鈴木エイトさんが年間数百冊を読んでいる、みたいな情報が流れてきた。
それはあるまい。
彼は生涯に100冊くらいしか読んだことない。
そう私は推測する。
なぜこう推測できるか。
年に数百冊の本を読むと、それなりの知識と知恵と(本のレベルによりますが)品性に接するので、鈴木エイトさんみたいな人格にはならない。
品性も知識から来る。
品性も知識によって磨かれる。
「こんなに品のいい人がいる」「こんなに品の悪い人がいた」って歴史を学ぶことで、人は品性を陶冶する。
それが歴史を学ぶ意義の一つだし、こうやって、品性も知識によって磨かれる部分がある。
だから、年間数百冊の(しっかりした)本を読むと、品性が磨かれる。
私が見る限り、鈴木エイトさんは、今世間に知られている品性からすると、そういう読書経験を持っていない。
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もう一つ、これは批判があると思うんですが、年数百冊を読むと、「アウトプットしたいこと」があふれるはず。
dot が connect しまくるから、このひらめき、この気付き、この発見、この感動を伝えたい、って思う。
だから、note とかブログとかTwitterとかFacebookとかで、アウトプットしてその自分の得たことを世間に還元したいと思う。
(年数百冊の本を読んでいながら)そうアウトプットしようと思わない人も実際にいるのですが、私にはさっぱりその意図が分からない。
自分が得た人類の発展に寄与する知見を、アウトプットしないで、自分独りでニヤニヤ悦に入って楽しんでいる? マスターベーションしている?
谷沢永一『人間通』の冒頭に書いてあったと記憶しますが、大発明をした人?宝くじにあたった人?で、それを公言したくない人はいない。匿名のままで隠そうとする人はいない。
それくらい、人間には承認欲求がある。
だから、たっくさんインプットして、人類に有益な知見を得た人は、匿名ではなく、実名で、必ずそれを披露しようとする。
俺を見て! 私を見て!
ってみんな承認されたいと思う。
驚天動地の発見を、匿名で披露した人は、有史以来、独りもいない? サトシ・ナカモトだけ?
しかし、エイト氏は、年数百冊の読書体験から得た知見を、何一つ披露していない。
これは、私の価値観からすると、ロクな本を読んでいないか、本から得た知識を独占してニヤニヤして悦に入っている自己中の独りヨガリ、のどちらか。
少し長くなりました。
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自分を大きく見せようとする人は、小さい。
マーケティングも大事ですが、自分を過度に大きく見せようとするのはよくない。
鈴木エイト先生からはいつも勉強させていただいております。
彼を他山の石として、私も成長させていただきます。
「こんなに品のいい人がいる、」「こんなに品の悪い人がいた、」本を全く読まない私は後者を完璧に自認しています、ですから、表に出ません、
ちなみに、知の巨人、 私が立花隆氏を受け入れるようになったのはこの人が癌になって語り口が柔らかくなり、何かしらの畏敬の念を感じさせる雰囲気が出る様になってからです、