例によって図書館から借りてきた本で、「『ヨーロッパ合衆国』の正体」という本を読んだ。
アメリカ、ワシントン・ポスト紙のロンドン支局長という著者がアメリカ人の立場でEUを眺めた感想というか考察を記述したものであるが、実に読みでのある重厚な内容であった。
ヨーロッパ合衆国というのは言葉のアヤで、実際にはEUのことであるが、EUの理念としてはあくまでもヨーロッパ合衆国にあるものと想像する。
まだまだ合衆国になるまでには数多くのハードルを越えなければならないであろうが、EUの理念としてはあくまでもそこ、つまり合衆国にあるように見受けられる。
ヨーロッパの歴史というのも、煎じ詰めれば殺戮の歴史であったわけで、殺戮の理由に宗教があったり、領土問題があったり、富の収奪があったりと、理由はさまざまであるが、殺し殺される歴史というのは連綿と続いていたわけである。
それはある意味で人類の歴史でもあるわけで、地球上に生まれた人類、人間という生き物の間では、普遍的なことではなかったかと思う。
ヨーロッパのみならず地球上の至るところで普通に行われてきたことだと思う。
問題は、死というものを忌み嫌う感情がいつ頃派生したかということだ。
生きた人間を死に至らしめることが罪深い行為だ、と認識するようになったのは何時の頃だろう。
こういう認識が芽生えたからこそ、人殺しよりも平和を大事にしなければならない、という思考が芽生えたのではなかろうか。
この平和を願う思考も太古からあったものと思うが、戦争と平和の比重の違い、価値観の相違ではなかったかと想像する。
それまでの人間にとって、死はあくまでも自然現象であって、忌み嫌ったり、延命したり、回避を願う対象ではなかったのではなかろうか。
ヨーロッパの人々が人間の死を悼み、哀れみ、避けねば、と思うようになったのは、度重なる戦争を経験したからであろうと想像する。
時代が進むにつれて、その殺し合いの現場の状況が銃後の人々にも伝わるようになり、また殺し合いに出た人が負傷して帰ってくるという状況になると、人々は戦争のむなしさを大いに感じ取るようになったに違いない。
そして悟ったものと想像する。
もうこういう意味のない殺し合いはしてはならない。
そのためにはどうしたらいいのだろうか?と考えたに違いない。
その意味で、ヨーロッパがそれに自ら気がついたという点ではやはり先進国であった。
第2次世界大戦後の日本も、あの戦争の反省として不戦の誓いは十分にしているが、それはある意味でお釈迦様の手のひらで騒ぎまくっている孫悟空のような存在で、他への影響力というのは無に等しい。
その前の時代に航海術を開拓し、それによって帝国主義的な植民地経営をすればそれぞれの国が豊かになる、黄色人種を足蹴にして、アジアを富の草刈り場にすればヨーロッパは豊かな生活ができる、と気がついたのもやはりヨーロッパの先進的な思考の結果であった。
アジアの人々は、第2次世界大戦後、民族の独立は勝ち得ても、お互いに協調しあって、国境の壁を低くしようという発想には至っていない。
むしろ民族独立という壁を作ることによって、自分たちの自尊自衛を誇っているうちはヨーロッパに半世紀以上遅れているということでもある。
で、ヨーロッパでは第2次世界大戦で勝者も敗者も共に完全に打ちのめされ、実質廃墟と化してしまったわけで、そこにはそれまでの歴史でいうところの殺し合いの成果としての勝者と敗者という立場の違いは存在していなかった。
そういう状況に対して、一人勝ちのアメリカは勝者にも敗者にも惜しみなく援助をしたが、アメリカが困窮した国に惜しみなく援助をするというのは、共産主義の浸透を防ぎたいという下心が見え隠れしないでもない。
ところが、如何なる下心があろうとも、困窮した国としてはまずは生きねばならないわけで、アメリカの援助を受けざるをえない。
EUの萌芽としては1951年の欧州石炭鉄鋼共同体というものの設立だろうと思う。
これは第2次世界大戦を敵味方と別れて戦ったドイツとフランスが、石炭と鉄鋼の取引の障碍を取り払らおうというもので、戦後復興の要の部分で合意に至ったということである。
仇敵同士が、戦後復興という同一目的のために、恩讐を乗り越えて始めて手を携えたということで歴史的なことだと思う。
石炭と鉄鋼という産業の基幹部分で、お互いの仇敵同士が過去の怨念を払いのけて同意に至るということは、先進国が先進国といわれる大きな理由だと思う。その心が素晴らしい。
過去の怨念を将来の発展のために放棄するということは、その精神の気高さ、心の寛容さを余すところなく表していると思う。
日本の周りでこういうことが考えられるであろうか。
日本は数限りなく謝罪しているのに、それでもなお難癖をつける後進性をどう考えたらいいのであろう。
それでヨーロッパでは石炭と鉄鋼で協調体制がとられると、それが双方にとってきわめて便利かつ有用であったので、その後経済のあらゆる場面で同じような協調体制を望むようになり、それが1957年の欧州経済共同体EECとなってヨーロッパ連合の元となったわけである。
ヨーロッパの実情を考えれば、こうなることは必然的な流れでもあったろうと思う。
18世紀、19世までのように人の移動が馬車や帆船に頼っている時代ならば、国境での煩わしい手続きもさほど苦にはならなかったろうが、現代の発達した交通手段を利用するとすれば、国境の検問というのは煩わしさの極限で、そんなものをとり払いたいという願望も当然出てくるに違いない。
そういう人々の願望を、素直に、あるいはストレートに受け取るということは我々アジア人からみてきわめて先進的だと思う。
人々の共通の利益ならば、仇敵同士という古い感情を投げ捨ててまで前に進むという、あるいはお互いに楽をしようという思考がきわめて先進的な考え方だと思う。
我々の場合でも、古きを捨てて新しいことに挑戦するということはあるが、ここで我々の民族の得意とする「和をもって尊しとする」の精神が浮上して、新しいことへの挑戦に棹さしてしまう。
我々の場合、新しいことをしようとすれば、民意を得てからではできないわけで、民意を無視して開発独裁でなければ成り立たないという後進性がある。
新しいこと、新しいプロジェクトには賛否両論がつき回ることは洋の東西を問わないので、反対意見を如何に説得するかが民主主義のバロメーターであろうが、我々の場合ここで説得ということが成り立たない。
旧社会党の土井たか子女史の言い分ではないが、「駄目なものは駄目」では議論を放棄したに等しく、議論をする気さえ見いだせないではないか。
EUが誕生するまでにはヨーロッパの中でも様々な意見が飛び交ったに違いない。
だからこそその設立までに50年という年月が費やされたわけで、一朝一夕でできたものではないが、一つの理念を実現するために、半世紀の年月を費やしてもそれを実現させるということは、やはりヨーロッパが先進国ということの見事な証明だろうと思う。
ヨーロッパの様々な民族が、国境の検問もなく、同一通貨で、どこに行くのも自由で、国境を意識することなく生きるということは、長年の夢ではなかったかと思う。
その夢を実現させたという意味では確かに先進国たるゆえんだろうと思う。
アジアでもヨーロッパでもその他の地域でも、太古から人々は殺し合って生きてきたという過去は似たり寄ったりだろうと思うが、その同じような経験を通して、アジアや他の地域よりも一歩先んじて域内の平和を確立するということは彼らの英知というほかないと思う。
この彼らの英知がどこに起因しているのか、何に起因しているのかと考えると、それはやはり民主主義の浸透ではないかと思う。
つまり下からのボトムアップの民主主義ではないかと思う。
ヨーロッパでは福祉の向上がめざましいと言われているが、福祉というのは上から下に授け与えるものだと思う。
ということは、彼らの政府そのものが、下からのボトムアップで、下々のものの利益を代弁するものが彼らの政府であって、民意を代弁する政府が上から下に福祉をばらまくというのが彼らの信奉する民主主義ではないかと思う。
下からのボトムアップの民主主義というのは、彼らが長年にわたって殺し合いを重ねることで、そのむなしさを悟った結果として、上から下のものを統治する政府を嫌って、下からのボトムアップで、下のものの利益を代弁する政府を作ったということではないかと思う。
だから、自分たちの選出した政府のすることならば、個人的な損得勘定の気持ちを抑えても妥協すべきところが妥協しなければならない、という思考に落ち着くのではなかろうか。
ところが我々を含めてアジア人の思考では、下からのボトムアップの政府でも、政府のトップになってしまうと自分がボトムアップで政権を任されているんだということを忘れがちで、国民の方も自分たちが選出したということを忘れてしまって、仇敵が政府を乗っ取ってしまったかのような言い分になる。
自分たちが選出した自分たちの政府を敵と見なしている。
日本の野党には特にこういう傾向がある。
双方共に民主主義の本質が判っていないわけで、政治を個人の利益に直結させてしまう。
好き嫌いという個人的な感情で推し量ろうとするし、私利私欲が公共の福祉の前に埋没してしまって、自分さえよければという思考になってしまっている。
福祉に関していえば、我々の国民感情としては福祉制度を徹底的に利用しなければ損だ、という気持ちになりがちで、病院が無料になれば、たいした病気でもないのに病院に行き、山ほど薬をもらって喜ぶというように、できうる限り政府の授けてくれる恩典に浴そうと考える。
これは制度の欠陥でもあり、同時に医者も患者もモラルが低下しているわけで、それを全部ひっくるめて民主化の度合いが低いということになる。
福祉の制度をできるだけ独占しようと画策し、自分さえよければ他の人はどうでも好い、と言わんばかりのことをし、福祉を食い物にするが、福祉はただではないわけで、それを行うには原資がいるが、そちらの方は一銭でも節約しようと思考を巡らす。
密度の濃い福祉をしようとすれば、原資の確保も大事なことで、負担する方は極力節約に心がけ、得る方は最大限得ようとするわけで、国民の一人一人がこういう考え方では先ゆき破綻することは当然ではないか。
結局、天に向かってつばを吐くようなものであるが、そのつばが自分に降りかかってくると、他者に責任を押しつけるのである。
「福祉制度を維持するために一生懸命納税をしましょう、保険料を払いましょう」という声はどこからも出てこないではないか。
それでいて取りたいものは目一杯獲得したいわけで、これで民主的な人々といえるであろうか。
如何なる政党、あるいは国民も、減税には大賛成であるが、増税には大反対なわけで、これは現代に生きる社会人ならば当然のことであるが、当然が当然であれば高度な福祉ができないのも当然なわけで、高度な福祉を望むならば、当然なことをどこかで断ち切って、皆が公平に負担を背負わなければならないはずである。こんな当たり前のことは皆が判っているに違いないが、それでも自分だけはこの当たり前のことから免れたいという心理が、これも皆に同じように浸透しているのである。
当たり前のことを、自分だけ免れたいと思っているから、民主主義が民主主義たり得ていないわけで、他人には民主主義を説くが自分は個人主義のままでいたいのである。
この部分にアジアの後進性がある。
アメリカ、ワシントン・ポスト紙のロンドン支局長という著者がアメリカ人の立場でEUを眺めた感想というか考察を記述したものであるが、実に読みでのある重厚な内容であった。
ヨーロッパ合衆国というのは言葉のアヤで、実際にはEUのことであるが、EUの理念としてはあくまでもヨーロッパ合衆国にあるものと想像する。
まだまだ合衆国になるまでには数多くのハードルを越えなければならないであろうが、EUの理念としてはあくまでもそこ、つまり合衆国にあるように見受けられる。
ヨーロッパの歴史というのも、煎じ詰めれば殺戮の歴史であったわけで、殺戮の理由に宗教があったり、領土問題があったり、富の収奪があったりと、理由はさまざまであるが、殺し殺される歴史というのは連綿と続いていたわけである。
それはある意味で人類の歴史でもあるわけで、地球上に生まれた人類、人間という生き物の間では、普遍的なことではなかったかと思う。
ヨーロッパのみならず地球上の至るところで普通に行われてきたことだと思う。
問題は、死というものを忌み嫌う感情がいつ頃派生したかということだ。
生きた人間を死に至らしめることが罪深い行為だ、と認識するようになったのは何時の頃だろう。
こういう認識が芽生えたからこそ、人殺しよりも平和を大事にしなければならない、という思考が芽生えたのではなかろうか。
この平和を願う思考も太古からあったものと思うが、戦争と平和の比重の違い、価値観の相違ではなかったかと想像する。
それまでの人間にとって、死はあくまでも自然現象であって、忌み嫌ったり、延命したり、回避を願う対象ではなかったのではなかろうか。
ヨーロッパの人々が人間の死を悼み、哀れみ、避けねば、と思うようになったのは、度重なる戦争を経験したからであろうと想像する。
時代が進むにつれて、その殺し合いの現場の状況が銃後の人々にも伝わるようになり、また殺し合いに出た人が負傷して帰ってくるという状況になると、人々は戦争のむなしさを大いに感じ取るようになったに違いない。
そして悟ったものと想像する。
もうこういう意味のない殺し合いはしてはならない。
そのためにはどうしたらいいのだろうか?と考えたに違いない。
その意味で、ヨーロッパがそれに自ら気がついたという点ではやはり先進国であった。
第2次世界大戦後の日本も、あの戦争の反省として不戦の誓いは十分にしているが、それはある意味でお釈迦様の手のひらで騒ぎまくっている孫悟空のような存在で、他への影響力というのは無に等しい。
その前の時代に航海術を開拓し、それによって帝国主義的な植民地経営をすればそれぞれの国が豊かになる、黄色人種を足蹴にして、アジアを富の草刈り場にすればヨーロッパは豊かな生活ができる、と気がついたのもやはりヨーロッパの先進的な思考の結果であった。
アジアの人々は、第2次世界大戦後、民族の独立は勝ち得ても、お互いに協調しあって、国境の壁を低くしようという発想には至っていない。
むしろ民族独立という壁を作ることによって、自分たちの自尊自衛を誇っているうちはヨーロッパに半世紀以上遅れているということでもある。
で、ヨーロッパでは第2次世界大戦で勝者も敗者も共に完全に打ちのめされ、実質廃墟と化してしまったわけで、そこにはそれまでの歴史でいうところの殺し合いの成果としての勝者と敗者という立場の違いは存在していなかった。
そういう状況に対して、一人勝ちのアメリカは勝者にも敗者にも惜しみなく援助をしたが、アメリカが困窮した国に惜しみなく援助をするというのは、共産主義の浸透を防ぎたいという下心が見え隠れしないでもない。
ところが、如何なる下心があろうとも、困窮した国としてはまずは生きねばならないわけで、アメリカの援助を受けざるをえない。
EUの萌芽としては1951年の欧州石炭鉄鋼共同体というものの設立だろうと思う。
これは第2次世界大戦を敵味方と別れて戦ったドイツとフランスが、石炭と鉄鋼の取引の障碍を取り払らおうというもので、戦後復興の要の部分で合意に至ったということである。
仇敵同士が、戦後復興という同一目的のために、恩讐を乗り越えて始めて手を携えたということで歴史的なことだと思う。
石炭と鉄鋼という産業の基幹部分で、お互いの仇敵同士が過去の怨念を払いのけて同意に至るということは、先進国が先進国といわれる大きな理由だと思う。その心が素晴らしい。
過去の怨念を将来の発展のために放棄するということは、その精神の気高さ、心の寛容さを余すところなく表していると思う。
日本の周りでこういうことが考えられるであろうか。
日本は数限りなく謝罪しているのに、それでもなお難癖をつける後進性をどう考えたらいいのであろう。
それでヨーロッパでは石炭と鉄鋼で協調体制がとられると、それが双方にとってきわめて便利かつ有用であったので、その後経済のあらゆる場面で同じような協調体制を望むようになり、それが1957年の欧州経済共同体EECとなってヨーロッパ連合の元となったわけである。
ヨーロッパの実情を考えれば、こうなることは必然的な流れでもあったろうと思う。
18世紀、19世までのように人の移動が馬車や帆船に頼っている時代ならば、国境での煩わしい手続きもさほど苦にはならなかったろうが、現代の発達した交通手段を利用するとすれば、国境の検問というのは煩わしさの極限で、そんなものをとり払いたいという願望も当然出てくるに違いない。
そういう人々の願望を、素直に、あるいはストレートに受け取るということは我々アジア人からみてきわめて先進的だと思う。
人々の共通の利益ならば、仇敵同士という古い感情を投げ捨ててまで前に進むという、あるいはお互いに楽をしようという思考がきわめて先進的な考え方だと思う。
我々の場合でも、古きを捨てて新しいことに挑戦するということはあるが、ここで我々の民族の得意とする「和をもって尊しとする」の精神が浮上して、新しいことへの挑戦に棹さしてしまう。
我々の場合、新しいことをしようとすれば、民意を得てからではできないわけで、民意を無視して開発独裁でなければ成り立たないという後進性がある。
新しいこと、新しいプロジェクトには賛否両論がつき回ることは洋の東西を問わないので、反対意見を如何に説得するかが民主主義のバロメーターであろうが、我々の場合ここで説得ということが成り立たない。
旧社会党の土井たか子女史の言い分ではないが、「駄目なものは駄目」では議論を放棄したに等しく、議論をする気さえ見いだせないではないか。
EUが誕生するまでにはヨーロッパの中でも様々な意見が飛び交ったに違いない。
だからこそその設立までに50年という年月が費やされたわけで、一朝一夕でできたものではないが、一つの理念を実現するために、半世紀の年月を費やしてもそれを実現させるということは、やはりヨーロッパが先進国ということの見事な証明だろうと思う。
ヨーロッパの様々な民族が、国境の検問もなく、同一通貨で、どこに行くのも自由で、国境を意識することなく生きるということは、長年の夢ではなかったかと思う。
その夢を実現させたという意味では確かに先進国たるゆえんだろうと思う。
アジアでもヨーロッパでもその他の地域でも、太古から人々は殺し合って生きてきたという過去は似たり寄ったりだろうと思うが、その同じような経験を通して、アジアや他の地域よりも一歩先んじて域内の平和を確立するということは彼らの英知というほかないと思う。
この彼らの英知がどこに起因しているのか、何に起因しているのかと考えると、それはやはり民主主義の浸透ではないかと思う。
つまり下からのボトムアップの民主主義ではないかと思う。
ヨーロッパでは福祉の向上がめざましいと言われているが、福祉というのは上から下に授け与えるものだと思う。
ということは、彼らの政府そのものが、下からのボトムアップで、下々のものの利益を代弁するものが彼らの政府であって、民意を代弁する政府が上から下に福祉をばらまくというのが彼らの信奉する民主主義ではないかと思う。
下からのボトムアップの民主主義というのは、彼らが長年にわたって殺し合いを重ねることで、そのむなしさを悟った結果として、上から下のものを統治する政府を嫌って、下からのボトムアップで、下のものの利益を代弁する政府を作ったということではないかと思う。
だから、自分たちの選出した政府のすることならば、個人的な損得勘定の気持ちを抑えても妥協すべきところが妥協しなければならない、という思考に落ち着くのではなかろうか。
ところが我々を含めてアジア人の思考では、下からのボトムアップの政府でも、政府のトップになってしまうと自分がボトムアップで政権を任されているんだということを忘れがちで、国民の方も自分たちが選出したということを忘れてしまって、仇敵が政府を乗っ取ってしまったかのような言い分になる。
自分たちが選出した自分たちの政府を敵と見なしている。
日本の野党には特にこういう傾向がある。
双方共に民主主義の本質が判っていないわけで、政治を個人の利益に直結させてしまう。
好き嫌いという個人的な感情で推し量ろうとするし、私利私欲が公共の福祉の前に埋没してしまって、自分さえよければという思考になってしまっている。
福祉に関していえば、我々の国民感情としては福祉制度を徹底的に利用しなければ損だ、という気持ちになりがちで、病院が無料になれば、たいした病気でもないのに病院に行き、山ほど薬をもらって喜ぶというように、できうる限り政府の授けてくれる恩典に浴そうと考える。
これは制度の欠陥でもあり、同時に医者も患者もモラルが低下しているわけで、それを全部ひっくるめて民主化の度合いが低いということになる。
福祉の制度をできるだけ独占しようと画策し、自分さえよければ他の人はどうでも好い、と言わんばかりのことをし、福祉を食い物にするが、福祉はただではないわけで、それを行うには原資がいるが、そちらの方は一銭でも節約しようと思考を巡らす。
密度の濃い福祉をしようとすれば、原資の確保も大事なことで、負担する方は極力節約に心がけ、得る方は最大限得ようとするわけで、国民の一人一人がこういう考え方では先ゆき破綻することは当然ではないか。
結局、天に向かってつばを吐くようなものであるが、そのつばが自分に降りかかってくると、他者に責任を押しつけるのである。
「福祉制度を維持するために一生懸命納税をしましょう、保険料を払いましょう」という声はどこからも出てこないではないか。
それでいて取りたいものは目一杯獲得したいわけで、これで民主的な人々といえるであろうか。
如何なる政党、あるいは国民も、減税には大賛成であるが、増税には大反対なわけで、これは現代に生きる社会人ならば当然のことであるが、当然が当然であれば高度な福祉ができないのも当然なわけで、高度な福祉を望むならば、当然なことをどこかで断ち切って、皆が公平に負担を背負わなければならないはずである。こんな当たり前のことは皆が判っているに違いないが、それでも自分だけはこの当たり前のことから免れたいという心理が、これも皆に同じように浸透しているのである。
当たり前のことを、自分だけ免れたいと思っているから、民主主義が民主主義たり得ていないわけで、他人には民主主義を説くが自分は個人主義のままでいたいのである。
この部分にアジアの後進性がある。