる所もなく、入国した次の日から、放課後、毎日、就職活動をした訳なのです。




学校も、いつまでも英語の学校にいると割高なので、滞在期間を延ばすために、普通の学校に行きたいのですが、


英語力が無いと、学生ビザを出してくれる殆どの学校は入学許可が下りないのです。


そこへ、有難いことに、こちらで知り合った人が紹介してくださった、フィットネススクールから連絡があり、


英語力が足りないなら、1年で卒業のところ、2年で卒業させてあげよう、と言う、大変ありがたい連絡が入ったのです。


それはもう、願ったりかなったりで、だって、確実に2年の学生ビザが下りるんですから、何でもいいから働きながら


とにかく、卒業できたら、ビジネスビザだって探しやすくなるじゃありませんか。



喜び、浮き立っていたら、3週間後、1本の電話。



”悪いんだけど、あのコースは生徒が少ないので、辞めになったの。じゃあね”



えーーーーー!!!そんな!そんな!!!



もう、泣きながら、それでも就職活に明け暮れながら、


英語学校で小耳にはさんだ、新しくできたホスピタリティの学校。


そこなら英語力が、中ぐらいでも、そこの学校の英語の補修クラスを受け、許可が下りたら入学できる、と。


英語の学校より、格段に安くでビザがもらえるのです。


当時は、ビザ取り学校とも悪名をたたいたこの学校で勉強し、


後に、ビザスポンサーも見つけ、


オーストラリアライフをスタートしたのでした。



いつも、オーストラリアの悪口ばかり書いていますが、



本当は、オーストラリアが好きなのですね。



住んでみて、考えてもみなかった、色々なこともあるけれども、



でもやっぱり、来てよかったと、思っているのです。



ちなみに、あの ”海の向こうで暮らしてみれば” の女性は、シドニーでマッサージビジネスをやっている方でした。