ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

『草の根の軍国主義』

2012-12-25 20:00:01 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で『草の根の軍国主義』という本を読んだ。
著者は佐藤忠男という人で奥付によると映画評論家ということだ。
表題の「草の根の軍国主義」というフレーズは私も共感を覚える言葉だ。
私のように戦前生まれではあっても、戦後の教育で育ったものからすると、軍国主義というのは一部の悪人としての軍人に強制されて軍国主義であらねばならなかったので、軍人以外の人は皆被害者だという意味合いで教え込まれていた。
しかし、この地球上に生きている人間を、人間という生き物の自然の在り様として眺めた場合、軍国主義も平和主義もあり得ないと思う。
この地球上に生きている生命体は人間ばかりではなく、動物も、植物も、あらゆる生物、微生物もいるわけで、それらはお互いに食ったり喰われたりして生きている。
野生動物でも自分の同族はお互いに食い合わないと思う。
虎が虎同士で食い合うということはないと思し、ライオンもライオン同士で食い合うことはないと思う。
ところが人類は人類同士で殺し合うのは一体どういう事なのであろう。
人間は地球上の生きもの中でも、万物の中の霊長類として一段と崇められる立場であるにもかかわらず、同類同士で殺し合うことをどういう風に説明したらいいのであろう。
この本は日本が昭和の初めの時期に、アジアで覇権を追い求めた背景には軍国主義があったからではないかという考察から解き起こしているが、覇権を追い求めるためには自分たちの結束が不可欠なわけで、その接着剤として軍国主義が機能していたのではないか、という疑問を掘り起こすことから始まっている。
今の日本人は、この時期の日本の振る舞いをアジアに対する侵略という言い方に何の疑問も、良心の呵責を感じずに使っているが、それは歴史を見る視点としておかしいと思う。
侵略という言葉には、明らかに他人の領域に押し入って、そこにあるものを略奪するというイメージがある。
だから正義ではない、正しくない、悪い事だ、という価値判断は人間の生存を否定する綺麗ごとだと思う。
現に中国の歴史は、異民族が既存の民族、既存の王朝を征服した歴史であって、それが何層にも重なった歴史ではないか。
その最後に日本民族が彼らの上に覆いかぶさった時だけが何故侵略という悪魔の再来のような言い方で非難されるのだろう。
漢民族、元という王朝、匈奴、女真族、日本民族などなど、皆、生きんがために熾烈な生存競争を展開しただけで、攻められた方の憤懣やるかたない憤怒の気持ちは理解できる。
だから、彼らが言うのは致し方ないが、我々の側から使う言葉ではないと思う。
我々はアメリカと戦争して完膚なきまでに徹底的に敗北したが、アメリカが日本を侵略したという言い方は決してありえない。
けれども、その敗北の原因追究として「無謀な軍国主義に酔っていたからではないか」という反省に立って、あの時代の我が同胞の立ち居振る舞いを検証しようとしている。
我々は今、戦争中に中国を侵略したことを申し訳ない、という気持ちで負い目を感じているが、あの時代の我が同胞の目に映る中国の地は、まさしく広大なユートピアに映っていたわけで、その地に住んでいた原住民は西部劇に出てくるインデアンでしかなかったわけである。
そこを肥沃な農地に変え、緑の大地にして、穀倉地帯にするには、日本人のバイタリテイーでなければならず、それは同時に日本の生命線でもあったわけだ。
ところが相手からすれば、日本鬼子が勝手に入って来て俺たちの土地を取り上げた、という言い分になるのも当然のことである。
この生きんが為の両者の諍いを、文明論的に理由付けをすると成ると、我々の側では支那事変といったり、日中戦争といったり、言い方はいろいろだが、実質は日本と中国の生存競争の一端なわけで、これを正義とか、善悪という価値観で測ること自体不遜なことだ。
ただ日本はトータルとして連合軍に敗北したので、負けた方の言い分が封殺されるのも自然のことで、我々が悪者にされて「侵略した」と相手から言われても反発はできないのは当然のことである。
だからと言って、我々の側から侵略という言葉を使う必要はないわけで、こういう物ごとの筋を通すということが我々は極めて曖昧で、それが戦前の我々に軍国主義をのさばらせた最大の理由なのではなかろうか。
公立学校に奉安殿を作って、そこに御真影を安置して、恭しく奉るということを誰がどういう目的で遂行したのであろう。
私は昭和の初期の時期に軍人がのさばった最大の理由は、当時の政治家の堕落だと考えている。
この本にも述べられているが東条英機の経歴を見ても、彼は軍の機構の中で完全に純粋培養されている。
それに比べれば当時の政治家でも立派な高等教育を受けた人も大勢いたに違いなく、そういう人達が軍の機構の中で純粋培養された単細胞の軍人に対して、弁論と知恵と才覚で太刀打ちできないはずはなかったと思う。
あの当時だって文部省はきちんと存在していたと思うが、その文部省は奉安殿の御真影をどう考えていたのであろう。
年間の節目節目の記念日に、学校長が恭しく御真影を戴いて、教育勅語を奉読する式典をどういう想いで見ていたのであろう。
私は戦後に教育を受けた世代なのでその実態は知る由もないが、戦時中は日本全国、津々浦々に至るまで軍国主義一色であったが、この時、当時の知識人、ジャーナリスト、国会議員、大学の先生方、教育関係者は一体どうしていたのであろう。
この本の中では、中学校の校長が入試で御製を奉読して、それに首を垂れなかった生徒を不採用にしたという事例が述べられているが、こういう事例は随所にみられたわけで、その当時、社会的地位の高い人のこういうナンセンスな行為を誰も咎める者がいないということは一体どういう事だったのだろう。
中学校の校長ともなれば、それなりに高等教育も受けていたであろうに、こういう階層のものが、「御製に首を垂れなかったから進級する資格がない」と判断するナンセンスぶりは一体どこから来ているのであろう。
この事例を鑑みるに、この時代の社会的地位の高い人たちの享受した高等教育の実態というのは一体何であったのだろう、またその効果がいささかもあらわれていないということは一体どういう事なのであろう。
教育というものが、人間の知性や理性やモラルの向上や、合理的な判断力の涵養にいささかも貢献しうる要因を含んでいないということであろうか。
この校長ばかりでなく、当時、つまり戦前の日本社会で、まさしく陳腐としか言いようにない立ち居振る舞いが、皇国史観として大手を振って罷り通る状況の中で、その時の文化人、教養人、学識経験者、ジャーナリストという人たちは何をどう考えていたのであろう。
問題は、そういう人達は無学文盲の烏合の衆ではないわけで、当時においても立派な高等教育を受けた人たちであった筈で、その人たちの受けた高等教育が、軍人や軍部の跋扈する事態に対して、どういう対応を指し示したのかという点である。
鳩山一郎の統帥権干犯問題や、美濃部達吉博士の『天皇機関説』や、斉藤隆夫の粛軍演説に対して、その当時高等教育を身につけた教養人、知識人はどういう対応をしたのかということである。
私の推測では、おそらく口にチャンクをして沈黙していたのではないかと思うが、それでは身につけた高等教育が意味をなさないではないか。
無学文盲の大衆が、特高警察や青年将校がちゃらちゃら鳴らすサーベルの音に震え上がった、というのならばまだ理解できる。
だが旧帝国大学を卒業して広範な知識を持ち、教養知性にあふれたインテリ―が、軍という井戸の中で純粋培養された狭量な思考しか持ち合わせていない軍人に、弁論や知恵や才覚で負けるとは思えないが、そういう教養人は軍人に対して正面から議論を挑んだであろうか。
非軍人としての教養人の受けた高等教育は、軍人の偏狭さを打ち破るに足るだけの能力が無かった、それだけのパワーを持ち得なかった、ということを我々はどう考えたらいいのであろう。
それと同時に、この時代の高級将校の通った道として、幼年学校、士官学校、陸軍大学という職業訓練校の中で行われた教育というのは一体何であったのだろう。
この本によると、東条英機という人は非常に派閥抗争に長けていた人とされているが、こういう職業訓練校の中で仲間内の足の引っ張り合いを奨励していたとも思えないが、この足の引っ張り合いというのも陸軍だけの現象ではなく、日本民族のあらゆる状況下で起きているわけで、ある意味で日本社会の縮図という面も無きにしも非ずである。
問題は、こういう環境の中で行われた教育の本質そのものである。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という孫子の兵法は、当時は子供でも知っている普遍化した常識であったが、にもかかわらず英語を適性語として使用禁止にするという措置をどう考えたらいいのであろう。
これに対して幼年学校、士官学校、陸軍大学というエリートコースを歩んだ陸軍の高級将校、高級参謀はどういう所感を持ったのであろう。
英語を禁止して、敵の情報をどうやって探りだせると考えていたのであろう。
この時、非軍人の教養人や文化人は一体どういう感想を持ったのであろう。
戦争をしている敵の言語を禁止して、どうやって敵の情報を探ったらいいのだ、という疑問を誰一人抱かなかったということは一体どういう事なのであろう。
特に軍人、高級将校、高級参謀になればなるほど、情報収集の重要性を痛感しているはずなのに、そういう立場の者が率先して、敵の言語を禁止するように籏振りをするなどということは、本当に戦争の意義、近代戦の本質を知っていたのかと大いに疑問に思わざるを得ない。
幼年学校、士官学校、陸軍大学では一体何をどう教えていたのか大いに不思議でならない。
それと同時に、こういう職業訓練校の出身者に政治をほしいままに翻弄されている教養人、文化人、知識人の有り体も実に情けない。
中国の前線では一銭五厘のハガキで集められた同胞が血みどろの戦いをしている一方で、内地では恵まれた環境で高等教育を享受した教養人、文化人、知識人が、単細胞の軍人のサーベルの音に縮あがって震えている構図である。
戦後67年を経た今日、歴史の検証としてすべきことは、日本を敗北に導いた軍人たち、特に高級将校、高級参謀たちの受けた教育は一体何であったのか、ということを深く掘り下げて考える事だと思う。
それと同時に、文部省、今の文部科学省の元での高等教育の本質を検討しなおすることも合せて重要なことだと思う。
軍人、軍部が邪なコースに入り込もうとした時、当時の政治家にはそれを正す方策も手段も勇気も持ち合わせていなかった。
この時の政治家といえども、有象無象の輩ではないわけで、それなりに教養知性を備えた帝国大学を出た人士であったに違いなかろうと思が、そういう人達の教養知性が軍人の独断専横を抑制する力になり得ていない、ということをどう考えたらいいのであろう。
あの時代の軍国主義の隆盛には、当時のメデイアが大きく貢献していたことは否めないと思う。
当時のメデイアと言ってもあの頃は当然のこと、新聞とラジオしかなかったわけで、その責任は新聞により多くの責があると思う。
ラジオは当時はまだNHKしかなく、当然のこと、国営放送みたいなもので、政府と軍の広報を担っていたに違いない。
問題は新聞であって、これが軍国主義を煽りに煽ったということだ。
新聞は民間の営利企業であって、利潤追求が至上命令であるので、売れる内容でなければならない。
大衆が喜んで買ってくれるように企業努力を重ねばならないが、その為には真実を大いに誇張して、人々が感激し、感涙にむせぶような記事にしなければならないわけで、そこで軍国美談のねつ造ということに行き着いてしまったのである。
肉弾三勇士の話も、木口小平の話も、読者を喜ばせるために過剰に誇張が加えられて報じられたわけで、そこで英雄がねつ造されるということになったのである。
戦争を報道するメデイアについてよくよく考えねばならないことは、百人切りの話だとか、大江健三郎の「沖縄ノート」などにある、事実の歪曲であって、それこそ戦意高揚のために、あるいは平和を愛するという美名のもとに、事実を針小棒大に報じて、その拡大された虚報が事実として定着してしまうことである。
私が不思議でならなことは、あの時代の我々の同胞は、死に対して如何にも安易に考えていた節があるが、あれは一体どういう事なのであろう。
サイパンでも沖縄でも民間人が安易に自決しているが、軍人や兵隊が徹底抗戦で結果的に死に至るというのならばまだ理解できるが、民間人が敵と目の前で対峙しても死ぬことはないと思う。
サハリンの電話交換手の自決も、民間人でありながらロシア兵からの辱めの前に命を絶つという心境も判らないではないが、それにしても命を粗末にし過ぎのような気がしてならない。
基本的には命の値打ちが低かったから、特攻隊という死に方に至ったように思われる。
そもそも日本の軍の高級将校にとってみれば、下士官とか兵というのは一銭五里のハガキで集められる消耗品でしかないわけで、自分たちの同胞という感覚は無かったに違いない。
日露戦争の時の乃木希介には、203高地の攻略で下士官を大勢死なして申し訳ないという意識があったが、第2次世界大戦時の高級将校には、そういう意識はあまり無かったように思う。
我々の日本民族は、為政者や統治者にたいして極めて従順な民族で、上から命令には極力素直に従う性癖があるようで、先に述べた英語の適性語にしても素直に従っているが、これは我々の価値観として、「素直に従うことが善き事」という刷り込みが根強く社会に浸透しているからだと思う。
そうでなければ社会は円滑に回らないわけで、その部分はそれでいいが、問題はそれから逸脱した振る舞い、あるいは個人に対してどういう対応をするかという点である。
法に抵触するような逸脱行為ならば法に則って処罰すればいいが、それほど極端ではなく軽便な場合は、周囲の同胞のパッシングを受けることになって、これが我々の行動を大きく抑制するパワ-になっている。
他人が自分のことをどう思っているか、という思いが自己の行動を大きく規制している。
問題とすべきは、自己以外の他人の忠誠心なわけで、例えば適性語の英語を使うと、隣の人が警察に密告するが、この密告する人は隣人を貶める為というよりも、祖国を愛するために国の指針に忠実であろうとする善意として、結果的に隣人を官憲に売るということになる。
戦時中に知識人や文化人が沈黙を通したというのは、こういう我々同胞の性癖を知っていたので、自分が時流に掉さすような言動をすれば、家族や親せき縁者に迷惑がかかることを恐れて、「見ざる聞かざる言わざる」に徹したのであろう。
考えなければならないことは、国家に貢献する、自分の国を愛するという美名のもとに、他人の立ち居振る舞いを批判し糾弾する行為である。
こういう他人の自己への干渉が恐ろしくて、本音を隠さねばならなかったわけで、人々が自分の本音を封殺されたから、軍国主義に抗えなかったに違いない。
しかし、昔の大日本帝国には陸軍には陸軍大学があり、海軍には海軍大学があって、それぞれに戦争について如何に勝つべきか、勝つための最良の方策は、最も経費の掛からない勝ち方は、などなど勝つことを前提に研究がなされていたと思うが、それが結果として敗北ということは、そこで行われていた教育とは一体何であったのであろう。
戦後の歴史への検証でも、この陸軍大学、海軍大学の教育内容を考察する言及は見当たらないような気がしてならない。


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1 コメント

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新幹線男。 (電車男。)
2013-01-08 00:58:17
寧ろ平和を推薦するよ。

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