例によって図書館から借りてきた本で、『赤紙と徴兵』という本を読んだ。
サブタイトルには「105歳、最後の兵事係の証言から」となっている。
著者は吉田敏浩という人で相当に偏向した思考の持ち主のようだ。
戦後も既に67年を経過しているが、先の大戦のことを考えると、あの戦争で生き残った人々の気持ちのことを考えれば、反戦平和志向に至るのも無理ない話ではある。
しかし、この本における著者の態度は、淡々と事実を述べる態度で貫かれているが、それは聞き語りをした本人が、105歳という高齢で、インタビューに応じた時点ではまだ生きておられた所為かもしれない。
だが、戦争と平和という選択肢の前で、「戦争が好きだから鉄砲で相手をやっつけねばならない」と公言する人はいないと思う。
世界中の人が「戦争と平和のどちらが良いか」と問われたならば、「平和が良い」というに決まっている。
にもかかわらず人類は戦争を繰り返してきたわけで、この地球の歴史、人類の歴史は、戦争の歴史でもあったではないか。
この本の中でも述べられているが、あの戦争中の軍国主義は当時の我々同胞の草の根の軍国主義、草の根の戦争遂行運動、日本全国津々浦々に至るまでイケイケドンドンの雰囲気であったことは紛れもない事実である。
徴兵制度によって一家の中の一番の働き手を取られて悲嘆にくれる家族を「女々しい」と言ってバトウしたのはどこのどいつだ。
そういう家族に向かって「非国民」とバトウしたのはどこの誰だ。
皆、我々同胞であり、向こう三軒両隣の同胞であったではないか。
この本に書かれている舞台は、滋賀県の大郷村という小さなコミニテイーの中での出来事であって、完全に農村の運命共同体として村人たちがお互いに助け合って生きねばならない集落であったので、そういう極端な事例は述べられていないが、一家の内で何人も徴兵で兵隊にとられるという現実は、正視に耐えない状況であったことは察して余りある。
そういう小さな村で兵事係りとして奉職していた人の回顧談であるが、この話から察するに、あの戦争中の日本の社会のシステムは、戦争遂行という目的のために実に緻密に練り上げられていたと言える。
この本の著者は、国が国民を徹底的に管理した在り様を改悟するニュアンスで捉えているが、国家の在り方としては、そういう国の在り方を非難中傷すべきことではないように思える。
しかし、いくら立派な統治システムでも、戦争に敗北するような指導では国家統治の意味がないわけで、その意味ではあの時代と言えども、国の舵取りは実にお粗末であったといえるが、それに反し行政の末端では実に健気に機能していたという事が言える。
こういう言い方をするとすぐに軍国主義者というレッテルを張って排除する思考が働くが、その部分が我々日本人の政治下手に繋がっているのである。
こういう要因があるから、働き手を徴兵に取られて我が身の不運を嘆いている人を、非国民と言ったり女々しいと言って、自己のフラストレーションのスケープゴートに仕立てて、溜飲を下げていたのである。
ここで描かれているように、滋賀県の大郷村の兵事係りの人が赤紙を配って歩いている状況は、統治のシステムが完全に機能していて、行政の持ち場立場がきちんと維持されているという事である。
ところが、問題とすべきは、国家の上の方の指導層というか、国家の舵取りをする部分の階層の思考であって、これが極めて不如意であったが故に、日本は奈落の底の転がり落ちたとみなさなければならない。
何故、昭和初期の時代の日本の政治家および軍人、軍部は、アジア大陸に進出するようになってしまったのかと考えると、やはりそこには貧乏からの脱出願望があったとみなさなければならない。
ところが、そこで当時の日本陸軍の軍人の考え方が大きく影響を及ぼしてくると思う。
当時、日本軍の構成員の大部分は農村の出身者であったと思われる。
江戸時代の身分制度において、武士階級は全体の10%ぐらいだと思う。
商人や職人という人もいるにはいたであろうが、その大部分は農村の出身者であって、農村の出身者でも皆が皆、水飲み百姓だとは限らないが、総じて貧乏な人が多かったと思う。
世の中が江戸時代のようにのんびりした時代ならば、分に応じた生活をしておれば他者と競い合う必要も無かろうが、世の中が近代化して、あの人もこの人も分限者として出世するようになると、自分もそうありたいと望むようになって、皆が貧乏からの脱出願望に陥るのである。
まさしく資本主義の原理そのままに競争原理が作用して、隣の芝生、隣の車を意識して、それを超えようという気持ちに動かされ、その一番手っとり早い手法が、より上の学校に進学して官吏になることであった。
そこで、もともとが裕福な人は普通の進学校に進めたが、家が貧乏なものは学費免除の学校に行かねばならず、それが軍人養成機関の職業訓練校としての海軍兵学校であったり、陸軍士官学校であったりしたわけだ。
日本が昭和の初期の時代に、奈落の底に転がり落ちる最大の理由は、こういう職業訓練校のOBたちが、官僚システムを占有してしまったところにあると思われる。
彼らが戦の専門家として戦の研究だけをしておれば、あの時代においても立派にシビリアン・コントロールは生きていたに違いないが、彼らが政界にしゃしゃり出てきて、防人としての分を超えてしまったので、泥沼に嵌ってしまったのである。
それは同時に、当時、昭和の初期という時代の政治家と知識人の堕落でもあったわけで、職業軍人が知性、教養に欠けていることは、彼らの学んだ学校の実態を見ればあきらかであったではないか。
戦争の敗北の責任者として、軍人・軍部を批判することは簡単であるが、そういう単細胞に国家の舵取りを押し付けたというか、席巻されてしまった当時の政治家、あるいは教養人、知識人の思考も、軍人や軍部以上に非難されてしかるべきだと思う。
ところがこの本が記している徴兵のシステムは実に緻密に出来ているわけで、これこそ国家の統治システムの見本のようなものと言っても差し支えない。
官僚が如何に緻密にシステムを構築したか、という事を顕著に表している。
国民、臣民は、完全に政府というか、国というか、行政サイドに自らの所在を掌握されていて、国家の危機にはそれから必要に応じて人選されて、必要な部署に配属されるようになっていたということだ。
私はこの本を読むまでまことに無知で、赤紙は無作為に配られていたと思っていたが、この本を読むと、個人の特質に合わせて選別されて本人に言い渡されたとなっている。
つまり軍の要求する職種にすぐにでも順応できるように、本人の適性や経験を加味して人選をして、抽出していたという事である。
これは実に大変なことで、あの時代に地方に住む人であろうとも、個人情報が完全に行政サイドが掌握していたということで、こういう事は今はコンピューターがあるので安易に行えるが、あの時代手書きの書類でそこまでやるという事は並大抵のことではない。
しかし、我々日本人の近現代史を見てみると、我々はモノ作りには実に長けているが、システムの運用とか政治の駆け引きという面では実に稚拙で、戦争に敗北するという事も、政治あるいは統治のシステムの運用が下手だったということになる。
近代国家として軍隊を持ち、その軍隊を形つくるシステムは完膚無きまでにできていたが、それを運用すべき軍の高級将校は実に無知蒙昧のならず者の集団に身をやつしていたということになる。
それをもう少し違った言い方をすれば、軍のトップが官僚主義に埋没して、誰のための官僚システムかという本旨を忘却したところにあると思う。
軍官僚が暴走しかけたとき、それを止めるべき立場であったのが、政治家と知識人であらねばならなかったが、こういう人たちが青年将校の跳ね上がった行動に萎縮してしまって、沈黙してしまったところに日本の崩落の危機が潜んでいたのである。
この状況下において人々の思考は軍国主義以外に選択の道がなかったが、ここで踏ん張るべきが政治家であり知識人であったが、彼らが沈黙してしまったので、それこそ日本全国津々浦々、軍国主義一色になってしまった。
これが戦後になると完全の国民の思考のベクトルは逆さまになって、平和主義一辺倒になる。
この振幅の広さをどう説明したらいいのであろう。
先の戦争の悲惨さがトラウマとなって、戦争を嫌悪する気持ちは十分察して余りあるが、こういうテーマに対して「人が言うからその大勢の言う事についていく」では、戦前の軍国主義の蔓延と同じ構図ではないか。
先の大戦も、当時の日本国民の大部分は、あの戦争を心の内では支持していたに違いないが、結果が敗北であったし、自分自身も塗炭の苦しみを味わったので、嫌悪の気持ちが先に立って、あれを肯定する気になれないのも当然である。
今、戦後67年を経て、考えねばならないことは、行政の末端では実に律儀にシステムを運用していたにもかかわらず、国家機構の上の方、つまり軍の組織の上の方に行くに従い、システムの運用に極めて無責任になってくるという現実である。
軍人、軍部が優秀であれば、個々の戦闘、個々の作戦、ひいては戦争全体として敗北という事はありえないではないか。
プロの軍人であれば、敗北とわかっている戦闘に自らの軍を差し向けるバカはいないはずであるが、あの昭和の初期の軍人・軍部は、随分こういう轍を踏んでいるわけで、この責任を国民全部で負うという事は、あまりにも理不尽だと思う。
終戦の時、戦争処理内閣として『一億総懺悔』という事を唱えたを東久邇宮成彦は、皇族の中のお坊ちゃま的な思考でこういう事を言われたと思うが、冗談ではない、一億の日本国民は、軍部あるいは軍官僚の政治外交下手の被害者なわけで、我々の側が懺悔することなど論外である。
こういうセンスが、日本の政治下手、外交下手の基底の部分にあるのではないかと思う。
3年前に政権交代して、自民党から民主党に政権が変わったけれども、その初代総理の鳩山由紀夫は、普天間の問題で馬脚を表しわずか一年余りで終わったけれども、これも我々日本人の政治感覚を見事に露わしにた現象と言える。
鳩山由紀夫という人物は、並み以上に教養知性を備えている筈なのに、あの状況下で普天間基地の移転が安易に行えると思う思考回路をどういう風に理解したらいいのであろう。
戦争中に日本陸軍の行った作戦にインパール作戦というのがあったが、計画の段階から実施するしないで意見が分かれており、結果として行ったところが散々の敗北で、兵力の浪費以外の何物でもなかったという例がある。
これと同じで、政権を得た喜びのあまり、実現の危ぶまれている問題にまで大判振る舞いのリップサービスをしたものだから、引っ込みがつかなくなってしまったという事になる。
こういう例を見ると、組織のトップは組織の機能を充分に理解して、下の者の意見や気持ちを聞くという度量が必要だと思う。
軍人養成機関としての職業訓練校は、ある意味で一般教養に対する比重の掛け方が違うわけで、そのあたりの機微を本人も、国民の側も、認識が浅いと思う。
当時の普通の国民の間の海軍兵学校、陸軍士官学校に対する認識は、村一番町一番の秀才の行くところというものであったが、入学の時点では確かに秀才であったであろうが、そこで10年20年と純粋培養されているとすれば、いつまでも優秀であるはずがないではないか。
鳩山由紀夫だって東大を出ているにも関わらず、自分の政治的立ち位置を見失って、綺麗事のみをリップサービスしていたものから1年しか持たなかったわけで、まさしく宇宙人そのものであったではないか。
組織のトップの方で、組織がメルトダウンするという事は、その組織の耐用年数が来たという事であって、必然的なことかもしれないが、それを下支えすべきが本来ならば高級官僚であれねばならない。
ところが、こういう階層の官僚は逆にそれを逆手にとって自己の利益の追求に走る。
そもそもいつの世でも、官僚になるということは、楽して出世する道であることに代わりはないわけで、軍隊の組織でも、地面を這いずり回るのは下っ端なわけで、職業訓練校を出たプロフェッショナルの人は、ただそれを見ているだけである。
だからこそ、若い時に優秀なひとは、将来設計として、地面を這いずりまわる人よりも、それを見ている側の立場を得ようと、兵学校や士官学校に雪崩れ込むのである。
私に言わしめれば、官僚を目指そうとする人は、その動機からして不純だと思う。
この本を読むと、徴兵制の元で、国家の危急の時に動員令が掛かると、組織の末端では精密機械のように緻密に事が進んで、必要な兵士が集められる。
そうして集まって兵隊を如何に上手に使って、戦果を有利に導くかというところに戦争のプロフェッショナルの力量が試されるが、日本の軍部はこの部分で有効な機能を果たしていない。
作戦に失敗するという事は、戦争のプロフェッショナルとして何の値打もないただの木偶の棒以下でしかないということだ。
前線の戦闘で、敵の砲弾にあたって意識を失い捕虜になった将兵が、「日本軍の面目をつぶして申し訳ない」と言って自決する人がいる一方で、高級将校や高級参謀が作戦に失敗したとしても、のうのうと生きているのをどういう風に考えたらいいのであろう。
これは高級将校や高級参謀が身も心も官僚になり切ってしまっているので、自己の責任という事に鈍感になってしまったという事である。
こういう人たちは、自分の作戦を遂行している人が、自分の同胞などとは思っていないわけで、自分とは別の人種とでも思っているという事である。
官僚というのは昔も今も、自分が官僚としてのポストを維持するために、自分で自分の仕事を作っている。
その仕事を遂行する、つまり軍人の仕事と言えば戦争をすること、作戦を遂行することであるが、その為には多くの将兵の犠牲が伴うけれども、高級官僚自身はその仕事を遂行する人のことは眼中にない。
傍から見れば究極の無責任体制であるが、彼らは自分のしていることが、国民の期待を裏切っているということにすら気が付かないのである。
あの戦争中はこういう塩梅で、国民は軍部に嘘をつかれて、真実を知らないまま戦火に翻弄されたが、それが終わってみると、今度は逆に国民は為政者の言う事に徹底的に逆らうようになってしまった。
大戦中の軍人や軍部の振る舞いがトラウマとなって、政府や行政の言う事にことごとく抵抗するようになったが、これはこれでまた大きな問題を内包している。
戦争が終わった翌年、昭和21年の5月には食糧メーデーというのが起きている。
その翌年の昭和22年の2月には、ゼネストが企画されたが、占領軍の命令で事なきを得たことがある。
わずか1年か2年前までは、日本全国津々浦々まで軍国主義であったものが、終戦後1年も経たないうちに「天皇はたらふく食っている」というシュプレヒコールが皇居前広場で叫ばれていたのである。
こういう人たちは、あの戦時中、何処に隠れていたのかということになる。
確かに終戦直後、占領軍の命令で政治犯の釈放という事が行われたが、このメーデーに集まった人達の数は、釈放された政治犯の数よりも大幅に多かったわけで、戦争中はこういう人たちがどこかに隠れて息をひそめていたということになる。
サブタイトルには「105歳、最後の兵事係の証言から」となっている。
著者は吉田敏浩という人で相当に偏向した思考の持ち主のようだ。
戦後も既に67年を経過しているが、先の大戦のことを考えると、あの戦争で生き残った人々の気持ちのことを考えれば、反戦平和志向に至るのも無理ない話ではある。
しかし、この本における著者の態度は、淡々と事実を述べる態度で貫かれているが、それは聞き語りをした本人が、105歳という高齢で、インタビューに応じた時点ではまだ生きておられた所為かもしれない。
だが、戦争と平和という選択肢の前で、「戦争が好きだから鉄砲で相手をやっつけねばならない」と公言する人はいないと思う。
世界中の人が「戦争と平和のどちらが良いか」と問われたならば、「平和が良い」というに決まっている。
にもかかわらず人類は戦争を繰り返してきたわけで、この地球の歴史、人類の歴史は、戦争の歴史でもあったではないか。
この本の中でも述べられているが、あの戦争中の軍国主義は当時の我々同胞の草の根の軍国主義、草の根の戦争遂行運動、日本全国津々浦々に至るまでイケイケドンドンの雰囲気であったことは紛れもない事実である。
徴兵制度によって一家の中の一番の働き手を取られて悲嘆にくれる家族を「女々しい」と言ってバトウしたのはどこのどいつだ。
そういう家族に向かって「非国民」とバトウしたのはどこの誰だ。
皆、我々同胞であり、向こう三軒両隣の同胞であったではないか。
この本に書かれている舞台は、滋賀県の大郷村という小さなコミニテイーの中での出来事であって、完全に農村の運命共同体として村人たちがお互いに助け合って生きねばならない集落であったので、そういう極端な事例は述べられていないが、一家の内で何人も徴兵で兵隊にとられるという現実は、正視に耐えない状況であったことは察して余りある。
そういう小さな村で兵事係りとして奉職していた人の回顧談であるが、この話から察するに、あの戦争中の日本の社会のシステムは、戦争遂行という目的のために実に緻密に練り上げられていたと言える。
この本の著者は、国が国民を徹底的に管理した在り様を改悟するニュアンスで捉えているが、国家の在り方としては、そういう国の在り方を非難中傷すべきことではないように思える。
しかし、いくら立派な統治システムでも、戦争に敗北するような指導では国家統治の意味がないわけで、その意味ではあの時代と言えども、国の舵取りは実にお粗末であったといえるが、それに反し行政の末端では実に健気に機能していたという事が言える。
こういう言い方をするとすぐに軍国主義者というレッテルを張って排除する思考が働くが、その部分が我々日本人の政治下手に繋がっているのである。
こういう要因があるから、働き手を徴兵に取られて我が身の不運を嘆いている人を、非国民と言ったり女々しいと言って、自己のフラストレーションのスケープゴートに仕立てて、溜飲を下げていたのである。
ここで描かれているように、滋賀県の大郷村の兵事係りの人が赤紙を配って歩いている状況は、統治のシステムが完全に機能していて、行政の持ち場立場がきちんと維持されているという事である。
ところが、問題とすべきは、国家の上の方の指導層というか、国家の舵取りをする部分の階層の思考であって、これが極めて不如意であったが故に、日本は奈落の底の転がり落ちたとみなさなければならない。
何故、昭和初期の時代の日本の政治家および軍人、軍部は、アジア大陸に進出するようになってしまったのかと考えると、やはりそこには貧乏からの脱出願望があったとみなさなければならない。
ところが、そこで当時の日本陸軍の軍人の考え方が大きく影響を及ぼしてくると思う。
当時、日本軍の構成員の大部分は農村の出身者であったと思われる。
江戸時代の身分制度において、武士階級は全体の10%ぐらいだと思う。
商人や職人という人もいるにはいたであろうが、その大部分は農村の出身者であって、農村の出身者でも皆が皆、水飲み百姓だとは限らないが、総じて貧乏な人が多かったと思う。
世の中が江戸時代のようにのんびりした時代ならば、分に応じた生活をしておれば他者と競い合う必要も無かろうが、世の中が近代化して、あの人もこの人も分限者として出世するようになると、自分もそうありたいと望むようになって、皆が貧乏からの脱出願望に陥るのである。
まさしく資本主義の原理そのままに競争原理が作用して、隣の芝生、隣の車を意識して、それを超えようという気持ちに動かされ、その一番手っとり早い手法が、より上の学校に進学して官吏になることであった。
そこで、もともとが裕福な人は普通の進学校に進めたが、家が貧乏なものは学費免除の学校に行かねばならず、それが軍人養成機関の職業訓練校としての海軍兵学校であったり、陸軍士官学校であったりしたわけだ。
日本が昭和の初期の時代に、奈落の底に転がり落ちる最大の理由は、こういう職業訓練校のOBたちが、官僚システムを占有してしまったところにあると思われる。
彼らが戦の専門家として戦の研究だけをしておれば、あの時代においても立派にシビリアン・コントロールは生きていたに違いないが、彼らが政界にしゃしゃり出てきて、防人としての分を超えてしまったので、泥沼に嵌ってしまったのである。
それは同時に、当時、昭和の初期という時代の政治家と知識人の堕落でもあったわけで、職業軍人が知性、教養に欠けていることは、彼らの学んだ学校の実態を見ればあきらかであったではないか。
戦争の敗北の責任者として、軍人・軍部を批判することは簡単であるが、そういう単細胞に国家の舵取りを押し付けたというか、席巻されてしまった当時の政治家、あるいは教養人、知識人の思考も、軍人や軍部以上に非難されてしかるべきだと思う。
ところがこの本が記している徴兵のシステムは実に緻密に出来ているわけで、これこそ国家の統治システムの見本のようなものと言っても差し支えない。
官僚が如何に緻密にシステムを構築したか、という事を顕著に表している。
国民、臣民は、完全に政府というか、国というか、行政サイドに自らの所在を掌握されていて、国家の危機にはそれから必要に応じて人選されて、必要な部署に配属されるようになっていたということだ。
私はこの本を読むまでまことに無知で、赤紙は無作為に配られていたと思っていたが、この本を読むと、個人の特質に合わせて選別されて本人に言い渡されたとなっている。
つまり軍の要求する職種にすぐにでも順応できるように、本人の適性や経験を加味して人選をして、抽出していたという事である。
これは実に大変なことで、あの時代に地方に住む人であろうとも、個人情報が完全に行政サイドが掌握していたということで、こういう事は今はコンピューターがあるので安易に行えるが、あの時代手書きの書類でそこまでやるという事は並大抵のことではない。
しかし、我々日本人の近現代史を見てみると、我々はモノ作りには実に長けているが、システムの運用とか政治の駆け引きという面では実に稚拙で、戦争に敗北するという事も、政治あるいは統治のシステムの運用が下手だったということになる。
近代国家として軍隊を持ち、その軍隊を形つくるシステムは完膚無きまでにできていたが、それを運用すべき軍の高級将校は実に無知蒙昧のならず者の集団に身をやつしていたということになる。
それをもう少し違った言い方をすれば、軍のトップが官僚主義に埋没して、誰のための官僚システムかという本旨を忘却したところにあると思う。
軍官僚が暴走しかけたとき、それを止めるべき立場であったのが、政治家と知識人であらねばならなかったが、こういう人たちが青年将校の跳ね上がった行動に萎縮してしまって、沈黙してしまったところに日本の崩落の危機が潜んでいたのである。
この状況下において人々の思考は軍国主義以外に選択の道がなかったが、ここで踏ん張るべきが政治家であり知識人であったが、彼らが沈黙してしまったので、それこそ日本全国津々浦々、軍国主義一色になってしまった。
これが戦後になると完全の国民の思考のベクトルは逆さまになって、平和主義一辺倒になる。
この振幅の広さをどう説明したらいいのであろう。
先の戦争の悲惨さがトラウマとなって、戦争を嫌悪する気持ちは十分察して余りあるが、こういうテーマに対して「人が言うからその大勢の言う事についていく」では、戦前の軍国主義の蔓延と同じ構図ではないか。
先の大戦も、当時の日本国民の大部分は、あの戦争を心の内では支持していたに違いないが、結果が敗北であったし、自分自身も塗炭の苦しみを味わったので、嫌悪の気持ちが先に立って、あれを肯定する気になれないのも当然である。
今、戦後67年を経て、考えねばならないことは、行政の末端では実に律儀にシステムを運用していたにもかかわらず、国家機構の上の方、つまり軍の組織の上の方に行くに従い、システムの運用に極めて無責任になってくるという現実である。
軍人、軍部が優秀であれば、個々の戦闘、個々の作戦、ひいては戦争全体として敗北という事はありえないではないか。
プロの軍人であれば、敗北とわかっている戦闘に自らの軍を差し向けるバカはいないはずであるが、あの昭和の初期の軍人・軍部は、随分こういう轍を踏んでいるわけで、この責任を国民全部で負うという事は、あまりにも理不尽だと思う。
終戦の時、戦争処理内閣として『一億総懺悔』という事を唱えたを東久邇宮成彦は、皇族の中のお坊ちゃま的な思考でこういう事を言われたと思うが、冗談ではない、一億の日本国民は、軍部あるいは軍官僚の政治外交下手の被害者なわけで、我々の側が懺悔することなど論外である。
こういうセンスが、日本の政治下手、外交下手の基底の部分にあるのではないかと思う。
3年前に政権交代して、自民党から民主党に政権が変わったけれども、その初代総理の鳩山由紀夫は、普天間の問題で馬脚を表しわずか一年余りで終わったけれども、これも我々日本人の政治感覚を見事に露わしにた現象と言える。
鳩山由紀夫という人物は、並み以上に教養知性を備えている筈なのに、あの状況下で普天間基地の移転が安易に行えると思う思考回路をどういう風に理解したらいいのであろう。
戦争中に日本陸軍の行った作戦にインパール作戦というのがあったが、計画の段階から実施するしないで意見が分かれており、結果として行ったところが散々の敗北で、兵力の浪費以外の何物でもなかったという例がある。
これと同じで、政権を得た喜びのあまり、実現の危ぶまれている問題にまで大判振る舞いのリップサービスをしたものだから、引っ込みがつかなくなってしまったという事になる。
こういう例を見ると、組織のトップは組織の機能を充分に理解して、下の者の意見や気持ちを聞くという度量が必要だと思う。
軍人養成機関としての職業訓練校は、ある意味で一般教養に対する比重の掛け方が違うわけで、そのあたりの機微を本人も、国民の側も、認識が浅いと思う。
当時の普通の国民の間の海軍兵学校、陸軍士官学校に対する認識は、村一番町一番の秀才の行くところというものであったが、入学の時点では確かに秀才であったであろうが、そこで10年20年と純粋培養されているとすれば、いつまでも優秀であるはずがないではないか。
鳩山由紀夫だって東大を出ているにも関わらず、自分の政治的立ち位置を見失って、綺麗事のみをリップサービスしていたものから1年しか持たなかったわけで、まさしく宇宙人そのものであったではないか。
組織のトップの方で、組織がメルトダウンするという事は、その組織の耐用年数が来たという事であって、必然的なことかもしれないが、それを下支えすべきが本来ならば高級官僚であれねばならない。
ところが、こういう階層の官僚は逆にそれを逆手にとって自己の利益の追求に走る。
そもそもいつの世でも、官僚になるということは、楽して出世する道であることに代わりはないわけで、軍隊の組織でも、地面を這いずり回るのは下っ端なわけで、職業訓練校を出たプロフェッショナルの人は、ただそれを見ているだけである。
だからこそ、若い時に優秀なひとは、将来設計として、地面を這いずりまわる人よりも、それを見ている側の立場を得ようと、兵学校や士官学校に雪崩れ込むのである。
私に言わしめれば、官僚を目指そうとする人は、その動機からして不純だと思う。
この本を読むと、徴兵制の元で、国家の危急の時に動員令が掛かると、組織の末端では精密機械のように緻密に事が進んで、必要な兵士が集められる。
そうして集まって兵隊を如何に上手に使って、戦果を有利に導くかというところに戦争のプロフェッショナルの力量が試されるが、日本の軍部はこの部分で有効な機能を果たしていない。
作戦に失敗するという事は、戦争のプロフェッショナルとして何の値打もないただの木偶の棒以下でしかないということだ。
前線の戦闘で、敵の砲弾にあたって意識を失い捕虜になった将兵が、「日本軍の面目をつぶして申し訳ない」と言って自決する人がいる一方で、高級将校や高級参謀が作戦に失敗したとしても、のうのうと生きているのをどういう風に考えたらいいのであろう。
これは高級将校や高級参謀が身も心も官僚になり切ってしまっているので、自己の責任という事に鈍感になってしまったという事である。
こういう人たちは、自分の作戦を遂行している人が、自分の同胞などとは思っていないわけで、自分とは別の人種とでも思っているという事である。
官僚というのは昔も今も、自分が官僚としてのポストを維持するために、自分で自分の仕事を作っている。
その仕事を遂行する、つまり軍人の仕事と言えば戦争をすること、作戦を遂行することであるが、その為には多くの将兵の犠牲が伴うけれども、高級官僚自身はその仕事を遂行する人のことは眼中にない。
傍から見れば究極の無責任体制であるが、彼らは自分のしていることが、国民の期待を裏切っているということにすら気が付かないのである。
あの戦争中はこういう塩梅で、国民は軍部に嘘をつかれて、真実を知らないまま戦火に翻弄されたが、それが終わってみると、今度は逆に国民は為政者の言う事に徹底的に逆らうようになってしまった。
大戦中の軍人や軍部の振る舞いがトラウマとなって、政府や行政の言う事にことごとく抵抗するようになったが、これはこれでまた大きな問題を内包している。
戦争が終わった翌年、昭和21年の5月には食糧メーデーというのが起きている。
その翌年の昭和22年の2月には、ゼネストが企画されたが、占領軍の命令で事なきを得たことがある。
わずか1年か2年前までは、日本全国津々浦々まで軍国主義であったものが、終戦後1年も経たないうちに「天皇はたらふく食っている」というシュプレヒコールが皇居前広場で叫ばれていたのである。
こういう人たちは、あの戦時中、何処に隠れていたのかということになる。
確かに終戦直後、占領軍の命令で政治犯の釈放という事が行われたが、このメーデーに集まった人達の数は、釈放された政治犯の数よりも大幅に多かったわけで、戦争中はこういう人たちがどこかに隠れて息をひそめていたということになる。