ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「命がけの夢に生きた日本人」

2008-03-07 13:00:34 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「命がけの夢に生きた日本人」という本を読んだ。
著者は黄文雄氏である。台湾の人のようだ。
この人、日本人以上に大和魂を持った人で、日本の過去の功績を日本人以上に褒め称えてくれるので、この人の著作を読むと、尻がムズムズとこそばゆくなるぐらい快感を覚える。
ある種の誉め殺しではないか、と思えるほど日本人を持ち上げてくれる。
我々戦後の日本人は、あの戦争でアジアに迷惑をかけた、侵略戦争でアジアの人々に多大な迷惑をかけた、と思いこんで意気消沈している我々に大きな勇気を与えてくれる。
台湾の人々は我が同胞の後ろ向きの思考を否定し、決してそういう風には考えず、我々を大いに応援してくれている。
無理もない話で、1945年、昭和20年の日本の敗北で、台湾も日本の統治から中国、正確には戦勝国の一員としての中華民国の支配下に移ったが、そのときの中国の支配があまりにも愚劣だったが故に、逆に日本統治の有難味が彼らの実感として浮上したものと想像する。
このときの中国の支配というのが、本土で中国共産党の内戦で追われた蒋介石が引き連れてきた国民党軍の統治で、それがあまりにも杜撰というか、稚拙であったので、逆に日本の統治が光彩を放ったに違いない。
蒋介石、あるいは国民党の統治そのものが中国の政治の歴史的伝統を引き継いでいたわけで、それをその時代に体験した台湾の人々は、その両者の相違を比較検討することができた。
結論として、日本の統治はよかったが、中国人の支配はどうにも困ったものだ、ということに達したわけだ。
黄文雄氏と同じ論旨を展開する人に金美麗女史がいるが、この人たちは台湾人という立場から日本統治と中国の統治を目の当たりに見ているわけで、いわばその両方を冷静な視点で見た結果として、日本のしたことが優れており、中国のすることは我慢ならないと結論つけているのである。
そのことは、複眼としての視点で日中の政治を比べると、中国人の政治は稚拙で、日本の統治が如何に合理的で、なおかつ台湾人のために益するところが多かったかだったか、ということを身をもって体験したわけである。
同時に、台湾にきた蒋介石の国民党の治世を通して、中国本土の統治手法をつぶさに観察することで、中国本土の政治を推し量る裁量にもつながったのである。
日本の台湾支配は約50年、朝鮮支配は彼らのいう日帝36年である。
台湾の方が日本統治の期間が長かったにもかかわらず、台湾では日本統治を糾弾する風潮が少なく、朝鮮の方が期間が短かったにもかかわらず、その短い方が反日になるということの本質は、民族のアイデンテイテイーの相違と見なすほかない。
つまり朝鮮の人々は政治的にきわめて自堕落で、独立自尊の精神が乏しく、事大主義に陥りやすく、常に他からの庇護の元でなければ生きておれないということである。
現に今に至っても統一ができていないではないか。
独立自尊の精神がない、民族自決の気持ちがない、ということの歴然とした証拠で、彼らの有史以来の姿ではないか。
彼らの生き様は日暮れ腹減りで、日銭さえ入れば後は野となれ山となれで、同胞同士で団結して人類のために何かで貢献しようという発想は根本から抜けて落ちていると言うことだ。
日本の敗戦後の台湾には、中国から押しかけてきた人々が大勢いるものだから、そういう体制の手前、表だっては敗戦国としての日本を擁護することができないが、内心では日本に対する感謝の気持ちを内包しているということである。
いわば、第2次世界大戦後の台湾は中国に占領されたようなもので、言葉を換えれば中国の侵略にあっているということに他ならない。
黄文雄に言われるまでもなく、あの戦争、我々の側の言葉でいえば大東亜戦争、戦後の民主教育では太平洋戦争、世界的な言葉でいえば第2次世界大戦は、明らかにアジアの解放戦争であった。
それは我々の側の戦争目的でもあったわけで、戦争そのものは確かに我々の側の敗北で終わったが、その結果としては立派に我々の側の戦争目的を実現したことになる。
あの戦争を肯定するわけではないが、もしあの戦争がなければ、今日においてもアジアは西洋列強、つまり白人による植民地支配の状況が継続していたかもしれない。
アジアの人々は、中国、朝鮮をのぞけば日本のアジア解放の功績を素直に認めているわけで、中国人と朝鮮人のみがそれを否定し続けているにすぎない。
そのことを黄文雄や金美麗が素直な気持ちで言い表しているが、日本人の知識階層がそれに棹さすような認識でいるものだから実に困ったことだ。
中国人や朝鮮人の言い分というのは、きわめて政治的な要因を内包しているわけで、彼らは自国民に向かって、国論を自分に有利な方向に向かわせるためにスケープゴートとして日本を糾弾するポーズをとっているのである。
例えば、韓国の統治者が韓国民に向かって「日本と仲良くしましょう」と言えば、再び日本の下に自分たちを位置づける印象を与えてしまうので、反日、排日、嫌日のポーズをとらざるを得ないのである。
日本が彼らよりも一馬身前に出て、彼らの国はその後を追っかけている、という現実を認めるということになり、だからこそ、よけいに日本と仲良くするという言質は与えられないのである。
中国でも全く同じなわけで、日中友好のポーズでは中国国民を一枚岩にまとめきれないので、日本を悪玉に仕立てて、それに憎悪を向かわせなることによって中国国民のガス抜きをしているのである。
そうしなければ、自分たちの足下を掬われるから、声を大にして侮日、反日、嫌日のポーズをし続けなければならないのである。
問題は、それを真に受ける我々の同胞の側にある。
我が方の同胞は、日本がアジアで悪いことをしてきたので、相手様に対して申し訳ないという贖罪の気持ちに満ちているので、相手のいうことは正しくけっして間違ってはいないし、過ちを認めることは勇気ある行為だいう浪花節的な義侠心で我が方の非をあげつらっているのである。
ということは、こういう我々の同胞は、自分たちの歴史も知らなければ、相手に対してもきわめて不勉強で、結局のところ盲人が像を撫でて、尻尾に触ったものがその感触で相手の全体像をイメージしているようなものである。
相手のことを知らずに、また自分自身の歴史も知らずに、相手のいうことを真に受けるという行為は、絵に描いた様な愚昧なことなわけで、まさしく正真正銘の思いこみにすぎない。
相手の言ったことをまともに検証もせずに、自分たちが悪いことをした、悪いことをした以上謙虚に謝罪しなければならない、というきわめてきれい事でことをなそうとする浅薄な思考である。
相手を知り己を知るという外交の基本を放り出して、自分たちの思いこみで善隣外交を夢見ているわけで、こういう無知こそ再び日本を奈落の底に落とす危険がある。
あの戦争に関する限り、アジアの解放という意味では、負けたとはいえそれなりの成果はあったが、我々の側の犠牲の大きさを考えればそうとも言っておれないわけで、ならばそういう犠牲を払わずに、つまり日本人の将兵あるいは銃後の人々の犠牲を生むことなくアジアの開放が叶ったかといえば、それもあり得ない話だろうと思う。
あの戦争は今考えるとキリスト教文化圏と日本に代表されるアジア系文化圏の決闘であったに違いない。
西洋列強の白人と、日本という黄色人種の中の一族との雌雄を決する一大闘争であったに違いない。
アジアの開放という大命題を中国が認識しておれば、中国は連合軍に与することなく、連盟の側に身を寄せるべきであったが、中国の人民にはそういう世界に貢献するという意識は爪の垢ほどもなかったと言うことである。
あの戦争の日本側の目的はアジアの開放であったが、戦争を遂行した当事者の中には、日本の国益を旗印にして戦った同胞、日本軍の将兵のいたことも明らかなる事実である。
大儀の本質を見失って、私利私欲とまではいわなくとも、目先の利益を優先するという狭量なケースもあったことは素直に反省しなければならない。
ただ日本を取り巻くあらゆる外交問題の根元は中国問題である。
戦前、戦中、戦後と日本の歴史の中では中国、支邦の問題が大きなアキレス腱となっていることはいつの時代にも、あるいはこれからの未来、将来にも大きな関わりを持ち続けるに違いない。
なんといっても一衣帯水の関係にあるわけで、日本がおかれている地球上の地勢的な位置から考えても、日本と中国は切っても切れない関係が今後も続くと考えなければならない。
その中国に朝鮮というものがコブのようにくっついているわけで、朝鮮にしてみれば、常に中国の意向を伺い見なければ、自らの生存が危ぶまれるわけで、それが過去の歴史でありこれからもそうであろう。
その一方、我々の祖国日本というのは、こういうものから海を隔てた位置にある分、行動の自由があるわけで、「葦の随から天を覗く」ような無知も、無知のまま通ってきたということがある。
我々は、文明開化で近代化に成功してみると、己の無知に大いに覚醒したわけであるが、その近代化の過程で、西洋列強の先進的な文物の導入には積極的であったが、西洋列強の精神、つまりキリスト教徒的な精神文化のみは導入しなかった。
この頃までの西洋列強のキリスト教的な精神文化というのは、帝国主義的な植民地支配というもので、これだけは我々は真似をしなかった。
我々には元々「和」の精神があったわけで、特にアジアにおいては同じ黄色人種ということでもって、彼らを搾取するという発想はもっていなかった。
アジアが帝国主義諸国の富の草刈り場などという思考は持っていなかった。
アジアに進出してきた西洋人、イギリス人、フランス人、オランダ人、アメリカ人等々の人々は、黄色人種を最初から人間と見なしていなかったわけで、それに引き替え我々はあくまでもアジア人の解放、黄色人種の福祉向上、民族の自主独立を思い描いていたわけであるが、我々の同胞の中にはそれを真に理解せず、欲に走った人間も少なからず居たことも事実として認めなければならない。
西洋列強の中で、植民地の非圧迫民族に対して福利厚生をしたところはないわけで、日本だけが実行支配した非圧迫民族に対して社会的な基盤整備をしたのである。
このことは我々がアジアの人々から富を収奪するのではなく、あくまでも人間同士として同じレベルに生活水準を引き上げることを目指した証拠だと思う。
戦後、日本の支配した地域に対する損得勘定をしたら、日本の持ち出し部分が多かったという話があるが、ただでさえ乏しい当時の日本が、台湾や朝鮮に莫大な投資をしたことをどう考えるたらいいのであろ。
日本内地よりも先に台湾と朝鮮に帝国大学を作った事実をもってしても、それは裏つけられていると思う。
しかるに、中国と朝鮮は、何故にそういう事実を無視して日本を糾弾し続けるのか、ということになるが、それは彼らの国内向けのポーズだということは先に述べたが、それになぜ我が同胞の知識階層が同調するのかということである。
戦後の日本の知識階層は、その知識でもって相手の論旨を撃破、あるいは論破する方向に作用すれば、普通の主権国家の国民として当然のことであるが、それが相手の言い分に日本国内で同調するということは一体どういうことなのであろう。
確かに知識階層から政治家というものを眺めれば、政治家の幼さ、幼稚さ、愚昧な発言、行為に愛想を尽かしたくなるというのは本音であり、鼻持ちならないことではあろうが、戦後の日本の政治家というのは、国民から選ばれた立場にあるわけで、その意味では知識階層よりもよほど責任が重いはずである。
国民から政治を依嘱された野党の政治家が、何故に同胞の先輩諸氏を誹謗中傷する相手側の言い分に耳を貸そうとするのであろう。
今は死語になっているが、昔は売国奴という言葉があって、まさしくその言葉がもっともその実情を表現しているのではなかろうか。
国を売ってもそのことで直ちに牢屋に放り込まれることもなく、言論の自由が保障されているので、口で言っている分には何を言っても許されるわけだから、相手の国益に貢献することも白昼堂々と行えるわけである。
それでも生きておれる我々の国はまさしくユートピアそのものだと思う。