過疎化対策として岐阜県で行われている活動を、他にも紹介したいのですが
私のつたない文章では伝わりにくいようです
昨年、我が串原の家にも
参加者さんの他にも、たくさんの取材や視察の方が訪れました
その中から、2010年12月16日に掲載された、読売新聞の記事を紹介します。
恵那・串原地区 若者続々と移住過疎地活性化へ期待
過疎に悩む恵那市串原地区(旧串原村)に、30歳代の若者が続々と移住している。これまでに引っ越してきたのはいずれも串原とは縁がなかった県外の8人で、大自然に囲まれた暮らしにあこがれて移り住んだという。地元NPOなどは「田舎暮らしが見直されている」として移住者の支援や誘致をさらに活発化させる方針だ。(福島利之)
恵那市中心部から、つづら折りの山道を車で1時間。山々に囲まれた串原地区の空き家で、移住者たちは石釜で作ったピザを地域住民と一緒に食べながら田舎暮らしを満喫していた。若者たちの出身は京都府、愛知県、北海道など様々。都市住民との交流を図るNPO「奥矢作森林塾」の田舎暮らし体験講座に参加し、移住を決めた。
恵那市によると、串原地区の人口は1950年の2646人をピークに年々減り、現在はその3割の852人。空き家は30棟、65歳以上のお年寄りは4割に増え、地域住民は「このままでは村が消える」との危機感を募らせている。
8人のうち、1人は3年前、残る7人は今年4月から12月にかけて次々と移住してきた。総務省による過疎地への定住促進事業「ふるさと活性化協力隊」の隊員として働いて報酬(月15万円)を受けたり、農業や病院での医療事務などをしたりして生計を立てている。
このうち、埼玉県川口市で家具補修会社に勤めていた古郡(こごおり)靖成さん(33)は先月27日、「山の近くで木工職人になりたい」と考え、妻の操さん(32)とともに移り住んだ。今は木こりの研修を受けながら、活性化協力隊メンバーとなった操さんの給与で生活する。
田舎暮らしを実感するのは、朝起きて周囲の山を見上げた時。古郡さん夫妻は「現代はインターネットがあるから情報にも困らない。地域に貢献しながら自分たちのペースで生きていきたい」と声をそろえた。
名古屋市の障害者施設で働いていた西村康由さん(38)は今月、移住してきた。施設では毎日、朝6時から深夜11時まで働き、都会の生活に疲れ果てていたという。「ここでは自然の中で人とつながり、生きている実感がする」と充実した表情を浮かべた。
恵那市は「若い人の移住が増えれば、過疎地の活性化につながる」と歓迎するが、課題は安定した仕事と定住対策。同NPOの大島光利理事長(65)は「都会は人との付き合いが希薄でストレスも多く、住みにくくなっている」と分析。「8人が起業などして安定的な収入を得られるよう今後もバックアップしていきたい」と話した。
今後、この青年たちが3年を目途に起業を目指し
この地に住み着くことが、一番の成果かと思います
そのためには、移住者ばかりでなく
多くの「人」に串原へ、足を運んでもらわなくてはいけません
お店を開いても、お客さんがいなくては収入にはなりませんから・・・
「人」を呼ぶための「何か」を探すのも、今後の課題となりそうですね
岐阜県の地域振興課のHPです。ここにもヒントがありそうです
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
私のつたない文章では伝わりにくいようです
昨年、我が串原の家にも
参加者さんの他にも、たくさんの取材や視察の方が訪れました
その中から、2010年12月16日に掲載された、読売新聞の記事を紹介します。
恵那・串原地区 若者続々と移住過疎地活性化へ期待
過疎に悩む恵那市串原地区(旧串原村)に、30歳代の若者が続々と移住している。これまでに引っ越してきたのはいずれも串原とは縁がなかった県外の8人で、大自然に囲まれた暮らしにあこがれて移り住んだという。地元NPOなどは「田舎暮らしが見直されている」として移住者の支援や誘致をさらに活発化させる方針だ。(福島利之)
恵那市中心部から、つづら折りの山道を車で1時間。山々に囲まれた串原地区の空き家で、移住者たちは石釜で作ったピザを地域住民と一緒に食べながら田舎暮らしを満喫していた。若者たちの出身は京都府、愛知県、北海道など様々。都市住民との交流を図るNPO「奥矢作森林塾」の田舎暮らし体験講座に参加し、移住を決めた。
恵那市によると、串原地区の人口は1950年の2646人をピークに年々減り、現在はその3割の852人。空き家は30棟、65歳以上のお年寄りは4割に増え、地域住民は「このままでは村が消える」との危機感を募らせている。
8人のうち、1人は3年前、残る7人は今年4月から12月にかけて次々と移住してきた。総務省による過疎地への定住促進事業「ふるさと活性化協力隊」の隊員として働いて報酬(月15万円)を受けたり、農業や病院での医療事務などをしたりして生計を立てている。
このうち、埼玉県川口市で家具補修会社に勤めていた古郡(こごおり)靖成さん(33)は先月27日、「山の近くで木工職人になりたい」と考え、妻の操さん(32)とともに移り住んだ。今は木こりの研修を受けながら、活性化協力隊メンバーとなった操さんの給与で生活する。
田舎暮らしを実感するのは、朝起きて周囲の山を見上げた時。古郡さん夫妻は「現代はインターネットがあるから情報にも困らない。地域に貢献しながら自分たちのペースで生きていきたい」と声をそろえた。
名古屋市の障害者施設で働いていた西村康由さん(38)は今月、移住してきた。施設では毎日、朝6時から深夜11時まで働き、都会の生活に疲れ果てていたという。「ここでは自然の中で人とつながり、生きている実感がする」と充実した表情を浮かべた。
恵那市は「若い人の移住が増えれば、過疎地の活性化につながる」と歓迎するが、課題は安定した仕事と定住対策。同NPOの大島光利理事長(65)は「都会は人との付き合いが希薄でストレスも多く、住みにくくなっている」と分析。「8人が起業などして安定的な収入を得られるよう今後もバックアップしていきたい」と話した。
今後、この青年たちが3年を目途に起業を目指し
この地に住み着くことが、一番の成果かと思います
そのためには、移住者ばかりでなく
多くの「人」に串原へ、足を運んでもらわなくてはいけません
お店を開いても、お客さんがいなくては収入にはなりませんから・・・
「人」を呼ぶための「何か」を探すのも、今後の課題となりそうですね
岐阜県の地域振興課のHPです。ここにもヒントがありそうです
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村