私は、“慢性病の主治医はご自分自身!”というタイトルで、すでに149回このブログで述べてきております。このタイトルのシリーズは、慢性病の原因が解明されれば、事態は一変することをお伝えすべく述べてきているものです。
ところで、主だった病気に関しての概要は、学校でも一応は授業で習います。また、ある種の病気に関心あるいは心配な気持ちを感ぜられた人々は、関連する書物を読むなどされるはずです。
ただ、病気に関してのこのような情報は、結果としての症状などについては詳しく記されていますが、その原因に関してはほとんど触れられていないか、たいていの場合、非常に曖昧にしか記されておりません。あるいは、例え触れられていたとしても、論理的なつじつまが合っていないものだったり、原因としてその名を上げたもの自体の解明がいまだなされていないものであったりして、原因を知ることによる効果的かつスムースな対処に役立たないものである場合がほとんどです。
それでも、専門家の書かれたものだからということで、本当は肝心なことが良く分からないにもかかわらず、誰もおかしいと言い出さないためなのか、その理由は私にも判り兼ねるのですが、一応それで良しとして済ませているようなのです。
しかし、このような病気という結果と、それをもたらす原因との間を、人々がそれを読んだ場合に、“なるほど!”と理解できないような医学という学問は、“科学”と呼ぶに値する条件を十分満たしていないと判断すべきだと私は考えています。
子供たちはその成長の過程で、疑問に思ったことを色々と親や先生たちに問いかけます。子供が感ずる様々な不思議は、成長の過程の知識欲を満たすものです。
例えば、「どうして、お空は青いの?」などという簡単な質問は、一応論理的に答えて上げる事のできる親御さんもいらっしゃるでしょう。
しかし、そのことの更なる奥底をただす、「それはどうしてなの?」というように何度か質問が繰り返されますと、返事に窮してしまうことも多く、「それはそういう風に決まっているの!」、「もっと大人になれば判るの!」などの逃げ口上でかわしています。あるいは、「うるさい!!」と威嚇する行動に出て、それ以上の話を打ち切りにして終わらせるという手法のとられることも多いのでは無いでしょうか?
ところで、これが病気とくに慢性病に関する疑問となりますと、ご自身あるいは身内の誰かのことであっても、時に非常に深刻な問題であります。
病気をあらかじめ防ぐためになすべきこと、あるいは、病気に罹患しそうな際に現れる兆候の数々に関する情報、いざ病気になってしまったらそれぞれの症状の重さのステージでどのような対処を行なうべきかなどの情報は、人(医師)任せにせず、それぞれの人が知識・情報として身につけるだけでなく、場合によっては行動できるようにすべきであると私は考えております(言うまでも無いことですが、もちろん症状の重さの度合いによっては医師に頼る必要も当然ありますので、この点は勘違いをなさらぬようお願い致します)。
現状の、結果(病気)とその原因との間の結び付きが、論理的に“なるほど!”と心底理解できないレベルの医学では、予防も治癒もなかなか上手く行うことができません。
しかし、原因と結果との間を、誰もが“なるほど”と理解できる研究成果が得られたならば(私は、既にこれは私どもの研究の諸成果によって可能にしえたと確信しているのですが)、個々人の段階でできる健康の維持・増進、病気の予防・治癒の対処は、かなりのことができるようになると結論しているのです。
ところで、主だった病気に関しての概要は、学校でも一応は授業で習います。また、ある種の病気に関心あるいは心配な気持ちを感ぜられた人々は、関連する書物を読むなどされるはずです。
ただ、病気に関してのこのような情報は、結果としての症状などについては詳しく記されていますが、その原因に関してはほとんど触れられていないか、たいていの場合、非常に曖昧にしか記されておりません。あるいは、例え触れられていたとしても、論理的なつじつまが合っていないものだったり、原因としてその名を上げたもの自体の解明がいまだなされていないものであったりして、原因を知ることによる効果的かつスムースな対処に役立たないものである場合がほとんどです。
それでも、専門家の書かれたものだからということで、本当は肝心なことが良く分からないにもかかわらず、誰もおかしいと言い出さないためなのか、その理由は私にも判り兼ねるのですが、一応それで良しとして済ませているようなのです。
しかし、このような病気という結果と、それをもたらす原因との間を、人々がそれを読んだ場合に、“なるほど!”と理解できないような医学という学問は、“科学”と呼ぶに値する条件を十分満たしていないと判断すべきだと私は考えています。
子供たちはその成長の過程で、疑問に思ったことを色々と親や先生たちに問いかけます。子供が感ずる様々な不思議は、成長の過程の知識欲を満たすものです。
例えば、「どうして、お空は青いの?」などという簡単な質問は、一応論理的に答えて上げる事のできる親御さんもいらっしゃるでしょう。
しかし、そのことの更なる奥底をただす、「それはどうしてなの?」というように何度か質問が繰り返されますと、返事に窮してしまうことも多く、「それはそういう風に決まっているの!」、「もっと大人になれば判るの!」などの逃げ口上でかわしています。あるいは、「うるさい!!」と威嚇する行動に出て、それ以上の話を打ち切りにして終わらせるという手法のとられることも多いのでは無いでしょうか?
ところで、これが病気とくに慢性病に関する疑問となりますと、ご自身あるいは身内の誰かのことであっても、時に非常に深刻な問題であります。
病気をあらかじめ防ぐためになすべきこと、あるいは、病気に罹患しそうな際に現れる兆候の数々に関する情報、いざ病気になってしまったらそれぞれの症状の重さのステージでどのような対処を行なうべきかなどの情報は、人(医師)任せにせず、それぞれの人が知識・情報として身につけるだけでなく、場合によっては行動できるようにすべきであると私は考えております(言うまでも無いことですが、もちろん症状の重さの度合いによっては医師に頼る必要も当然ありますので、この点は勘違いをなさらぬようお願い致します)。
現状の、結果(病気)とその原因との間の結び付きが、論理的に“なるほど!”と心底理解できないレベルの医学では、予防も治癒もなかなか上手く行うことができません。
しかし、原因と結果との間を、誰もが“なるほど”と理解できる研究成果が得られたならば(私は、既にこれは私どもの研究の諸成果によって可能にしえたと確信しているのですが)、個々人の段階でできる健康の維持・増進、病気の予防・治癒の対処は、かなりのことができるようになると結論しているのです。