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生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

お別れ近い人

2021-11-22 04:19:19 | 日々の暮らし

10年前のこと。毎晩エクソシストに悩まされベッドが宙に舞い、
怖いと訴えるおばあさんがいると私が呼ばれました。
三つ目の鬼がいました。
私も怖かったですが、向こうが後ずさりしたので勇気を出してお祓いしました。
それからは命の恩人と言われていました。
もうすぐ老衰とのこと。
女性夜勤者からテレビの画面が突然、静止して子どもの「お母さん!」と呼ぶ声がして驚いた。
怖い感じはしなかった。
隣の部屋に入ると、おじいさんが壁を指さして子どもがいると言った。
良くある現象です。
中学生で亡くなった娘さんか。
お迎えに来てくれたのでしょうか。
10年前の私の書に合掌しました。

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根を張る

2021-11-21 21:26:38 | 日々の暮らし

いま明かりが見えないと悩んでいるあなたに

「のびるとは地上だけではない。
地下にだって根を生やすことものびるというのだ。」
     (私)
今は根をしっかりのばす時。
希望の日を浴びる時はその何倍ものびるでしょう。  

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どこへいくのか

2021-11-21 03:44:02 | 日々の暮らし

2000年前の有名な言葉です。
イエス・キリストが十字架にかかり亡くなると、キリスト教徒達は一人またひとりと、ローマを去っていきました。
キリストの弟子の12人もローマを去っていきました。
一番弟子のペトロは夜中にローマを立ち、明け方アッピア街道を行くと太陽が昇りはじめ、まぶしい光が射してくる。
その黄金の光の中に、ペテロは天上のキリストの姿をまざまざと見るのです。
思わず膝を屈したペテロは、『クオ・ヴァディス・ドミネ』(主よ、どこへいかれるのですか)と尋ねる。
するとキリストは
『あなたが私の羊たちを見捨てるのなら、私はローマへいき、もう一度十字架にかかろう』。
その言葉にペテロはキリスト教徒迫害のローマに引き返し、逆さ十字架で殉教したのです。
これをきっかけにキリスト教徒はヨーロッパに広がっていき、暴君ネロはじさつしたのです。
わたしは今年この黄金の光を浴びレッドカーペットを歩みました。
光の中にキリストを感じました。
ペテロの道を歩みなさいと聞こえたのです。
わたしはまだまだ未熟者です。
仏教の僧侶のように、私も導かれた神の使いになるよう歩んでいきます。
皆様の力になればありがたいです。
合掌   アーメン

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救い人

2021-11-20 03:58:42 | 日々の暮らし

「私達は友人はなくとも生きていける。 
しかし、救人(すくいびと)なしには生きていけない。」
       (私)
それはね、戦友がいる人もいるかも知れないが、命の別れや離ればなれになって一人になる人が多いのも事実です。
しかし、ここには同じ路をゆく人達がいて、導きの声をかけてくれる救い人がいるから生きていけるのです。

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青春とは永遠なり

2021-11-19 00:58:20 | 日々の暮らし

皆様ご機嫌よう。
何かと心配されているようですが、私は元気ですから安心してください。

「青春と失った時は、永久に戻ってこない」
  (ドイツの諺)
金も名誉もいらない。
ただ若さが欲しいという意味です。
私は青春とは「生きる力」と訳したい。
この歳でも働けるのは今も青春だからです。
青春を失ってはいません。
何事も挑戦する気持ちがあれば青春です。
すると体力も負けずと付いてくるものです。
(青春とは永遠なり)

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